2015/08/05

言語学者が日本の政治家の発言を分析する

最近,いつにも増して,政治家の不適切な発言が多いような気がする.

この種の政治的議論はとりあえずさておき.

英語が分かるようになったということもあるし,毎朝BBC World ServiceのGlobal Newsを聴きながら通勤しているということもあるせいかもしれないけれど,昨今の政治家の発言をその意図を含めて適切に翻訳することがなかなかに難しい.

以下,言語学者なりに政治家の発言を分析してみたい.(実は言語学とは関係ないですけれど)

ケーススタディ 1 大西英男議員の場合http://www.asahi.com/articles/ASH6Z61JXH6ZUTFK010.html

『大西氏は30日、自らの発言について「問題があったとは思いません」としたうえで、「安全保障法制について事実無根の『戦争に導く』という報道をしている一部マスコミを懲らしめなければいけない。いい知恵はありませんかと(講師で作家の百田尚樹氏に)尋ねた」と説明。また、「誤った報道をするようなマスコミには広告を自粛すべきだと、個人的には思う」とも主張した。
 一方、大西氏は「言論や表現の自由は民主主義の根幹で、それを否定する発言はしていない」「誤解、曲解を与える発言は反省している」とも語った。』
この釈明のすぐ前で,「報道の自由は守られねばならない」「マスコミに圧力をかけろなんて言っていない」と言っているのに,壮絶な自己矛盾溢れる発言をしていることにはとりあえず目をつむろう.その手の矛盾は別に日本の政治家だけに限った話ではない.
問題は,下線を引いた赤色の部分である.これを英語にして翻訳するのは困難である.
誤解はmisunderstand, 曲解はdistortに置き換えればなんとかなる.問題は,その発言内容・命題である.
例えば,misunderstandは「主語 misunderstand 目的語」という形で表される.この場合,大西議員は有権者が主語,目的語に自分 (me) を置いたのであろうと考えられる.
人称代名詞は時に人の主張・発言内容を指すことがあるので(メトニミー的に),それはそれでよい.問題は,misunderstandという動詞で表される文章が
「私(この場合大西議員)の本来の意図 ↔ 私が言うつもりのなかったこと」と,意図と有権者の理解の間に齟齬があるという内容を表すということである.
大西議員の一連の発言を通して,有権者は(私を含む)「大西議員がマスコミに圧力をかけろと思っている」と理解したはずである.
これを誤解だと言いたいのであれば,本心がこれとは違うということを示さねばならない.
しかし,彼の釈明のどこを見ても,この内容と違う意図は読み取れない.単に,「問題のあるマスコミには何らかの罰(広告料の減少など)があるべきだ」と言っているだけのことである.
ということは,「意図」と「言うつもりがなかったこと」の間には齟齬がないということになる.要するに誤解でも何でもないということである.
私なりに解釈すれば(ロラン・バルトの言うように,テクストの解釈は自由である),大西議員の言う「誤解」や「曲解」という表現が表す内容は,「私の発言は好意的に受け取られるべきで,それが否定的に捉えられた」ということであり,この点において(好意的 vs 否定的)齟齬があるという意味で使用されたと考えられる.
英語に直す際には,
If the audience misunderstand that I should be to blame, that's a pity.
「もし皆さんが私が悪いと誤解したのであれば,それは残念だ」
とすればよいのかもしれない.つまり,政治家の「失言」はそれを受け取る・解釈する聴衆が「正しく」理解しないのが悪いのであって,政治家に非はないということである.これで,「失言」なるものは,主観的問題に帰することとなった.
2 ケーススタディ 2 安倍晋三内閣総理大臣の場合 http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/14/security-law-shinzo-abe_n_7798362.html
安倍晋三首相は7月15日、衆院特別委員会で答弁し、安保法案の議論について「国民の理解が進んでいないということはこれまで答弁してきたとおりだが、採決をするかどうかは委員会がお決めになることだ」と述べた。
少なくとも安保法案の内実に関して,多くの国民は概要を理解しているのではないかと思われる(理解していないとのはTPPの方かと).少なくとも,火事場と戦争を同一に考えなければ(別物だが)理解できない安倍総理よりも,多数の国民は内実について理解しているものと思われる.
「今後も説明を続けていきたい」という発言もあるが,これも非常に難しい.
というのも,ここで使用されている「理解」という表現は明らかにunderstandではないからである.
本来,「理解する」という動詞は,命題内容,及びその関連事項に関してその内容が主体の頭の中に入り,自分で消化できている状態になるということを意味するはずである.
そこでは,安保法案の内容をよりよく理解できたから反対しますという意見も尊重されるべきであるが,少なくとも安倍総理の発言の後で,「反対」という意見を表明した場合,彼に「理解した」と解釈してもらえることはないであろう.
つまり,理解したから賛成,反対,保留等々いろんな反応があって然るべきなのに,この安倍総理の発言の後では,賛成以外の発言は認められない意図が感じられるのである.
よって,安倍首相によれば「理解を進める」という表現は,「容認する,是認する」という意味で使用されているのである.英語に直す際,使う動詞はadmit, approve, accept辺りが適当であろうか.understandを使った場合は減点対象になる.
全くもって難しい.私は昔,朝日新聞や京都新聞に掲載する京都大学の入試問題の英作文の解答例を作成したことがあるが,安倍総理の発言を和文英訳するのは至難の業である.ただ,難関大の英作文と異なる点は,知的なおもしろさが一片も感じられないところにある.
というわけで,曖昧模糊として英語にしにくい文章が京大の和文英訳問題に出される傾向があるのだけれど,安倍総理の発言は出題されなさそうですね.(責任は持ちませんが)

