2010/11/11

意見の取捨選択

学生さんたちから,他の先生の授業への不満を耳にすることが多々あります.

まぁ,自分もどっかでいろいろ言われている可能性は否定できないわけですが.

うちは,資格がいろいろ取れるということもあって,厚労省からの圧力だのなんだのがたくさんあって,確かに授業数は多い感じです.

漠然と授業数を増やせば,それで大学における教育水準が向上するとか考えている,脳みそ空っぽのお上と,そういったお上と連動しているマスコミさんの刷り込みで,授業にとりあえず参加しておけばいろいろ手取り足取り教えてもらえるとか思っている学生さんたちが増殖しているので,大学のアカデミズムの質の低下みたいなものは着実に進行している感じです.

大学生にもなれば,勉強なんてものは自分でして,授業なんてのはものを考えるきっかけでしかなく,教師の一言一句が誤りではないかと疑い,「教わる,教えてもらう」のではなく,同等の立場で議論し,あわよくばそれを乗り越えるとか,そういうことはないみたいです.少なくとも,うちのような中堅校レベルだと.(かと言って,旧帝大レベルではそうじゃないと断言できないような気もしますけど)

この手の,最近のよくある大学教員の愚痴めいた気分もないではないけれど,一方でなんだか,学生さんたちが「かわいそうだな」という気になることはけっこうあります.

正直に言って,自分だったらこんな授業まともに受けてられんな,という気分にさせられることが多々ある.

基本的に,自分のオフィスで何かやっていると,シングルトラックな私は自分の仕事以外はなぁんにも耳に入ってこないのだけれど,オフィスを出入りしたり,珈琲を入れていたりすると,オフィスの前の教室でやっている授業が聞こえてくるので,いろいろと考えさせられることになります.

『最近では,お年寄りが年齢を重ねることも発達と言います.発達とはいろんな場面で使われるんです』

だとかいう,政治の匂いを嗅ぎとれない発言だとか,

『こういった子育てのノウハウが積み重ねられて,私たちのDNAに受け継がれてきたんですね』

だとかいう,生物学・進化論の常識に真っ向から立ち向かう,獲得形質が遺伝するかのような発言や,

『ドイツで一番有名な収容所のアウシュビッツでは,いろんな悲劇が繰り返されてきたんです.あなたたちもちゃんと歴史に学ぶようにして,ドイツに行ったらアウシュビッツに行きなさい』

だとかいう,地理もへったくれもないお説教だとか.

まぁ,確かに私が理屈っぽくて,いろいろ細かい人間なのかもしれない.

しかし,知的能力と知識を商売道具にしている我々大学教員としては,知識の錬磨と情報の整理には細心の注意を払う義務があるのではないかと思うのである.

事実・データの吟味,そしてそれに基づく一般化・理論化は,全ての学問に共通する基礎体力であるはずである.

そして,それができないのであれば,大学教員としての基本的スキルがないわけであるから,さっさと辞表を書いて職を辞すべきであると思うのだが.

他にも,「小学生を相手にしているんじゃないのか,この人は」とか思わせられるようなこともけっこう多いのです.女子大だからなんだろうか.

そんなこんななので,学生さんたちには,

「一応,いろんな人の話だけは聞いておいて,自分が納得できる意見だけ心にとめておいたらいいんじゃない?」

と言っています.まぁ,いろいろ考えて悩むのもいい経験なんじゃないかと思いますけど.

それより何より,もうちょっと授業時間に余裕を持たせて,「あそび」の部分を大学教育にも導入できないものかと思います.なんでもかんでもギシギシ詰め込んで,

教訓・教育

なんてのを前面に押し出しても,柔軟でしなやかな思考能力は養成できないように思うし,いろんな人たちと,無目的に喋ったりすることも重要な経験だと私は思う.19世紀から20世紀にかけての多くの偉大な科学者や思想家は,パリのカフェでひたすら喋って,思考回路を刺激することによって,多大なアウトプットを出すこともできたわけだし.

上から下に押しつけられる座学なんて,程ほどでよろしい.

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