2010/12/29

ノルウェイの森を評する

ちょっと全国規模の都銀に行かねばならない用事があったので,徒歩で街中に繰り出す.北海道では,札幌の中央区以外には都銀というものがないので,珍しくないのである.(まぁ,住んでいるところから,徒歩15-20分程度なのだけれど)

帰りに本屋に立ち寄り,ノルウェイの森の割引券をもらってきたので,そのまま映画を観て帰宅.映画館は,正直,ちょっと空き気味.「絶賛上映中」というわけでもないようである.

その噂のノルウェイの森なのだけれど,映像は確かに綺麗だったし,構成も悪くなかったような気がしたのだけれど,なんだかイマイチ物足りない.

それはちょうど,演奏技術があるはずなのに,イマイチ噛み合っていないオーケストラ,話術もネタもあるのにイマイチ笑えない技巧派漫才,スピードも変化球もあるのになぜか失点されるプロ注目の投手を見て来たような気分なのである.

これはいったいなぜなんだろう?

『謎とき村上春樹』を執筆した石原千秋氏によれば,ノルウェイの森は,「誤配」の物語であると分析される.

愛し合っていたキズキと直子が結ばれることなく,キズキが自殺.周囲に唯一頼れる人間として存在し,かつキズキと仲の良かったワタナベくんと「誤って」結ばれてしまった直子がそのまま精神病を患い,結果,ワタナベくんが直子を正しくキズキの元に送る,つまり自殺させてしまうという物語だというのである.

ジャック・デリダによれば,手紙は「誤配」された時に最も効果的に読まれるという.結果,直子とワタナベくんは愛し合っていない,少なくとも直子は愛情を感じていないのにもかかわらず,二人の間では,ある種運命的とも言える程の効果的なつながりが結ばれることになったわけである.

なるほど.

文学という表現技法を映画という形で表現するのは,ある種の翻訳である.(たぶん)

表現技法が違うわけであるから,そこには映像化する監督の解釈が主体的に関わる.解釈の多様性を許す言語体系という文学とは違い,映像は視聴者に否応なく監督の解釈を見せつけることになる.

この力が強く,説得力があればあるほど,映画はより「強い」ものになり,弱いと,「はにゃ?」という印象を視聴者に与えてしまうことになる.

残念ながら,生者の存在する「こちら」の世界と,死者の存在する「あちら」の世界の橋渡しをする媒介の役割を果たす直子という存在がイマイチよく分からないまま話が展開されていったような感じがする.

草原で,直子がぐるぐる歩きながら自分の心情をワタナベくんに語る箇所といい,無意味に草原で抱擁する場面といい,なんだか性欲だけがやたらと増長して突っ走っている物語だなという印象がぬぐえない.

それこそ,アンチ・ノルウェイの森さんたちの言う,「あんなもん,会った女とかたっぱしからやるだけの話だろ」という表面的な部分だけを,ただ辿っていただけなのではないかという印象を与えてしまっていた感じなのである.

残念無念.

それと,この映画だけで登場人物の「魅力」をうまく描ききれなかったのは残念だなとつくづく思う.

永沢さん役を演じた玉山鉄二は,なかなかいい雰囲気を出していたのだけれど,正直,この映画だけを観ていたら,単に鼻につく人でなしのプレイボーイでしかない.

彼は,一本筋が通っている所があって,強い者にも物怖じせず,なめくじすら飲み込んでしまうというエピソードがあってこそ,その「凄み」が感じられる人物なのに,その描写がなかったのは非常に残念である.

それと,「天才」と言われる一方で,外国語学習など地味な勉強は欠かさず,かつワタナベくんと懇意になったきっかけのグレートギャッツビーの愛好者であるというエピソードが欠けていたのも個人的には物足りない.評価するべきものは評価し,なおかつ審美眼のある者(つまりワタナベくん)にシンパシーを感じるという部分が,流行に押し流される俗物達,つまり学生運動に走る若者とは少し違うのだというエピソードは欲しかったと思う.

まぁ,これは永沢さんが個人的に好きというか,シンパシーを感じている個人的感想に過ぎないかもと思われるのだけれど.

それと,ワタナベくんが,人と滅多に話さないようになった病床の緑の父親と,キュウリに海苔を巻いて一緒にボリボリと食べ,打ち解けたとかいう様子もちょっと映して欲しかったな.あれは,特別人に気に入られるという要素のない凡人のワタナベくんのよく分からない魅力を描くいいエピソードだったと思うのだけれど.

後,個人的に好きな小林緑ちゃんなのだけれど,フォークソング部の学生運動に混じっている人たちを評して,「こいつらみんなインチキだって.適当に偉そうな言葉ふりまわしていい気分になって,新入生の女の子を感心させて,スカートの中に手をつっこむことしか考えてないのよ,あの人たち」とか言っている部分も欲しかったですね.あれは,学生運動なんていう流行の胡散臭さを嗅ぎ取る嗅覚と,それに流されないワタナベくんに惹かれる理由になる大きなエピソードだったと思う.お互いに共感を感じている事実というか.

それと,緑の短い髪型だけを評して,ワタナベくんが「似合っている」というシーンがあるのだけれど,村上春樹小説は「耳フェチ」的なところがあるので,「きれいな耳だよ」という一説は抜かさなかった方が,原作好きの人たちにはよかったと思う.きれいな耳というのは,素敵な女性の「アイコン」として働くことが多いのです.この人の作品では.

最後に.レイコさんとワタナベくんが結ばれるシーンがあるのだけれど,これもなんか台無し.欲情したおばちゃんが,若い肉体を求めて盛っていただけのような感じで,「なんだかな」という感じがして仕方がない.まぁ,別にいいのかもしれないけれど.

あと,これ以降は単なる役者評だけれど.

ワタナベくん役をやった松山ケンイチくんは,なんか「こんなもんか」って感じでした.残念.飄々としているのはいいのだけれど,なんか生きる強さも,割り切るという感覚も,苦悩の様もイマイチ伝わってこなかった.それと,真顔で冗談を言うことは結局なかったんですよね(あえて言うなら「スエズ運河や株式市場のことを考えてマスターベーションする人はいないだろうね」の部分だけか).「やれやれ」の台詞もなかったし.撮影に入った時点では遅かったけれど,意外と佐藤健くん辺りだったらうまく演じたのではないかな,と思わないでもない.アップに耐えられるだけのマスクをしているし.って,ワタナベくんがあまりイケメンなのもよくないのか.

小林緑ちゃん役の水原希子さんは,顔はかわいくてよかったのだけれど,なんか身体が病的に細くてちょっと心配な感じ.あっけらかんとした元気な役柄.そして,運命に翻弄される直子と対極に,運命の中を強く生きる生命力の象徴として存在する緑としては,なんかはかなさだけが感じられる役者さんでした.それと,どうも「陰」が全面的に押し出される感があるのが微妙.どちらかというと,陽が前に出て,陰の部分が時折顔を覗かせる感じが欲しい役柄なので,なんだかな,という感じ.

直子役の菊地凛子さんは,ちょっと.なんか,時折,顔がごつく感じられるというか,あんまり儚さと美しさがあるタイプでもないですよね.濃厚なラブシーンが必須なので,事務所的にはNGなのかもしれませんが,宮崎あおいさんとか,蒼井優さん辺りを抜擢できたらおもしろかっただろうなと思うのですが,どうでしょう?

まぁ,そんなこんなで,「まぁまぁ」という感じの映画でした.映像の美しさを堪能できればいいやって感じで割り切れる人には「どうぞ」って感じだけれど,「これは観ないと」とまで言い切れる程のものでもないなというのが個人的な感想です.

そういや,昔,ノルウェイの森が好きな人がいたな.

