2010/09/27

生き方の選択

「己を知る」ということが,生きる指針として重要だと思うのだけれど,どうなんでしょ?

「己を知れ」と言われると,なんか説教くさくて「嫌なの」ってイメージが喚起されないわけでもないのだけれど,でも,分相応というか,自分のアドバンテージとディスアドバンテージを正しく認識して,効率よく自分の能力を生かすということは,けっこう重要な話なのではないかと思う.

周囲と比べても仕方がないし.

ちょっと辛気くさいというか,やっかいな世界でもあるのだけれど,例えば,男女問わず若い子たちを使い捨てにしている芸能界なんかを見てみても,そういうのはひしひしと感じる.

そこそこかわいい女の子たちを集めているアイドルグループなんかがけっこうあるのだけれど,そもそも活動期間が短い上に,それ程お金が稼げるわけでもなく,接待やらなんやらで体も自己の尊厳も売らなきゃやっていられない世界に飛び込むリスクというものを,彼女たちは考えたことはないんだろうか.

アイドルの華やかさという,一見,資本主義の光のように思える部分だけが目に入るんだろうか.

若くてかわいければ,たいていの職種に就けば周囲の男性からちやほやしてもらえて,そんでもって,人間性というか内面も含めて大事にしてくれるような人たちもいるだろうに,なぜわざわざ不特定多数の人にちょっとちやほやされる方を選択するのだろう.

5年後,10年後に残っている人たちなんてほんの一握りなのに.

ということを,某アイドルグループからAVに転身しちゃった,という人の話を聞いて考えてしまいました.

こういうのって,社会人だとか研究者にしても似たようなもんなんじゃないかと思う.

例えば,私は別に(そんなに)バカでもないと思うのだけれど,別に優秀とかそういうのでもない.

なんか,「そこそこ」という言葉がぴったりとくる.

日本でも海外でも,大学は「第一級」というところじゃなくて,「2番手」グループってところにいたので,わりとのんびりと過ごせたけれど,これが「ベスト」というinstitutionにいたら,なんか「潰れて」たような気がしないでもない.

なにせ,気分屋さんなので,自分が「優位に立っている」という実感が沸くと,実力以上のモノがたくさん出てくるのだけれど,自分が「劣等だ」と思うと,ありえないミスを連発するようなことがあるのである.

これはスポーツでも同じなのだけれど.

そんなこんなで,今は研究者としての立ち位置みたいなものを見定めているところです.

まだまだ「鬼籍に入る」段階ではないと思うのだけれど(最初から最後まで鬼籍にいる教授陣がたくさん,って,モゴモゴ),前線に立ってバリバリとやる実力もないような気がする.

客観的に言って,例えば,私が一流どころの大学ないしは研究所の看板になっていれば,「なんだ,その程度か(たいしたことないな)」って思われると思う.(情けない話だが,けっこう自信ある)

かといって,一地方にひょこっといると,「ちょっと有望な若手」という扱いを受ける.

そんでもって,「いつ移籍するんですか?」というようなことも聞かれる.

いや,だから,そんなとこ行く能力とか,機会とか,ちょっとないですって.

そんな感じで「帯に短したすきに長し」という能力なので,今は精神的にはわりとのんびりしています.(最近,ちょっと忙しくなってきたけど)

それでも,マイペースでのんびりやってきゃいいやというのが自己評価なんですけど,一方で,一攫千金,ちょっとでかいことやったろかい,という気分もないではない.(でも,東京にはなんか住みたいと思わない.人,多いし)

まぁ,そういうのは結果が全てを証明するものであって,自称するものではないのですけれど.

そんなこんなで,第2グループの先頭集団にいるという生き方は,私のサバイバルの基本であるようにも思う.

まぁ,今から知的にブレイクスルーが起こるということはないんだろうけど,2番手の人たちのやる仕事というのもあるんじゃないか,って常日頃思っています.

たぶん,小技と職人芸をやる人がいないと,4番も生きないんですよ.どの業界も.

と思いたい.

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