2015/08/04

趣味というものについて

人生で一度お見合いというものをしてみたい.

それで最初に「ご,ご趣味は何ですか」というところから始めて,話をどんどんと盛り上げてみたい.

という話はさておき,実際,自分が質問して聞き手になる側だったら気楽でいいのだけれど,自分が質問されれば困るなぁと思ってしまう.

本を読んだり,いろいろな知識を仕入れるのは楽しいのだけれど,これは研究に生かす土台でもあるわけだし,新しい情報をアップデートして学生さんにわかりやすく,興味を持ってもらうように話をするのはある種仕事みたいなもんである.自己研磨というか,自分の知識の引き出しを増やすのは大学教員に求められている素養の一つである.

仕事を趣味と言えば,海外旅行なんかも仕事に入るのかもしれない.仕事柄,海外に行くことはとても多いのだけれど,純粋なレジャーで海外に行った記憶がほとんどない.最近のモチベーションは,行きたい国で学会を開催する情報を手に入れると,それに向けて論文を書くことである.こうすると,お金をもらって海外に行くことが可能になる.

というわけで,これらは純粋には趣味とは言えない.仕事を趣味にしているという言い方はできるかもしれないけれど.

おいしいものを食べたり,作ったりするのは好きなのだけれど,女性に対して好感度を上げるということが求められている舞台で,料理好きをアピールするのはどうも卑しいような気がする.いや,嘘を言っているわけではないのでいいのかもしれないけれど,どうもあざとさのようなものが見え隠れしてしまうので,あまり耳に心地がいい感じがしない.それはちょうど,女性に得意料理を尋ねてみて,返事として「肉じゃが」と返ってくるようなものなのだ.って,考えすぎか.

それに趣味というわりには,あまりお金をかけていないし,むしろいかにお金をかけないかということに興味の中心があるような気がする.

高いお酒も癖になるのが怖くてなかなか買えない.買うワインは1500円前後(ないしはそれ以下)だし,ウィスキーもシーバスリーガルか,ボウモアかグレンフィディックの12年である.マッカランは高くてちょっと気が引ける.それに,お酒は2日に1回も飲まない.

バッティングセンターに通うのも好きなのだけれど,これも趣味と言えるのかよく分からない.値段がそれほどかかるわけではないし(一万円で一気にコインを買ってしまえば,安い値段でかなり長い期間安定して楽しめる),それにバッティンググローブもアウトレットで手に入れたNIKEのものをずっと使用している.それ以外に特に道具はいらない.

それに一度バッティングセンターに行くと,20球×5回の100スイングくらいで満足するので時間もそれほどかからない.(それ以上すると腕がきつくなるし,最近は時々腰痛になりかけてもいる)

時間とお金がかからないものを趣味というのも気が引ける.

他に好きでやっていることと言えば,学生さんたちとバトミントンや野球をすることなのだけれど,これも趣味という範疇に入るのかよくわからない.

大学教員という人種は変人が多いので,なんだか本業とは全く関係のないことに時間とお金と労力を注いでいる人をよく見かけて,そういったことができる人たちが時々羨ましくも思える.ごくごく平凡で,それでいて特にお金を使うわけでもなく(基本,ケチに近い),趣味は仕事と身体を動かすことってのもちょっと切ないような気がする.なんだか,人間的におもしろみに欠けるというか,深みがないというか.

まぁ,人に公言できないような趣味に自分の身を滅ぼしてしまうことよりも,よっぽど健全でいいのかもしれない.