2010/12/28

大学教員のおつむ

えと,鹿児島大学の教育学部准教授であらせられ,専門が英語教育,米文学,ジェンダー学,観光学,国際関係論と多岐に渡る大変博識な大塚清恵先生(博士でなくてよかった.そんでもって言語学も専門でなくてよかった)が大変革新的な論文を鹿児島大学紀要に発表されている(レビューのある雑誌なら掲載されていなかったところだ.よかった).

日本・イスラエル比較文化研究(2) 日本列島は誰が創った

しまった.こんなもん見つけてしまったせいで,朝から腹がよじれてしまいました.頭が完全にお笑いモード.ダメだ,論文読む気にならん・・・

引用するとこんな感じ.

「文字音読みが「ユウ、ユ」と「ホウ、ホ」である字、由・夕・有・湯・油などや鵬・法・峰・保・穂・浦なども全て宇宙船(UFO)を表わすと思う。これは私の考えである」

「月着陸船が興(コウ、おき)、輿(ヨ、こし)、鼎(テイ、かなえ)、只(シ、ただ)という漢字によく似ていることにも気づいてほしい。」 

「月着陸船が降下すると、回りの植物が枯れるのでカラスと呼ばれるようになったのだろう。」 

「三柱鳥居は月着陸船の三脚部分と考えて間違いないと思う。」 


さらに参考文献に,2ちゃんねるとwikipediaが含まれるという徹底ぶり.凄い凄い.


締めは


日本人とユダヤ人は遠くの過去から来た未来人である」と書き,「God bless Japan(原文ママ)」で結論づけられる.


さらに,参考資料では,法隆寺は送電塔をモデルに造っており,ヨーロッパの古城はスペースシャトルをモデルに造っていると断言している.


( ̄▽ ̄;)


よかった.うちの大学には,ここまでの人はいないです.


やっぱり,紀要は論文じゃないですよ.絶対.審査のない論文なんて,僕は認めないよ.


付記:
なんかいろんなサイトで数ヶ月前に流行ってたみたいですね.いろんな関連サイトがわんさか出てくる.

2010/12/27

保育士の資格

えと,うちの大学には幼児教育科があるので,必然的に保育士や幼稚園教諭の養成に力を入れることとなります.

正直に言って,私は幼児教育なんてほとんど知らんので(最近,実は知らないフリをしているだけという説もある),

「保育士に必要なものはなんぞや」

的な話をしている人たちを見ると,傍で「ふーん」という顔をして見ているだけにしている.余計なことを言うと,余分な仕事が増えるだけだし.

学科カリキュラムやら受験要項やらに,受験者に求めるもの,さらには保育士に求めるものなんてのを議論している人たちがいるのだけれど,彼らの言っていることが本当に事実なのか誠に疑わしいと思いながら聞いている.

私なんてのは,「あるべき姿」的な話は基本的に信用ならんと考えているので,幼児教育を志す動機なんて,元気で,社交的で,そんでもって幾ばくか子供が好きならそれでいいのではないかと単純に考えているのだけれど,なんかそういうわけにはいかないみたいです.理由はよく知らないのだけれど,

「元気で子供が好きだから」という理由だけで幼児教育を志されても,ねぇ.

という愚痴を先輩諸氏の先生方が宣ったりするわけですけれど,私には資質としてはそれだけで十分なような気がする.ダメなんだろうか.

そもそも,18歳という年齢で人生設計があれこれと決まるわけでもないだろうし,基本的にいろいろなものにアンテナを張っておいて欲しいし,とりあえず受験する段階で,

あ,これよさそう.

という感性が働いたのであれば,その感性を大事にしておいて欲しいと私は思う.それは言うなれば,第六感,自分の中の生存本能がそういう風に機能せいという指令を出したのだと肯定的に受け止めりゃそれでよいではないかと思うのである.

自分がある種の職業を選択するのに,必然性も何もないだろうと思うし,そういったざっくばらんさが保証されているのが,職業選択の自由を保障する資本主義のいいところなのではあるまいか.

何が自分に向いていて,自分の能力を最大限発揮できるのかなんて神のみぞ知る領域なんだから,自分の思い込みでガンガン突っ走ればそれでいいと思う.仕事なんてとりあえず「やってみない」と何も分からんもんだし.やる前からあれこれと議論したり,考えたりしてもたいして意味はない気がする.

そのことに関して,所謂,「教師」なる人たちがあれこれ口出しすべきではないと個人的には強く思う.

とは思うのだけれど,なんか,合格した受験生達に,新聞を読むことによって,昨今の子供問題や社会問題に関心を持って欲しいとか考える人たちが多いので,なんかスクラップブックを作らせるとかいう課題を課したりするそうです.

まー,好きにすればいいと思いますけど.

しかし,新聞やらメディアが伝える情報が「真実だ」と考える大学教員って意外に多いみたいですね.私個人としては

がっくり

としてしまうのだけれど.

そもそも,マスメディアが伝える情報というのは,自分たちの情報が売れるかどうか,そして自分たちが世論を作ってやっているのだという教条主義に支えられているので,論理もへったくれもない(ことが多い)のに,そんなものを後生大事にされても大学教育には百害あって一利なしと思うのだけれど.

そうではなくて,マスメディアの伝える情報も,ある種の観点から切り取られた情報の一部であって,それを肯定的ないしは否定的に分析する機会を与えることにこそ意味があるのであって,人様の情報を鵜呑みにして,それを「大学教育」と呼ぶのは随分と怪しいというか,場合によっては詐欺なのではないかとすら思える程なのですけれど.

まぁ,思考を相対化するという訓練を受けていない人たちが集まると,こういうことになるということなのかもしれない.

そもそも,自己を含めて,分析・相対化するという能力が決定的に欠けている人たちは,やたらと教条的なことを口にするものだなと(悪い意味で)感心してしまう.よくも,まぁ,あれだけ自分に自信を持って,自分はこれだけのことを知っている立派な教育者・保育者だから私の言うことに従いなさいなどと言えるもんだなと思う.

そういう人ってよく考えたら,小学校や中学校に多かったですね.だいたいが,彼らの頭の中には,「模範解答」なるものがあって,そこから逸脱することを考える人間を「変」だとか言って,小バカにしたりするのだけれど,こういうのって想像力の欠如って言うんだろうなと子供心にいろいろと考えていたものである.

大学に行って,周りの友人や少なくない大学教員がそうではないということを知って,自分は心地よい開放感を感じたのをなんとなく昨晩思い出していたのです.

保育者は,あれも知って,これも知って,それでいてこういう体験もしておいてetc etcと,自分は本当にそんなこと知っているんかえ?と傍から聞いてやりたくなることもよくありますけれど,せめて自分だけは,もっと肩の力を抜いて,気楽にやって,そんでもって,私の言っていること自体も,ある意見の一つに過ぎないということに気づいてもらって,それを客観的に評価できるような視点が養えるような機会を提供していきたいなと思っているのですけれど.

って,来年度の授業計画を考えながら思いついたのですが,でも,たかだか語学じゃな.志高くしてもしゃーないですしね.

難しいもんだな.

2010/12/26

アル中?

確か去年のこの時期は,本当に切羽詰まりながら博士論文の仕上げに入っていて,年明けの1月6日だか8日だかが締め切りだったので,直前まで論文書きと参考文献読みに追われていたのを覚えています.

おかげさまで,めっちゃ忙しくて,くたくたの年末年始だった.思い出したくない.

それで,論文をソフトバインディングにして,郵送後,1日か2日だけ休んで,そのまま去年の職場では大学受験対策真っ盛りだったので,ひっさびさにセンター試験を分析しまくって,教材を作ったり,なんかいろいろドタバタと仕事をして.

その後は完全ラストスパートモードで,平日は朝の7時(ないしは30分)から,夜は8時までひたすら働いて,解答見てくれとかいう人たちの解答を持って帰って,そんでもって,土曜も昼の2時だか3時だかくらいまで働いて.

