2010/12/29

ノルウェイの森を評する

ちょっと全国規模の都銀に行かねばならない用事があったので,徒歩で街中に繰り出す.北海道では,札幌の中央区以外には都銀というものがないので,珍しくないのである.(まぁ,住んでいるところから,徒歩15-20分程度なのだけれど)

帰りに本屋に立ち寄り,ノルウェイの森の割引券をもらってきたので,そのまま映画を観て帰宅.映画館は,正直,ちょっと空き気味.「絶賛上映中」というわけでもないようである.

その噂のノルウェイの森なのだけれど,映像は確かに綺麗だったし,構成も悪くなかったような気がしたのだけれど,なんだかイマイチ物足りない.

それはちょうど,演奏技術があるはずなのに,イマイチ噛み合っていないオーケストラ,話術もネタもあるのにイマイチ笑えない技巧派漫才,スピードも変化球もあるのになぜか失点されるプロ注目の投手を見て来たような気分なのである.

これはいったいなぜなんだろう?

『謎とき村上春樹』を執筆した石原千秋氏によれば,ノルウェイの森は,「誤配」の物語であると分析される.

愛し合っていたキズキと直子が結ばれることなく,キズキが自殺.周囲に唯一頼れる人間として存在し,かつキズキと仲の良かったワタナベくんと「誤って」結ばれてしまった直子がそのまま精神病を患い,結果,ワタナベくんが直子を正しくキズキの元に送る,つまり自殺させてしまうという物語だというのである.

ジャック・デリダによれば,手紙は「誤配」された時に最も効果的に読まれるという.結果,直子とワタナベくんは愛し合っていない,少なくとも直子は愛情を感じていないのにもかかわらず,二人の間では,ある種運命的とも言える程の効果的なつながりが結ばれることになったわけである.

なるほど.

文学という表現技法を映画という形で表現するのは,ある種の翻訳である.(たぶん)

表現技法が違うわけであるから,そこには映像化する監督の解釈が主体的に関わる.解釈の多様性を許す言語体系という文学とは違い,映像は視聴者に否応なく監督の解釈を見せつけることになる.

この力が強く,説得力があればあるほど,映画はより「強い」ものになり,弱いと,「はにゃ?」という印象を視聴者に与えてしまうことになる.

残念ながら,生者の存在する「こちら」の世界と,死者の存在する「あちら」の世界の橋渡しをする媒介の役割を果たす直子という存在がイマイチよく分からないまま話が展開されていったような感じがする.

草原で,直子がぐるぐる歩きながら自分の心情をワタナベくんに語る箇所といい,無意味に草原で抱擁する場面といい,なんだか性欲だけがやたらと増長して突っ走っている物語だなという印象がぬぐえない.

それこそ,アンチ・ノルウェイの森さんたちの言う,「あんなもん,会った女とかたっぱしからやるだけの話だろ」という表面的な部分だけを,ただ辿っていただけなのではないかという印象を与えてしまっていた感じなのである.

残念無念.

それと,この映画だけで登場人物の「魅力」をうまく描ききれなかったのは残念だなとつくづく思う.

永沢さん役を演じた玉山鉄二は,なかなかいい雰囲気を出していたのだけれど,正直,この映画だけを観ていたら,単に鼻につく人でなしのプレイボーイでしかない.

彼は,一本筋が通っている所があって,強い者にも物怖じせず,なめくじすら飲み込んでしまうというエピソードがあってこそ,その「凄み」が感じられる人物なのに,その描写がなかったのは非常に残念である.

それと,「天才」と言われる一方で,外国語学習など地味な勉強は欠かさず,かつワタナベくんと懇意になったきっかけのグレートギャッツビーの愛好者であるというエピソードが欠けていたのも個人的には物足りない.評価するべきものは評価し,なおかつ審美眼のある者(つまりワタナベくん)にシンパシーを感じるという部分が,流行に押し流される俗物達,つまり学生運動に走る若者とは少し違うのだというエピソードは欲しかったと思う.