というわけで,お見合いの機会なんてなさそうですね.

2015/05/02

国家への帰属意識について

安倍首相、各500万ドル拠出表明

安倍首相が,MIT, ジョージタウン,コロンビアの3大学に5億円ずつ,総額15億円を寄付するという約束をしてきたそうである.

なお,あれだけ大騒ぎした,宇宙にでも飛び出すのかというスーパーグローバル大学事業では,トップ型の13大学に4億2000万円,牽引型の大学に各1億7000万円の拠出である.

バランスがおかしいと思う人は多いのではないかと思う.

単なる夢想かもしれないが,15億円もあるのなら,日本の大学生,院生にばらまいて欲しいと心から思う.ちゃんとした,返還義務のない奨学金という形で.

そういった給付型の奨学金によって,学業を継続できる若者はかなり多数に上ることになるだろう.

そこで優秀な芽を出した人たちは,きっと10年後,20年後に自分が貧しかった頃に手を差しのばしてくれた日本という国家に多大な恩を感じ,心の底から愛国心を育むことになるであろう.

できれば,国籍というハードルも取ってしまった方がいいかもしれない.私は,イギリスとイギリスの大学に大きな愛着を感じているが,それは奨学金というサポートをくれた上に,恵まれた研究環境を与えてくれたからに他ならない.無償のサポートは,国外の人間にも好影響がある.

人が国家というものにある種の帰属意識や誇りを感じるのは,単なる共同幻想である.

国家という団体が,自分を,そして周りの人たちを庇護し,そして自分たちの存在を確立してくれていると感じられる機会が多ければ多いほど,その団体に対して愛情を抱くことにもなるのである.

愛国心というものは,式典の際に国旗を掲げ,国歌を斉唱することによって育まれるものではない.

与えるものもなく,ことある毎に自分たちを賛美させる歌を歌わせて,「ほーら,俺たちのことが好きになっただろう」と強制させられても,人は愛情の念を抱かない.

それはちょうど,優しさも,思いやりも,プレゼントも何も与えてくれない恋人が,記念日毎に「私/俺のことを好きと言って」と言わせるようなものである.

自分を賛美しなさい.そうすれば,私/俺のことが好きになるから.

というのは,単純に言えば,いじめっ子の論理である.恩のない人や団体に愛着を感じる人はいない.

好きになってほしければ,相手への思いやりを態度で示し,時には何かを与え,共感する機会を持ち,何も求めないことである.

「好き」と言わせることを強制させられることによって,何かを好きになることは決してない.

この国を,そしてこの国に住む人たちを愛しているのであれば,まずその気持ちを当事者たちに示すことが肝要であると私は思う.

2014/05/29

(語学)留学の意義

今でこそ,外国語学部の英語をメインに教えるような場所で大学教員をやっているけれど,元々,英語も嫌いだったし,英語好きを公言するような人たちもとても嫌いだった.

英語嫌いは,世の中が作り出す英語教育のイメージがイヤだったのと,高校教員の英語に対する無理解が原因だったような気がする.

英語が出来ればetcとかいう話や,英語ができればこんなにいいetcという話がなんとなく胡散臭かったし,それに英語教育産業の全てがまやかしのように思えて,その種の底の浅さに関わるのが心底イヤだったというのも要因だったかもしれない.

最初から,教科の1つと割り切れるとよかったのだけれど.

でも,これらの嫌悪感は実はたいしたものでもなかった.

本当にイヤだったのが,とにかくちょっと英語を海外で勉強してきたからといって

「留学してきましたー♪」

という人たちでした.

同列に扱われたくなかったし,関わりになるのも御免被るという感じでした.

彼ら(基本的に女性だが)の大半が,英語の話し手の言っていることを理解しているのかいないのかよく分からないような状態で,薄気味悪い薄ら笑いを浮かべ,「Oh, yes!」とかいって話のやりとりをなんとなく繰り返している.「英語が話せている自分は凄い」といった様子で,悦に入っている様を見るのがどうにも気持ち悪かったのです.

それでもって,どれだけ自分が滞在した国のことを理解しているのか知らないけれど,したり顔で表面的な知識をひけらかしている様子を目の当たりにすると,思わず全身が痒くなるような気分になったものです.

そういうこともあって,私が留学していたことを指して,他人に「英語を勉強してきたんですか」と聞かれるのがとにかくイヤでした.『語学留学なんざ「留学」という文字を使うな.「遊学」と言っとけ!』というのが強い強い持論でした.