土日は確か合間にクラブの面倒も見ないといけなかったのだけれど,何せ,3月頭に口頭試問(イギリスではvivaと呼ばれて,外部と内部の審査員によって厳重に,長時間に渡る口頭試験があるのです.20-30分で概要を発表すればOKのアメリカのdefenseとはちょっと事情が違います)を控えているので,それの対策もしたかったので,クラブはちょこちょこと顔を覗かせる程度で,自分の配属の部屋でひたすら関連文献を読みまくっておりました.

そんな感じの生活をずっと続けて,とりあえずめでたくdefence(イギリス綴り)に成功.ちょっとパリを散策してきて,帰国後,3, 4日くらい高校生さんたちと遊びまくって(いろいろお世話になりました.正直,みなさんは仲間って感じがします.もし札幌に来ることがあれば,なんか奢りますんで,連絡くださいね.北大に受かってもなんか奢ります.うちの大学だと,もっともっと嬉しいけど),1日で荷物をまとめて,そんでもって札幌に3月27日の夜に来て,それで,4月1日から勤務開始だったんだよな,確か.

いろいろあった2010年でしたが,無事にやるべきことを終わらせて,そんでもっていい職場に就職もできて,いい年でした.余りに幸運続きだったので,来年はちょっと怖いんですけど.(ちょっとした不幸が2, 3あった方が落ち着くんですけどね.いくらなんでもバランス取れてなさ過ぎな感じなので)

まぁ,ちょっとした不幸は長い海外生活のせいで,日本に居場所をなくしてしまったことくらいでしょうか.実は大阪にも帰る家がないので,年末年始は北海道にいる予定です.正月だからということで,別にご馳走を食べようとか,そういう気には特にならないのですけれど(お餅も食べないと思われる.カロリー高いし),お酒くらいは奮発してもいいかなと思って,最近,ちょっと買い気味です.

赤と白のワインはめちゃくちゃ揃っていて,ワインセラーがあった方がいいんじゃないかって感じだし(おしゃれなのがあれば買うのですけれど),ビールも,サミュエル・アダムズ(ボストン発祥の地ビール.アメリカのビールで唯一おいしい)があればいいなと思って,発寒のイオンモールの専門店に行ったのだけれど,目当てがなかった代わりに,ベルギーのシメイやヨーロッパ系エールがちょっとあったので,それらと,あとシェリーのアモンティリヤード,それと八海山なんかを買ってきました.

元々,ジンやウォッカ,ベルモットやアマレット,スコッチウィスキーなんかも置いてあるので,台所がちょっとアル中の人っぽい感じになっています.

ま,いっか.別に毎日お酒を飲んでいるわけでもなし.

それで,今日はなんとなくのアレンジレシピで,かぶのポトフなんてのを作ってみましたけど,おいしかったです.それにフランスパンとスモークチーズ,赤ワインを飲んだのですが,なんか日本人っぽくない食卓ですよね.

あ,でも最近食べた鱈の白子は(「たち」と言うらしい)とてもおいしかったです.「たちポン」と言って,白子をさっと湯がいて冷水に入れ,それからポン酢につけたやつです.

年末はちょっとホッキ貝で何か作ってみようかな.

2010/12/20

オーギー・レンのクリスマスストーリー

雪と寒さを連想させる(南半球は違うけど)クリスマスという季節は,外気が寒いせいか,心が暖まるようなセンチメンタルなクリスマスストーリーを聞いてほっこりとした気分になりたいと思う一方,なんかの作り話のような甘ったるくて幻想的な話なんて聞きたくないなという矛盾した心情になってしまう.

そんな,一見,無茶な要求に応えてくれるような短編小説があります.

Paul Auster著作のAuggie Wren's Christmas Story

作品が発表されたのは1990年の12月25日.New York Times.私は,大学の学部時代に翻訳夜話という村上春樹さんと柴田元幸さんの著作の中で,二人の翻訳を読んだことがあったのですが,記憶がうっすらとしか残っていなかったので,ちょっと趣味も兼ねて翻訳してみました.一応,大学の英語教材の一つとして使わせてもらったのですが.

昔ならいざ知らず,今は一応,北海道のちゃんとした国立大と私立大で教鞭を執っている立場なので,訳が下手くそだったら申し訳ないのだけれど,クリスマスシーズンだし,掲載してみようかと思います.

ちなみに,原文はこちらです.

Auggie Wren's Christmas Story-Paul Auster

それでは,雪の夜に酒の入ったグラスを揺らせてお楽しみください.






オーギー・レンのクリスマスストーリー

ポール・オースター

私はこの話をオーギー・レンから聞いた.オーギーはこの話の中で,あまりいい役柄は演じていない.少なくとも,彼自身にとっては願ってもない役とは言い難い.そういうわけで,彼は私に,彼の本当の名前は使わないように頼んだのである.それ以外は,この話の全体,なくなった財布や盲目の女,クリスマスディナーのことについては概ね,彼が私に語った通りである.

オーギーと私は,もう知り合って11年近くになる.彼はブルックリン繁華街のコートストリート沿いにある,一軒の葉巻屋のカウンターで働いている.何せ,私が吸いたいと思う小さなオランダ製の葉巻を置いてある店はここ一軒だけなので,足繁くここに通うことになる.長い間,私はオーギー・レンについてあまり気にとめてこなかった.彼は小さな風変わりな男で,フードの着いたブルーのスウェットシャツを着ており,葉巻と雑誌を売ってくれる,ちょっとお茶目な皮肉屋で,いつも天気やら,メッツやら,ワシントンにいる政治屋なんかについて何かおもしろいことを言う奴である.そんな程度のことだった.

だが,何年か前のある日,彼はたまたま店にある雑誌をざっと眺めており,偶然,私の本の一つの書評に目を止めたのである.彼には,それが私だと分かった.というのも,その書評には写真が添えられていたからである.その後で,我々の間の何かが変わった.オーギーにとって,私は単なる客の一人ということではなく,特別な人間になったのである.普通,人は本やら作家やらといったものには,気もとめないものだが,オーギーは自分をちょっとしたアーチストであると考えていたということが判明した.今となっては,彼は私の秘密を暴き出しており,私を自分の味方,親友,戦友だと思っているのである.実を言えば,これはちょっとありがた迷惑だった.その後,まぁ,避けようもなかったのだが,彼が自分の写真を見てくれないかと言ってくる瞬間がやってきた.彼の熱意と善意を考えると,その申し出を断る方法はちょっとなかったような気がする.

その後,私に何が見せられるかなんて,誰が知っていただろうか.少なくとも,オーギーが私に見せてくれた類のものは予想していなかった.店の奥の,小さな窓のない部屋で,彼は段ボール箱を開け,12個のみな同じ外見のフォトアルバムを取り出したのである.「これは,俺のライフワークなんだ.1日に5分とかからない」と彼は言った.ここ12年の間,毎朝,彼はきっかり7時にアトランティック・アベニューとクリントンストリートの交差点に立ち,全く同じ場所を一枚ずつカラー写真で撮っていたのである.そのプロジェクトは,今ではもう4000枚以上になっていて,11つのアルバムは異なる年度を示しており,全ての写真は11日から1231日まで列に沿って並べられており,写真の下に几帳面な字で日付が記録されてあった.

アルバムをめくり,オーギーの仕事をじっと眺めだしている間,何を考えればいいのか分からなかった.初めの印象は,自分が見てきた中でもとりわけ奇妙で,訳の分からない物だなというだけのことであった.プロジェクト全体は,気の遠くなるような繰り返しの猛襲で,同じ通りと同じ建物が何度も何度も現れ,容赦ない重複する写真の譫妄であった.オーギーに何を言えばいいのか思いつけなかったので,ただひたすらページをめくり,さもわかったようにうなづいていたのである.オーギー自身はなんだか落ち着いたような感じで,満面の笑みで私のことを見ていたのだが,何分かした後で,突然口を挟んだ.「速すぎるな.ゆっくり見ないと,何も分からんよ」.

