2011/04/30

日本ハムファイターズのバカ

えっと,5月1日の日本ハムファイターズのチケットをインターネットで買おうとしたのだけれど.

なんか,1枚余分に買わされてしまった...( ̄▽ ̄;)

カスタマーサポートに電話したけれど,「キャンセルできません」と拒否されてしまった.

明らかに契約不履行だと思うのだけれど,2,300円だし,泣き寝入りしろということなのだろう.

この球団は徹底して不誠実な企業であるらしい.

一応,国民生活センター・消費生活センターにクレームを一報するだけに止めておくが.

というわけで,北海道にお住まいの方で,私を知っている方で,5月1日の試合を観たいという方はご一報ください.買わされたチケット,差し上げます.

2011/04/27

授業増やしすぎ

えっと,なんか大学業務がいろいろと立て込んできてやたらと忙しくなってきた今日この頃.

そんな折に.

文科省からの要請で,より具体的で詳細なカリキュラムポリシーとディプロマポリシーを書いて公にせよとのお達しが出たのだけれど,こういうのって意味があるのかねぇ?

受験生も研究者も,大学のこういう情報って見ますか?所謂,「視野が広くて,知的好奇心があって,人間的成長がどうのこうの」と玉虫色にいろいろと,曖昧模糊とした美辞麗句を列挙する以外にやることないやんって思うのだけれど,こんなのがどう授業カリキュラムの充実や大学教育の発展につながるのかさっぱり分からない.

文部官僚のおばかさんたちの思いつきにつきあうのって,しんどくてムダな労力を使うだけなんですけれど.

そんでもって.

これからは,就職率をアップさせ,より企業で即戦力として働けるキャリア支援教育を充実させよとか,なんかバカみたいなお達しもある.

お達しの文言をそのまま鵜呑みにすると,「キャリア教育」なる授業科目を増やせば,それで社会にとって有用な,優れた若者がたくさん出てくるとかそういうことが読み取れるのだけれど,そんなもん,あるわきゃないやんね(そんな特効薬あるなら,知りたいわ).

そもそもが,アカデミズムってのは,その手の実利的な社会的荒波から学生を守って,学生さんたちにあれやこれやの知識をたくさん吸収してもらって,好きなことをあれこれと勉強してもらって,それこそ資本主義的価値からとは無関係の世界なはずなのに,これだと就職予備校以外の何者でもなくなってしまう.

こんなことやってたら,日本の学問死にまっせ.

大学生にはもっとゆとり持たせて,のんびり自主的にいろんなことやらせてあげないと.

単に授業数を増やして,あれやこれや詰め込んだら「優秀な」人材が輩出されるという明後日の方向へ向かって走らせるお上の思惑ってのは,どうやれば出てくるのか不思議でならない.

人の話だけ聞いて,それで学べることなんて,たかが知れてまっせ.

2011/04/26

専門バーカ

えっと,実は,うちの大学でも高校への出張講義なんかをやったりしているのですが.

そこで,とある同僚のイギリス文化の専門家さんの一文にこんなのがありました.

『イギリス人の一般家庭の食卓では,日本と同じくらいの頻度でカレーが登場することをご存じでしょうか.』

えっと,思わず,

「知らんがな」

と心の中で呟いたのであります.

まず,「日本と同じ」というフレーズから,ついついカレーという食べ物が日本で定着しているのと同じく,イギリスでも家庭料理として定着しているという前提で読めそうな文章ですが,残念ながら,これは事実ではないと思われます.

確かにイギリスでもカレーを食卓に出すことはありますが,Marks and Spencerに行こうが,Sainsburyに行こうが,カレーなんぞ出来合の缶詰くらいしかありません.

日本みたいに,ルーから「作ったぞ」という感慨を持って作るような料理では決してありません.

私もイギリスにいた頃には,安いというのと手間がかからないという2つのアドバンテージがあったので,時折,日本のカレーを作っていたことがあります.

それで,同居人の紛れもないイギリス人のブレットとスティーブといろいろ話し込んだのだけれど,イギリスではカレーをかように家庭料理として作るような風習はなくて,普通はtake awayの持ち帰りか,外食で食べるものだという話をしていたものです.

さらに.

ロンドンに行ったときなんかにもいろいろとイギリス人と喋ったりしたのだけれど,日本式のカレーなんかは「作りがいがあって,非常においしい」という専らの評判だったのです.

彼らも普通,家でカレーは作らないという話(出来合のものを買ってくるという感覚).

イギリス人の中でも,特に仲のいいグリン・ヒックスなんかもカレーが好きで,ヨークの街中のカレー屋さんに何回か一緒に行ったことがあるけれど,やっぱり,

「家では食べない」

という話をした記憶がある.

というわけで,ヨークシャーはイギリスの中に含まれないとでも言われない限りは,私の現地体験から発言するに,日本の家庭料理としてのカレーと,イギリスの家庭料理としてのカレーを同列にして語るのはかなり無謀なのではないかと思うのだけれど,まぁ,こういう,日本のイギリス研究の専門家さんたちの話によれば,カレーは家庭料理としてイギリスに定着しているものらしい.