その種の感性は基本的にごく最近まで変わっていなくて,イギリスにいた時も,正規留学や交換留学で来ていた人たちには諸手を挙げて歓迎という気分になれていたのだけれど,語学留学となると,ちょっと.

それが今では,多くの語学留学を推進して,彼らの書類を扱う仕事をするようになっています.まぁ,この種の仕事は世の中で一番したくない仕事の一つだったのだけれど.

しかしながら,最近,この種の考え方も変わるようになってきました.

というのも,金さえ払えばすぐに行ける語学留学かもしれないけれど,なんだかんだで異国で,自分の力で道を切り開いていかないといけないという環境は,若い人たちにはいい経験になっているようなのです.そういった経験を経ることによって,いろいろと成長して帰ってくる人たちがたくさんいるのです.

日本に,特に自宅なんかにいると,ご両親なんかに甘やかされて,それで教師にもあまりきついことを言われなくなって,特別厳しい課題を与えられることもなくindulgeされていた人たちも,自分がやらないと仕方がないという経験をいろいろと重ねることによって,意外に自立する機会を得て帰ってきているのです.

この種の教育効果を考えると,単なる語学留学かもしれないけれど,それなりに意義はあると思うようになる.

そんなこんなで,語学留学でもいいから若い人たちはできるだけたくさん留学してこいと考えるようになっています.

といったような話を,ちょっとお隣の学部のアメリカ人の先生と話していました.

彼も同じようなことを思っていたようで,最近では,語学留学であっても留学推進派になったそうです.

ま,見知らぬ環境に行ってみるということが大事なのかもしれませんね.若い間にいろいろな世界を体験してきてもらえればと思います.

2014/05/08

怒らんでもええやねん

いろんな方面からお気楽だと思われている大学教員とかいう身分ではあるのだけれど,それなりに腹の立つことも,ストレスが溜まることもある.

まぁ,人が怒る理由はそれなりに千差万別なところもあるし,一概に他人だけが悪いとは言えないということもあるだろうし.

それで,こういう怒りの感情が芽生えてきて,その場でプッチーンっと切れてしまうようなことがあると,それはそれで楽なんだろうなというか,感情を抑えないで生きている人たちがそれなりに羨ましくはあるのだけれど,個人的にはそういうことをしないようにしています.

というのも,怒りの感情が芽生えるようなことがあっても,だいたいがそれほど深刻な問題でもないというか,人の命が関わるようなことでもないので,翌日以降に「しゃーないか」と思って割り切ってこなせるような事柄であることが多いからである.

それに,私も昔はそれなりに怒りっぽかったのだけれど,20歳を過ぎた頃くらいからは,感情を制御することができるようになったし,それにたとえ不快感を感じるようなことがあっても,大体がバッティングセンターなんかに行ってボールを打ちっぱなして,ご飯と一緒に適量のお酒を飲んでぐっすりと一晩眠ってしまうと,わりとどうでもよくなることが多いということが分かるようになってきたのである.

前任校のF女子大学で,各地の特別支援校の校長先生をやってこられた人と一緒に仕事をさせてもらったり,一緒にお酒を飲んだりすることが多かったのだけれど,この人からはいろいろなことを教えてもらった.

特別支援校となると,世の中のダーティーな部分というか,割と人の残酷な面と向き合う機会が多くあるようなのだけれど,この先生はいろいろな物事に前向きで非常に楽観的で,そういった態度が非常にさっぱりとしていて気持ちのいいものでした.

「大丈夫,とりあえず人の命が関わってなければいいんですよ」

「世の中ね,なんとかなります.何か責任取らなきゃいけないときはね,謝っとけばいいんですよ」

「物事はね,人がその時に考えている時ほど,深刻なもんでもないんですよ」

といった台詞をさらっと笑顔で言われるのだけれど,一緒に友人のような感覚でつきあわせてもらいました.いいなぁ,楽しかったなぁ.

そういった経験もあって,何か不快感や不満を感じるようなことがあっても,とりあえずはその場では出さず,翌日以降に冷静になってから考えるようにしています.

こうしていると,世の中の怒りの多くがたいしたことでもないなと思えるようになります.まぁ,翌日以降になってもやっぱり理不尽だと思う場合には,しつこく怒りの感情を抱えて生きていくことにはなるのだけれど.

とりあえずは,どんな時でも気楽に笑っていられる余裕だけは持てる人間でありたいと思います.

2014/05/03

職業病

今日はちょっと所用で街中に出て,百貨店で買い物をしていたのだけれど.

その買い物に付けるカードがオプションであったので,いろいろと悩んでいると,店員さんにカードの柄で悩んでいるんですかと尋ねられた.