もちろん,彼は正しかった.時間をかけなければ,決して何も見えないのである.私はもう一つのアルバムを取り出し,もっと丹念に進むように自分に言い聞かせた.細部に注意を払い,天気の変化に気づき,季節が過ぎる毎に変わりゆく光の角度を注意深く眺めたのである.するとじきに,交通の流れの微細な違いに気づけるようになり,異なる日々のリズムを予期することができるようになった.仕事の朝という周期的運動,それに比べての週末の静けさ,土曜と日曜の間のコントラストといったようなことである.それから,少しずつ分かるようになってきた.背景にある人々の顔,仕事に向かう歩行者たち.毎朝同じ人が同じ場所を通って,オーギーのカメラの中で,それぞれの人生の一瞬を生きている.

一度,彼らのことが分かるようになると,彼らの姿勢に注目した.ある朝から次の朝にかけての動き方を詳細に観察し,外見から彼らの胸の内を推し測ろうとした.まるで,私が彼らのストーリーを想像できるかのように,まるで,私が彼らの体の中に閉じ込められた目には見えないドラマが見通せるかのように.それから別のアルバムを取り出した.もう退屈ではなかったし,最初の頃のように戸惑ってはいなかった.私には分かった.オーギーは時間を,自然の時間,人間の時間,その両方を写真に撮っているのである.世界のほんの小さな片隅に根を下ろし,それをわがものにすべく自分の意志を注ぎ込み,自ら選び取った空間で,見張り台に立ち続けることによって.彼の仕事に夢中になっている私を見て,彼は上機嫌に微笑み続けていた.それから,まるで私の思考を読みとっているかのように,彼はシェイクスピアの一説を朗吟し始めた.「明日,また明日,また明日」息をしてつぶやき,「時間は小刻みな足取りで,一歩一歩を歩む」.そう,自分がやっていることの意味を,オーギーは完全に把握しているのだ.

それ以来,既に2000枚以上の写真が撮られた.その日から,オーギーと私は,彼の仕事について何度も語り合った.しかし,彼がどういういきさつでカメラを手に入れ,写真を撮り始めたのかということを知ったのは,つい先週のことである.それが,彼が私に語ってくれたストーリーのテーマであり,私は未だにその意味を分かろうともがいているのである.

その同じ週のこと,ニューヨークタイムズのある男が私に電話をかけ,クリスマスの朝に載せるショートストーリーを書かないかと尋ねてきた.最初は衝動的に,「無理」だと言おうとしたのだが,その男があまりに魅力的で忍耐強かったので,会話の終わりまでには,私はとりあえずやってみると彼に伝えた.しかし,電話を切った瞬間に,私は深いパニックに陥った.自分がいったいクリスマスについて何を知っているのだろう?私は,自問した.注文に合わせて,ショートストーリーを書くなんていう仕事について,私に何が分かるというのか?

私はその後数日を絶望の淵で過ごし,ディケンズ,O. ヘンリーやその他諸々のキリスト生誕の日を巡る著作の巨匠の亡霊達と戦った.そもそも私には,「クリスマスストーリー」という言い回し自体に不快な響きがあり,偽善っぽい戯言や甘ったるい話の恐ろしいほどの応酬が喚起される.どんなによく言ったところで,クリスマスストーリーなど所詮,願望充足の絵空事,大人のためのお伽噺に過ぎず,その手の類のものを自分が書こうなど,考えるだけでもうっとうしく思えてくる.しかし,一方で,誰がセンチメンタルでないクリスマスストーリーなど書こうと思うだろうか.そんなものは,完全なる自己撞着であり,不可能なことであり,紛うことなき難問なのである.足のない競走馬,翼のない雀を想像することの方がまだしも楽というものだ.

どうしようもなかった.木曜日に,私は長い散歩に出かけ,新鮮な空気に触れて頭をすっきりさせようとした.昼を過ぎたところで,手持ちの蓄えを補充しておこうと思って,例の葉巻屋で立ち止まると,いつも通りにオーギーがカウンター越しに立っていた.彼は,私に「元気か?」と聞いてきた.はからずも,私は気がつけば自分の思いの内を彼に打ち明けていた.「クリスマスストーリー?」私が話し終わると,彼は言った.「それだけのことか?もし,昼飯を奢ってくれるなら,そうだな.今まで聞いたこともないような最高のクリスマスストーリーを話してやる.しかも,一言一句,掛け値なしの実話ってやつを」

我々はジャックへと歩いて行った.そこは,狭苦しくて騒々しいカフェテリアで,パストラミサンドイッチが旨く,壁に古いドジャーズの写真を掲げてある.我々は奥の席でテーブルを見つけ,注文し,それからオーギーが話を始めた.

72年の夏のことだった」と彼は言った.「ある朝,一人のガキがやってきて,店から何かを盗み始めたんだ.年の頃は1920かといったところか.とにかくそれまでに,ここまでひどい万引きは見たことがなかったね.店の向こう端沿いのペーパーバックの棚の側に立っていて,レインコートのポケットに片っ端から本を詰め込んでいたんだ.ちょうどそのとき,カウンターの辺りが混雑していてな,それで俺も最初は気づかなかった.しかし,ガキが何をしようとしていたのかが分かると,俺は叫んだんだ.すると,ガキは脱兎のごとくその場を立ち去り,ようやくカウンターから出られたと思ったら,既にアトランティック・アベニューを這々の体で走っていた.半ブロック程追いかけたんだが,それで諦めた.ガキは道沿いに何かを落としていて,それにこれ以上走りたくなかったから,何だろうと思って,しゃがんでみた.

それはガキの財布だった.金は一銭もなかったが,3, 4枚のスナップと一緒に運転免許証が入っていた.警察を呼んで,逮捕してもらうこともできたんだと思う.何せ,こっちは名前と住所が免許証から分かっているんだから.だが,なんだか妙にこのガキがかわいそうに思えてな.どうせ,ちんけなくだらんゴロツキなんだろうし,一度この写真を見てしまうと,怒る気にもなれなかったんだな.ロバート・グッドウィン.それがガキの名前だった.免許の中の写真の一枚は,確かこのガキが自分の母親だか祖母だかに腕を回して立っているのがあったはずで,別のやつには,満面の笑みで野球のユニフォームを着て笑っている9歳か10歳頃のものもあった.なんか,気の毒でな.恐らく,今ではヤク中かなんかなんだろうし.ブルックリンの貧乏な家に生まれて,将来の見通しも明るくはない.それにゴミみたいなペーパーバックなんて誰も気にしないだろ?

というわけで,その財布はずっと持っていた.時々は,ちょっとこいつを返してやりたいなとも思ったんだが,ずるずると先延ばしにしてしまって,とにかく何もしなかったんだ.それでクリスマスがやってきて,俺はやることも特になかった.いつもは店のオーナーが,クリスマスは家に招待してくれるんだが,その年は家族で,フロリダにいる親戚に会いに行ってしまっててな.だから,クリスマスの朝は自分のアパートでじっとしていたんだが,なんだか自分が哀れに思えてきてしまった.その時,キッチンの棚の上にロバート・グッドウィンの財布が置いてあるのが見えた.そうだな,たまには何かいいことをしてもいいだろうと俺は考えて,コートを着て,直接この財布を返そうと出かけることにした.