まぁ,これは永沢さんが個人的に好きというか,シンパシーを感じている個人的感想に過ぎないかもと思われるのだけれど.

それと,ワタナベくんが,人と滅多に話さないようになった病床の緑の父親と,キュウリに海苔を巻いて一緒にボリボリと食べ,打ち解けたとかいう様子もちょっと映して欲しかったな.あれは,特別人に気に入られるという要素のない凡人のワタナベくんのよく分からない魅力を描くいいエピソードだったと思うのだけれど.

後,個人的に好きな小林緑ちゃんなのだけれど,フォークソング部の学生運動に混じっている人たちを評して,「こいつらみんなインチキだって.適当に偉そうな言葉ふりまわしていい気分になって,新入生の女の子を感心させて,スカートの中に手をつっこむことしか考えてないのよ,あの人たち」とか言っている部分も欲しかったですね.あれは,学生運動なんていう流行の胡散臭さを嗅ぎ取る嗅覚と,それに流されないワタナベくんに惹かれる理由になる大きなエピソードだったと思う.お互いに共感を感じている事実というか.

それと,緑の短い髪型だけを評して,ワタナベくんが「似合っている」というシーンがあるのだけれど,村上春樹小説は「耳フェチ」的なところがあるので,「きれいな耳だよ」という一説は抜かさなかった方が,原作好きの人たちにはよかったと思う.きれいな耳というのは,素敵な女性の「アイコン」として働くことが多いのです.この人の作品では.

最後に.レイコさんとワタナベくんが結ばれるシーンがあるのだけれど,これもなんか台無し.欲情したおばちゃんが,若い肉体を求めて盛っていただけのような感じで,「なんだかな」という感じがして仕方がない.まぁ,別にいいのかもしれないけれど.

あと,これ以降は単なる役者評だけれど.

ワタナベくん役をやった松山ケンイチくんは,なんか「こんなもんか」って感じでした.残念.飄々としているのはいいのだけれど,なんか生きる強さも,割り切るという感覚も,苦悩の様もイマイチ伝わってこなかった.それと,真顔で冗談を言うことは結局なかったんですよね(あえて言うなら「スエズ運河や株式市場のことを考えてマスターベーションする人はいないだろうね」の部分だけか).「やれやれ」の台詞もなかったし.撮影に入った時点では遅かったけれど,意外と佐藤健くん辺りだったらうまく演じたのではないかな,と思わないでもない.アップに耐えられるだけのマスクをしているし.って,ワタナベくんがあまりイケメンなのもよくないのか.

小林緑ちゃん役の水原希子さんは,顔はかわいくてよかったのだけれど,なんか身体が病的に細くてちょっと心配な感じ.あっけらかんとした元気な役柄.そして,運命に翻弄される直子と対極に,運命の中を強く生きる生命力の象徴として存在する緑としては,なんかはかなさだけが感じられる役者さんでした.それと,どうも「陰」が全面的に押し出される感があるのが微妙.どちらかというと,陽が前に出て,陰の部分が時折顔を覗かせる感じが欲しい役柄なので,なんだかな,という感じ.

直子役の菊地凛子さんは,ちょっと.なんか,時折,顔がごつく感じられるというか,あんまり儚さと美しさがあるタイプでもないですよね.濃厚なラブシーンが必須なので,事務所的にはNGなのかもしれませんが,宮崎あおいさんとか,蒼井優さん辺りを抜擢できたらおもしろかっただろうなと思うのですが,どうでしょう?

まぁ,そんなこんなで,「まぁまぁ」という感じの映画でした.映像の美しさを堪能できればいいやって感じで割り切れる人には「どうぞ」って感じだけれど,「これは観ないと」とまで言い切れる程のものでもないなというのが個人的な感想です.

そういや,昔,ノルウェイの森が好きな人がいたな.

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