実を言うと,カードに記載されてある英語メッセージがいずれも変な英語だったので,どれが一番ましかという究極の選択を迫られていたのである.

日本という社会では英語が教育システムの中に深く入り込んでいるので,外国語としての英語の立場は確固たるものだと思うのだけれど,それでも巷には意味が分からない,ないしはおかしな英語が氾濫していてとても困ってしまう(笑ってしまう).

この冬にオーストラリアに行っていたのだけれど,そこで見かけたタスマニアデビルの檻に貼ってあったこの日本語みたいなのがそこら中にあると思っていただければ,現状を理解してもらえるのではないかと(ちなみに日本人による英語の誤用はEngrish.comにくわしい).


そういうわけで,言語学者という肩書きがあって,大学で英語を教えることもある立場の人間からすると,妙ちくりんな英語のメッセージが書いてあるカードを選択すると信用問題の失墜にもつながりかねないのである.

難しい.

この種の変な英語に不快感を持つのは一種の職業病みたいなものであって,鼻で笑っていればいいのだけれど,まだまだそこまで余裕が持てないようである.私もまだ若いのかもしれない.日本人だから間違っても仕方ないじゃないかと,笑い飛ばせればいいのだけれど.

しかし,変な英語は,海外からたくさん観光客が来るようなスポットでたくさん目についてしまうので,こっぱずかしくなってしまうのである.ご近所で言えば,あんなお寺や金色の鯱のあるお城とか,えと,とりあえず名指しはやめておくか.

他にも,最近だと結婚式の報告葉書に記載されてある英語の語法なんかも気になる.

marryが厳密に他動詞で使用されるという事実は大学入試問題においても頻出だと思うのだけれど,この辺を誤解している結婚業者やホテルが非常に多い.

We have just married!

なんて書いてあるメッセージを目にしてしまうと,「なんか足りへんやろ!」という思いがついつい浮かんできてしまうのである.少なくとも,marry程度の語法を理解していない人たちが主催している結婚式場を私が使用することはないということはここで断言させてもらう(信用問題にもなるし).

まぁ,まだ使用する予定がないのが残念なのだけれど...

そういうわけで,巷の会社の皆さんは「ふん,英語なんてできなくても日本で暮らす分には不自由ないもんね」と開き直る前に,ちょっとは勉強してほしいものだと思う.

もしかすると,年配のめんどくさい上司さんたちに聞く耳がないだけのことなのかもしれないけれど.

2014/05/01

ガラスの家に住む者は

もしかすると大学教員に限った話ではないのかもしれないけれど,とにかくこの業界は他人を辛辣に批判する人たちが比較的多いような気がする.

英語のことわざに,People who live in glass houses shouldn't throw stones.「ガラスの家に住む者は石を投げてはならない」というのがある.

要するに他人を辛辣に批判したりして,いざ自分が攻撃されると大変なことになりますよという教訓を含んでいるわけである.

インターネットが発達して,過去の有名人,特に政治家の発言なんかが残るようになった現代.過去の発言を振り返って,後で自分に火の粉が振り返る様をネット用語で「ブーメラン」と呼んでいるみたいだけれど,要するにこのことである.

政治家さんなんかは朝令暮改がお仕事みたいな向きがあって,その場の「空気」を読む必要があるので,この手のブーメラン体験は仕事の一環みたいなところがある.しかし,大学教員のように知性を売り物にしている職業だと,この手のブーメランは信頼問題にもつながりかねない.

というわけで,私はなるべく他人の批判はしないようにしている(と思う).

そもそもが,研究業績に優れ,類い希なる教授能力があり,学生の面倒見に定評があって,種々の雑用をそつなくこなし,書類業務にはミス一つなく,ムダなことを一切しない人格高潔なる大学教員なんて世の中に何人いるのだろうという水準である.

まぁ,そのうちの一つでも欠けていると批判の対象になってしまうわけだけれど,自分はこういう完璧な教員では全然ないということくらいは自覚できているので,なるべく人様の悪口は言わないようにしておこうと思っている.

ところで,大学教員同士,ではなくて,学生さんから教員が批判されることもあるのだけれど,今日はちょっと傍で聞いていて気の毒なことがあった.

とある先生がやり玉に挙がっていて,その先生が基本的に褒められていたのだけれど,女学生さんたちに,

「○○先生,あんなにきちゃなく禿げ散らかしていたらダメだわー」

と言われていた.ちょっとあんまりだと思う.髪の毛は自分の努力ではどうにもならないのである.

そんなことばっかり言っていると,そのうち自分たちに石が投げられるぞ.