住所はボーラム・ヒルと書いてあった.ほら,団地が並んでいる辺りだよ.その日は凍てつくように寒い日だってのに,目当ての建物を見つけるのに何度か迷子になってしまった.ああいう所って,なんか全部同じ感じに見えるだろ.どこか違う場所に行ってるんじゃないかって考えているのに,実際は同じ所をぐるぐると回り続けているとか.とにかく,まぁなんとか目当てのアパートにたどり着いて,ベルを鳴らしてみた.だが,何も起こらなかった.誰もいないのかと思ったんだが,まぁ,念のためって思ってもう一度鳴らしてみた.少し長めに待っていて,ちょうど諦めかけようかって時に,誰かがのそのそとドアの所にやってくる音が聞こえる.年のいった女の声で「どなたですか?」って聞くもんだから,「ロバート・グッドウィンを探しているんですが」って答えた.『お前かい,ロバート?』とその婆さんは言った.それで,15個近くの鍵を開け,ドアを開けた.

この婆さん,少なくとも80歳,いや,たぶん90歳くらいだったんじゃないか.それで,とにかくまず気付いたのが,目が見えないってことだった.『ロバート,きっと来てくれるって思ってたよ』と婆さんは言った.『クリスマスの日に,あんたがエセルお婆ちゃんを忘れるわけがないもの』それから,婆さんは両手を広げて,今にも俺に抱きつこうとした.

分かると思うが,考える時間なんてなかったんだ.とにかくぱっと何かを言わないといけない.それで,自分でも何が起こったのか分からない内に,その言葉が思わず口をついて出てきてしまった.『そうだよ,エセルおばあちゃん』と俺は言った.『クリスマスだから,会いに来たんだよ』なんでそんなことをしたんだとか聞かないでくれ.わけが分からなかったんだ.恐らく,婆さんをがっかりさせたくないとか,そういうことなんだろうが,とにかく分からない.とにかくそうなってしまったんだ.それで,この婆さんがそこ,つまりドアの前で突然俺に抱きついてきて,それで俺も抱き返したんだ.

別にはっきりと自分が婆さんの孫だって言ったわけじゃない.少なくとも言葉では言ってないし,まぁ,そういう含みを持たせたことは確かなんだが.でも,婆さんを騙そうとしたわけじゃない.それは,ちょうど俺たちが二人でやろうと決めたゲームみたいなもんだったんだ.前もってルールまで決めたわけでもないがね.つまりだな,その婆さんだって,俺が孫のロバートじゃないってことは知っていたんだよ.確かに,年老いてフラフラしてはいるが,でも赤の他人と血肉を分けた肉親を区別できないほどには,ボケちゃいなかった.だが,孫のフリをすることで,楽しい気分にさせられたんだな.とにかく他にいい方法があるわけでもないし,進んでこっちも話を合わせようってことにしたわけだ.

それで俺たちはアパートの中に入って,一緒にクリスマスを過ごすことになった.その場所は,こう言うのもなんだけど,本当にゴミ捨て場みたいだったよ.でも,盲目の女一人でちゃんと家事をやっとけなんて,どだい無理な相談だよな.その婆さんが,俺がどうしてるのかって聞くたびに,俺は嘘をでっち上げたよ.葉巻屋のいい仕事が見つかったんだ,だとか,今度結婚する予定だ,だとか,とにかく100くらいのかわいらしい嘘をついた.そうしたら,向こうもその一つ一つを信じるフリをしてな.『ロバート,そりゃよかった』って,頷いて,笑いながら言うんだな.『お前のことだもの,きっとうまくいくはずだってずっと思ってたよ』

しばらくして,俺はかなり腹が減ってきた.家の中にはあまり食いもんもないような感じだったから,近くの店に行ってきて,とりあえずいろいろ買ってきた.ローストチキン,野菜スープ,ポテトサラダを1バスケット,チョコレートケーキ,そんな感じのもんだ.エセルはベッドルームに2本ワインをしまってあったから,俺たちでなんとかまともなクリスマスディナーを揃えることはできたよ.それで,確か,二人ともワインでちょっと酔っぱらったんで,飯を食った後,リビングに行ったんだ.椅子の方がずっと心地よかったからな.そこで,俺は小便がしたくなったんで,ちょっと失礼して,廊下の方にあるトイレに行ったんだ.その場所で,また事態が変わった.エセルの孫のフリをするってのも随分とあほらしい冗談だと思うんだが,その次に俺がやったことってのは,もうどうしようもないくらいいかれてたと思うよ.ちょっとこれは自分でも許せないくらいなんだが.

トイレに行って,シャワーの隣の壁に,6つか7つのカメラが重ねてあるのを見たんだ.新品の35ミリカメラで,まだ箱に入ったままの最高品質のやつだった.本物のロバートがやらかしたことなんだろうなって思ったよ.最近,あのガキがせしめてきた獲物を置いておく保管場所の一つなんだろうなと.今までの人生で写真なんか撮ったこともなかったし,誓って盗みなんてしたことなかったんだが,こいつらを見た瞬間に,自分でも一つ欲しくなってしまってな.ただ,それだけなんだ.そんなこと考えるのもやめようとか思う間もなく,カメラの箱の1つを俺は脇の下で抱えて,それでリビングに戻った.

3分もリビングを離れていたはずはなかったんだが,その時にはもうエセル婆さんは椅子のところで眠ってしまっていたよ.たぶん,キアンティを飲み過ぎたんだろうな.俺はキッチンに行って皿を洗った.ガチャガチャ音を立てていた間も,エセル婆さんは赤ん坊のように寝息を立てて寝ていたな.起こすのも悪いと思ったから,俺はその場を立ち去ることにした.さようならって書いたメモも残していけなかったよ,何せ,婆さんが盲目なのは分かっていたからな.それで,とにかく俺は家を出た.ロバートの財布は机の上に置いて,またカメラを手にとって,それでアパートの外へ出た.これで話はおしまいだ」

「それ以降,婆さんに会いには行かなかったのか?」私は尋ねた.

「一度だけ」と彼は言った.「3ヶ月か4ヶ月かした後だ.カメラを盗んで悪かったと思っていたし,全然使ってもいなかった.なんとかかんとか,それを返しに行こうと決意したんだが,でもエセルはその場所にはもういなかったよ.何があったのかは知らないが,でも誰か別の人間がそのアパートに移ってきていたし,そいつも婆さんがどこに行ったかなんて分かるわけなかったしな」

「多分,死んだんだろうな」

「あぁ,多分,な」

「つまり,その婆さんは君と最後のクリスマスを過ごしたというわけだ」

「そうなのかもしれんな.そんな風に考えたこともなかったが」

「いいことしたんじゃないか,オーギー.君がやったことはよかったと思うよ」

「嘘をついたし,盗みもした.それなのに,なぜ君がいいことをしたなんて言えるのか分からないね」

「婆さん,幸せだったんじゃないか.そのカメラだって,どうせ盗まれたもんだったんだろ.君が取ってきたカメラだって,どうせ本物の所有者のものというわけでもなかったんだろうし」

「アートのためならなんだって,か,ポール?」

「そんなこと言ってはいないよ.でも,少なくとも君はカメラを有効に使っている」

「それで,今は君もクリスマスストーリーが手に入った,と」

「あぁ」と私は言った.「どうやら,そのようだな」

私はしばらくじっとして,オーギーがいたずらっぽく満面の笑みを浮かべたのを観察していた.確信は全然持てないのだが,彼の目の中はあまりにミステリアスで,密かな嬉しさで満たされていたので,突然,ここまでの話を全部でっちあげたんじゃないかという思いがふと頭をよぎった.私は,自分を騙そうとしたんじゃないかと問い詰めたかった.だが,まともな答えなんて返ってくるはずがない.私は,彼にまんまと騙されていて,そのことだけが意味のあることだったのかもしれない.でも少なくとも,信じる者が一人だけでもいるのなら,事実たり得ない話なんてないのである.

「オーギー,君は最高だよ」と私は言った.「ここまで力になってくれてありがとう」

「お安いご用」と彼はそう答えた.私を見る彼の目には,まだ狂気の光があった.「まぁ,何にせよ,秘密も共有できない友人なんて,どんな友人なんだってことなんだろうな」

「たぶん,私は一つ借りができたんだろうな」

「ないよ.君は単に俺が言った通りに書けばそれでいい.君は俺に何一つ借りなんてない」

「昼食を除いては,ね」

「そう.昼食以外には,な」

私はオーギーに微笑み返し,それからウェイターを呼んで,勘定を頼んだ.

2010/12/19

収穫

今回の京都訪問では,韓国系の言語学者と交流できたのが凄く大きかった.

特に,USCでも会ったのだけれど,キョンヒ大学のジョンボクは研究分野もけっこう重なるので(アプローチは違うのだが)生産的な話がいろいろできてよかった.(念のため書いておきますけど,相手はお偉いさんです)

ご飯を食べながら,そして温泉に浸かりながらいろいろと話をしていたのだけれど,人柄もいいし,ソウルに行くことがあれば飯くらいは奢ってくれるそうなので,ちょっと行ってみたいなと考えている今日この頃.

それと,朝鮮語のデータに関して,ソウル国立大のソンギョさんともいろいろ議論できたのがよかった.私が追っかけている日本語の細々としたデータと朝鮮語と一致することが多いので,今後,比較研究することはなかなか生産的だと思われます.

言語の祖先的には,日本語と朝鮮語がつながっているという証拠はないのだけれど,統語的には両者は非常に似通っているので,何が共通点で何が違うのかを分析的に観察することは,言語理論の発展にとって必要不可欠なことだと思います.まぁ,日本語と英語を初めとする西欧諸語とは違いすぎるくらい違いすぎるので,日本語と,英語と,朝鮮語とを比べてでてきた一般化はかなり汎用性が高い確率がある.

まぁ,3つとも対格言語で,能格言語なんかと比べるとまた全然違うことになりかねないのですけれど.

そもそも,私はワシントン大学で,フリッツとスーウォン・キムの2人に統語論の手ほどきを受けたので,韓国系の言語学者にはとても親近感を感じます.ヨークでも,サブアドバイザーのジョージの奥さんがクッキーという韓国人だったので,いろいろと世話になったし.

イギリスにいた頃は,ソウルなんて「遠いがな」という一言で全然目もくれていなかったのだけれど,札幌からだとソウルまで直通便もあるくらいなので,近い将来に行く機会はありそうな感じ.私は辛い物も好きで,別に韓国に違和感も何もないので,ちょっと行ってみたいですね.

ただ,ハングル模様がワケわかめなんですが.記憶力がある間に朝鮮語も勉強しておくか.

それと,フランス語と,ドイツ語も.(って,無理やがな...)

2010/12/17

出世街道を走る?

えと,職場総出のクリスマス会というのがありました.

教職員一同が揃って,大学の食堂で飲み食いをする会です.

ビール,日本酒,赤・白ワインにその他ソフトドリンクが飲み放題状態で,すき焼きを囲むとかいうものです.

しかも,肉なんて霜降りの豪華なやつばっかり.

さらには,会場で配布された番号札に従ってクリスマスプレゼントが用意され,札幌グランドホテル特製のクリスマスケーキを現物で,ないしは引換券が(以下の画像参照)配布されるとか至れり尽くせり.



なんか凄いもんですね.これが「普通」だとか「当たり前」だとか思わないようにしたいものですが.

実は冬のボーナスというもので,車のローンも支払い終わって,借金がゼロ状態で,今後の収入は全部貯蓄できるとかいう状態になって,別に貧乏でも何でもないのですけれど,やっぱり学生時代の貧乏気質は全然抜けない感じで日々を過ごしております.

何せ,値札が500円以上の食べ物なんて怖くて買えないですし(例外は仕事で帰りが遅くなって,半額で売りさばいている寿司を見つけた時くらいなものか),肉なんて最近「いつ食ったっけ?」って状態ですし,すき焼きなんて代物,一人暮らしなので作ったことがないとか,なんかそういう生活をしています.

そういうわけで,昨日はなんかご馳走攻撃で疲れてしまった感じです.

そんなクリスマス会だったのだけれど,座席は基本,自由なんですが,会場に着くや否や,座る場所を指定されてしまったのです.

6人テーブルで,私の他は,理事長,学長,副学長,学部長,懇親会会長という面々.しかも,理事長のすぐ前の席.

どういうことなんだ?

まぁ,厚かましくもそんな座席で飲み食いさせてもらって,二次会では元副学長の元気なD先生に近くの洒落た居酒屋に連れて行ってもらいました.

10人くらいで座敷を占拠して,生牡蠣やらなにやら,北海道名産の新鮮なシーフード尽くしで,飲み物は八海山をいただく.

その元気なD先生は,自称「注ぎ魔」で,次から次へとお酒を注がれて,とにかくたくさん(4~5本飲んだ)飲んできました.

気がつくと,12時半だか1時前だかの時間だったのだけれど,何せ私は家が大学から近いので普通に歩いて帰ってきました.

そんなこんなで,初年度から大学幹部の人たちの中に混じらせていただいたのだけれど,気後れせずに楽しい一時を過ごさせてもらいました.

今日からしばらくは,精進料理みたいな粗食で生きていこうと思いますが.

2010/12/15

どうにかしたいのだが

距離を取るべきだという見解があるのは認めるつもりなのだけれど,学生さんたちと近い距離で話していると,本音の意見がいろいろ聞けるのは大きなアドバンテージだと思う.

女性なんかだと,打ち解けすぎると,あまりに歯に衣着せぬ発言を連発してしまうので,少々おっかなびっくりな気分になることも多いのだけれど,でも,上辺のアンケートだのなんだのを見て自己満足に浸っていても別にいいことはないと思うので,私はこの距離感でやっていけるならしばらくやっていこうかなって思います.

教員同士の会議の発言なんかを見ていると,「学生が学ばない」だとか,「学ぶ姿勢がなってない」だとか,「能力がない」だとか,「言っても分からない」だとか,批判する発言は枚挙に暇がないのだけれど,なんだかどれにも釈然としない感覚がある.

確かに,少数のちょっと扱いにくい人たちがいるのも事実だし,最初から面を上げて積極的に全てを吸収しようとかいう姿勢の学生がいないのは事実だし,そういうのが理想なんだろなとも思う.

でも,日本全国というか,世界を見渡してもそんな大学ないと思います.

たぶん.

うちのような地方のちょっといい大学程度の水準だと,ついつい東大や京大,早慶上智に旧帝大なんかを夢想して,その手の名門大学にはそういった理想の学生が溢れていると考えている人たちがいるみたいだけれど,それは誤りだと思う.

この種のレベルの高い学生だと,まずインストラクターの水準をシビアに評価してくるし,それこそちょっとでもまずい授業をするようだと,全然話も聞かないで,インストラクターを見下してくるくらいのことはしてくるものである.

自分たちがそうだったので,それくらいは分かる.

最初から露骨に単位稼ぎのためだけに受講してくる学生はともかく,専門の授業になれば,基本は真剣勝負である.こっちがしょぼい授業をしていても目をきらきら輝かせて,「素直に」聴くような学生なんざいないと思われる.

でも,別にこれは悪いことではなくて,教員も常に試される立場にあるわけだから,その程度でちょうどいいと私は思います.プライドだけが専攻して,若気の至りで実は優秀な研究者をバカにする学生もいることは事実だけれど,この程度の弊害は人間と人間との関係なのだから別にあってもいいんじゃないかと思う.

視点を変えて.

読み書きのレベルからして怪しい,もはや「大学」という水準にない大学は,まぁ,「しゃーない」って感じはします.確かに.とりあえずは,社会にまっとうに出られるだけの訓練を施すことができれば御の字かなと思われます.

そんなレベルに比べると,うちの水準なんて高いもんだと思うし,素直でいい学生がほとんどだし,知的レベルも,現在の水準では確かに高くはないかもしれないけれど,ポテンシャルを秘めている学生さんはけっこうたくさんいるという手応えはある.

この大学で,学生さんたちに注目してもらえるような講義ができないとか,話を聞かせられないとかいう人たちは,正直,能力不足なのかなと思います.

果たして片手で数えられる程いるのかも分からないような,突出した研究能力を持った人ならまだしも.(ちなみに,うちで研究水準の高い人は,授業の評判もよろしいです)

なんか,うちの大学で教員が「素直な」学生が欲しいとかなんとか言っているのは,無条件で自分の言うことに付き従う奴隷を求めている人たちのわがまま勝手にしか聞こえないんだよな.

そんなことを考えることがちょこちょこあるので,うちの授業に絶望しているというか,達観した感覚を持っている学生さんたちを見ていると,ちょっと残念というか,申し訳ない気持ちになってしまう.もっと「ぐい」っと,引き込む感覚を与えられる機会を提供したいという思いがひしひしとしてしまう.

「授業なんて適当でいいし,学生の顔色を伺っているのなんて三流のやることだ」というのは,なぜか大学教員の間ではわりと主流を占めているかもしれない「常識」なのだけれど,なんだかなぁと思う.

うちの学部の,他の学科の教員さんたちで,いい評判を聞く先生はちょこちょこいらしゃいます.そういう話を聞くと,ありがたいというか,ちょっと嬉しくなるのだけれど,実はうちの学科の教員で「これ」という話って,ほとんど耳にしないんですよね.

まぁ,組織上の学科教員でしかない私がこんな考えを持っていてもなぁんにもならないんですけど.

2010/12/14

えと,雪がたーくさん降ってきました.

まぁ,実を言うと,まだ雪が降ってくるとテンションが上がってくるといいますか,なんか「楽しい」という気分になってしまう内地人間的気質が全然抜けないのですけれど,さすがにこれだけ雪が降ると「大変」という気分になってきますね.

気温が氷点下でも,雪が降っていると,なんとなく「骨身に染みる」寒さって気分にならないのだけれど,車のあちこちに雪が積もり出すとさすがに「やべー」という気になってしまいます.

前方と後方はなんとか雪を払えても,サイドミラーと横の窓ガラスが雪で視界を遮られてしまうと,さすがに怖いですね.しゃーないので,とことんゆっくり走らざるを得なくなってしまうし,車線変更はめちゃくちゃ気を遣うようになってしまう.

車線変更がこんなに怖いもんだとは,今まで予想だにしてませんでしたけど.

そんでもって,雪の中だからか,バカ道民だからか知らないのですが,普通に自動車道を横切る歩行者もいて怖い怖い.こいつら,横断歩道や信号まで歩くということを考えないのだろうか?と切実に思う.

そんでもって,雪の中で,バカタクシーやら(ここの「バカ」は非制限用法で使用されています)バカ車やらが近くに来ると怖いのなんの.よく,雪道の中であれだけ暴走できるものだと感心してしまう.(近寄りたくないっす)

それに加えて,マンション前の駐車場にバックで車を駐めるのもめちゃくちゃ難しいですね.うちはマンション前の道路から後方向きで車を止めないと仕方がないような作りになっているのだけれど,両サイドの視界がふさがれているので,まず駐車場の入り口に入るのが難しいし(ちょっとした段差が雪のせいで厳しくなっている),そんでもって私の駐車位置が一番奥(つまり最も建物寄り)なので,実質何にも見えない状態が作られてしまう.

しゃーないので,雪の中,ドアをちょっと開けながら無理矢理駐車することに成功しました.これからこんな感じでやっていかないといけないんだろうな.

ちなみに明日は最高気温でも氷点下,最低気温は−7度って話だけれど,通勤はけっこう大変そうですね.ちょっと早めに家を出ないといけないな.

自分も,そして関係者も無事に大学に着けるといいのだけれど.

ちなみに,2010年度は交通事故死亡者の数で北海道が1位を爆走中らしいです.まぁ,端から見て,「こいつは危ないな」という車が多いですからね.私も何度ドアから引きずり下ろして,しばき倒してやろうかと思ったことか.(歩行者の横断を待っていると,後ろからクラクションを鳴らされまくって,その後,煽られるとか,赤信号で止まっても鳴らされまくって煽られるとか,タクシーのバカどもの信号無視やら幅寄せやら,急なUターンに肝を冷やすとか,なんか珍しくない程度にそういう目に遭います)

2010/12/13

寒いけど落ち着く

朝の5時44分という始発に乗らねばならなかったので,温泉宿までタクシーに迎えに来てもらって,京都駅に着く.

それから,バスで伊丹空港まで行き,飛行機で新千歳まで.

朝が早かったので,乗り物では基本,寝ていました.なんか「気がつくと」着いたって感じだったので,なんか心地よかったです.

午後の仕事も無事に終了.車に積もった雪をかきかき,買い物に行き,ジムに行き,素朴な夕食(ちょっとご馳走が続いていて,疲れた)をいただき,ワインのボトルを開けてほっと一息.

なんだかんだで,ちょっと今は札幌が帰る場所になりつつありますね.地元は関西なのだけれど,今の住まいは札幌といった感じです.

ところで,週末の学会はなかなかハードなスケジュールだったのだけれど,楽しかったのです.フィードバックがとにかく多くて,生産的な学会で,また機会があるのなら(プログラムとしはこれが締めなんだけど)こういうのに参加してみたい.

それと,バカみたいな意見だけれど,日本だけじゃなく他国でもPhD持ちの人たちの水準って高いよなって気にさせられました.こういうことを言うと,「日本国内でも水準の高いものもあって,海外でもetc etc」とか言われるのだけれど,あくまで「傾向」です.

なんだかんだで,割合的に見て,というか,PhD持ちの人たちという肩書きがあると,外れがないという安心感がなんかあります.まぁ,今回は韓国の名門大学では名を上げている人たちが多かったので,当然と言えば当然なのかもしれないけれど.

閑話休題.

とにかく,久しぶりに会う人たちだとか,ピーターなんかとも久しぶりにいろいろ話せて充実した一時でした.しょっちゅうあるとなんか疲れてしまうのだけれど,年に1回くらいの頻度でこういうのがあるといいなって思います.って,なんか都合のいい意見.

でも,京都にはまた言語学抜きで遊びに行きたいですね.紅葉もきれいでした.

四条の小路.久しぶりに見ると,なんか探索したい気分で一杯になる.

 鴨川.見慣れた景色だけれど,なんか落ち着きます.いろいろあったな.
 夜の祇園.中国人観光客がすごく多くなってびっくりしましたが,それは全国的な傾向なのかもしれない.社会人になったけど,まだ祇園で遊ぼうという気概はないな.

近畿にいる

えと、今、京都、というか用事があったのは主に京都だったのだけれど、なぜか滋賀の温泉宿におります。明日は始発電車に乗って、札幌に帰って、午後から仕事なのだけれど、飛行機が飛ぶのかちょっと心配。

「だから、なんやねん?」って話ですよね。えと、周囲では聞きなれた関西弁が聞こえますし、電車も風景も見慣れているしって感じなのだけれど、今では札幌に帰属意識があるので、なんとなく「帰りたい」と思っている自分にちょっと違和感を感じる今日この頃。

北海道弁を聞くのも悪くないですよね。うん、悪くない。ちょっと今回帰ったら、しばらく引き篭もってようか画策中。

2010/12/10

ドサ回り

今週は,ちょっと学生さんにもいろいろあったけれど,私もいろいろいろいろ忙しい週で,なんか息をつく暇がありません.

今日は朝は大学で講義,来週の授業のプリントを用意して,午後からは,ご近所さんの高校まで出張授業.

最近は,大学の教員が高校で喋ってこないといけない機会もけっこう多いのです.

でも,高校生相手に喋るのは別に嫌いではないですし,けっこう楽しかったです.それに,他の教員(教育学のIさんとか(笑))のいい評判も聞いて,なんとなく嬉しくなる.やっぱり,自分の所属組織が褒められて,そんでもって学生さんたちに評価されるのは気持ちのいいもんです.

出張授業から帰ってきて,ちょっと週末のトークに合わせてハンドアウトを作成.別にbeamerでプレゼンテーションファイルを作るので,ハンドアウトなんていらないじゃないかとも思うのだけれど,トークの後にいろいろ見直したり,参考文献を見たり,発表者とコンタクトを取ったり,なんてことを考えると,発表後にハードコピーがあるかないかってけっこう重要だと思うのです.

大学の授業で使っている限りは,beamerをハンドアウトにまとめてくれるbeamerarticleというスタイルファイルで十分で,重宝していたのだけれど,なんか専門家集団を相手にするときには,いろいろ問題がある.

特に,言語学ではけっこう重要なtreeなのだけれど,beamerarticleでarticleにコンバートすると,なんか形がずれてしまって,うまく修正ができない.それと,参考文献リストをbibliography環境で設定する方法は分かっているのだけれど,めんどうくさいので,やっぱりbstで呼び出す形にしたいのだけれど,それがなかなかうまくいかない.

ちょっと今回はLaTeX userの多い会合なので,誰か対処の方法を知っているといいのだけれど.

そんなこんなで,破れかぶれのハンドアウトを印刷し,20時過ぎに家に帰る.なんか普通に社会人やっている人たちに怒られそうですが,こんな時間に帰るのは,月に2回くらいしかないです.すまない.

体が固くなっている感じがぬぐいきれないので,21時過ぎからジムで体を動かし,温泉に浸かってくると,やっぱり楽になった感じがしますね.頭と口だけが妙に疲れると,なんか身体のバランスが悪くなるんじゃないかって気がする.

そんなこんなで,夜になっちゃいましたが,明日からまた遠出します.冬休みは札幌でボケーっとするので,いいか,この際.そーいや,斎藤くんの入団会見.平日昼間なのに8000人集める集客力って凄いな.札幌ドームのチケット,買えないんじゃあるまいか.

2010/12/08

生きててくれてありがとう&簡単に断れない

と,思わず言ってみたくなる瞬間.

えと,火災被害にあった学生さんですが,ほどほどに元気な感じで,喋りに来てくれました.

なんか,目撃している被害者が否定しているのにも関わらず,「加害者は女性」という目撃証言のせいで,警察に犯人扱いされて連行されて取り調べを受けたとか,部屋を警察に土足で荒らされまくって,ぬいぐるみから何から泥だらけにされたとか,今日は午後の5時から警察に呼び出されているとか,弱り目に祟り目なのだけれど,なんとか乗り切る気力はありそうです.

健気である.

交番勤務の人たちでもなければ,警察なんざヤクザとなんも変わらん人も多いのだから,大いに同情してしまう.気質の人たちに被害を与えないということを考えれば,ヤーさんの幹部の方が,「弱気をくじき,強気を助ける」警察さんたちなんかよりましなのではないかと思う程である.(まぁ,こんな文句を言うようになったのにも,それなりの苦い思い出が関連しているのである)

まー,とにかく,(それなりに)元気で本当に本当に良かったです.毎日,普通に日常生活を送れているということは,幸福なことなのであるなと思った次第.

ちなみに,今週末はまたまたまた近畿に行く用事があるのだけれど,チョコ味の八つ橋をリクエストされちゃいました.二つ返事でオーケーしてしまいましたが,まー,今回くらいはいいでしょ.こんなんで元気になってくれるのなら,安いもんです.

ところで,今日は1年しか在籍したことがない(昔,阪大時代に全国大会をホストしたことがあったので,その年だけ)大きいのだけれど,私の分野とはあんまり関係がない学会さんからレビューを頼まれました.

学会に恩義があるわけでもないし,推薦者の名義が「編集委員」ってことなので,なんか匿名なのが気になるのだけけれど,でも,恩義のある人の推薦があったのなら無下にもできないですしねぇ.

まぁ,いい機会だと思って引き受けました.献本してもらえるし.でも,LanguageでもJournal of Linguisticsでも,レビューなんて数枚でおしまいってのが常なのに,10枚以上も書くのって,なんだかなって気がしないでもない.たくさん,太鼓持ちでもしてみるか.

人間,人から頼りにされている間が華ですしね.

心が狭い


交際相手のマンションに放火 容疑の女を逮捕 札幌・北区


7日午前4時55分ごろ、札幌市北区北38西3、マンション「ジェイエス麻生」(11世帯入居)1階、とび職吉岡竜太さん(23)方から出火、鉄筋コンクリート4階建て延べ400平方メートルのうち、吉岡さんの居室内部30平方メートルを全焼した。吉岡さんは足にやけど。他の住民は避難し、けがはなかった。
 札幌北署によると、吉岡さんは「女に火をつけられた」などと話しており、同署は現住建造物放火と殺人未遂の疑いで、現場にいた同市北区百合が原5、無職高橋理沙容疑者(24)を緊急逮捕した。
 同署によると、高橋容疑者は吉岡さんの交際相手。同署は同容疑者が合鍵を使って吉岡さん方に侵入し、灯油をまいて火をつけたとみて調べている。高橋容疑者は容疑を否認している。
実はこの放火されたマンションの2階に,私の受け持ちの学生さんがおりました.しかも,けっこう喋る子です.
今日は雪が降って,寒くなってきたというのに,早朝の5時から外に追いやられてしまった模様.泣きながら友人の携帯電話に電話をかけ,今日の1限の私の授業が欠席扱いされるかどうか心配していたということと,ひたすら泣いていて落ち着いて話ができないとかいう様子だったらしい.
もう,なんと言えばいいのやら.
欠席なんて,教務になんと言われようが公欠扱いで点数は処理しますし,また元気に大学に来てくれたらそれでいいです.それ以上の何を求めるというのだろうか.
大学教員なんて,所詮,学生一人一人の人生の責任を背負える程の存在じゃないし,妙な使命感は最近の教壇では白眼視されることはあっても,あまり肯定的に評価されることはない.
師弟関係というのは,幻想関係をその基本とする.
師というものは,往々にして弟子が思うほど偉大な人物でもなければ,頭がいいということはあまりないわけだけれど,それでもその幻想関係を信じている限りは,師を「先生」と呼び,無条件に慕い,師から,時に師が身につけている以上のことを学ぶものなのである.
我々,教員はその種の幻想を売って商売にしているわけである.なんともいい身分ではないかと常々思う.
この世の仕事の大半は,自分の尊厳を切り売りして生業としているのである.前途ある若者たちに持ち上げられるのが仕事なんて名誉なことではないか.
大多数でなくても,世の中には無条件で味方になってくれる他人の一人や二人いても罰は当たらないであろう.
なんて考えているので,私は基本,学生さんにはなるべく無条件で味方になり,頼みは断らないようにする主義にしている.
他はけっこうちゃらんぽらんなので(妙に真面目にするのは嫌いだし),せめてどこかは筋を通す所があってもいいのではないかと,そう思う.教員は信用していなくても,学生は信用していてもいいだろう.
そんなこんななので,歪んだ正義感だと思うのだけれど,この放火犯には,一片の同情もないし,人権がどうのとかいう話には耳も貸したくない.さっさと処分するか,収監して二度と娑婆には出さないで欲しいと祈るばかりである.痴話喧嘩が元で,うちの学生が死にかけたのである.私は絶対に許さない.
余談ですが,この学生さんに怪我はなく,一応,すぐに大学にも来られるみたいなので,今はだいぶ落ち着いています.でも,愉快な話では全然ないですよね.