単刀直入に申し上げると,彼らの言うことは現状を正しく記述していないと思うのだけれど,この手の,実際には現地に行ったことがない,ないしは旅行程度でちょっと行っただけという人たちが,イギリス文化ないしはアメリカ文化の専門家を称して日本で幅を利かせるということはよくあります(私の母校でもそういう知り合いはたくさんいる).

彼らの「研究」は,基本,日本で手に入る文献に基づいていろいろと構築されるので,そこではいろいろと考えさせられるものがあります.

実際,現地に行って,調査することができるような時代であっても,そういうことはしなくてもよいという価値観を強く持っているのが,彼らの「常識」で,私はそういったものに強い違和感を持っていたのだけれど,この手の,現地調査などいらぬという態度は,わりと文学研究や史学研究で主流を占める考え方のように思われる.

歴史学者なんかが,さもその時代に行ったことがあるかのように,自分は自分の研究領域を全て知り尽くしているのだと言わんばかりに宣う様が,「なんでやねん!お前,ホンマにそこに行ったんかえ?」って感じに見えますよねって,阪大の先輩と一緒に話をして盛り上がったことがあるのだけれど(ETさん,元気ですか?),文学研究者も似たようなもんですよね.

何人かは現地調査なんかをしていたりするのだけれど,私の知り合いの多くはそんなことしてないです.

むしろ,少なくとも,お前よりはイギリスのことを知っていると思う.

なんて感情を抱きながら,傍から眺めてしまう,自称「イギリス研究の専門家」さんたちはたくさんいます.

この手の考え方は,けっこう文学や史学に特有のものらしく,現在の勤務校の同僚さんたちは,オーストラリアやアフリカに実際にフィールドワークに行って,集めてきたデータなんかを基にして研究をしたりするのが基本です.

私はこういう研究態度の方が健全に見えるのだけれど,信用できるのかもわからない文献のみに基づいてあれこれと机上の空論を並び立てることにも,それなりに価値はあるのかなぁと思わないこともないです.

自分はそういう立場には与しないし,現実を正しく捉えきれていない理論など,経験科学としては存在価値がないとも思いますけれど.

こういうのも価値観の違いなんだろうか.

でも,現地のことをよく分かっている人間たちが,よく知らない自称専門家たちに偉そうにされるのはあんまりいい気がしないというのも事実であったりする.

そんなもんなのかね.

2011/04/24

防備録

そういえば,sloppy/strict identityの話をしていて,「言語学者が彼らを批判した(彼ら=/=言語学者)」みたいな文の話をしていたら,同僚の先生に

「そんな日本語はありません」

「『彼ら』なんて日本語では使いません」

と頑なに言われ,話すら聞いてもらえませんでした.

言語学者って,やっぱりわかりにくい言葉を話題にしているのかもしれない.

体力の限界

えと,人前で喋るのって体力が要るせいなのかしれませんが,最近,ばったりと眠ってしまうことが多いです.

週末はのんびりしていたいとか思い出すと,そろそろ年なのかもしれない.

ところで.

女子大生がたくさん揃えば,それなりに美人,淑女もいるわけなのですが,なんかこういった人たちが必ずしもいいパートナーに巡り会えるというわけでもないみたいですね.

様々情報をいただいたのですが.

例えば,ステータス的には抜群の,某北国の旧帝大の医学部の学生さんとつきあっている女性たちなのだけれど.

なんか,「家にはふさわしくない」と彼氏さんのご両親に言われて,面会させてもらえないとか.

凄く偏屈な性格の男性とつきあっていて,雑用は全て女の仕事と頑なに信じて,ドアを開けたり,エレベーターのボタンを押すのも全て女性にやらせて,自分はその手の雑務は一切しないとか.

偏屈で融通が利かなくて,って,なんか一緒にいるだけで息が詰まりそうなのだが,でも社会的ステータスがあれば,パートナーとしてはそれで十分なのだろうか.

一緒に雑談ができて,日々の些細な出来事に一喜一憂できる思いやりを持ち合える人の方が魅力的な感じがするのだけれど,価値観なんて人それぞれなので,そんなもんでいいんでしょうか.

よくわかんないです.

まぁ,何が良くて何がダメなのかなんて個人が決めることであって,教条主義的に「こうだ!」と言って回るもんでもないので,好きにやってくれればいいのですが.

2011/04/17

趣味は

えと,英語の初回の授業なんかでは,icebreakingを兼ねて,自己紹介文みたいなのを作ってもらったりするのですが.

しかし,あれですね.

偏見なのかもしれませんが,女性の一般的傾向として,「好きなこと」のほとんどが本能に基づいているって感じですね.

煩悩のかたまりやん!みたいな.

だって,好きなことにまつわる話題が.

食べること.

スイーツ.

寝ること.

ショッピング.

素敵な彼氏.

これって,要するに人間の三大欲求を言い換えただけの話ですよね.

食欲・性欲・睡眠欲

ショッピングは物欲か?

「女の子の頭って,基本,恋愛脳ですよ♪」って話も聞いたのだけれど,換言すれば,「男のことばっかり考えてます」ってことですよね?

これらの話題が男から提供されたと考えたら,なんか恐ろしいことになりそうです.

ニャム.

たぶん,この手の話題を男がほとんどのクラスでやると,全然違う結果になるでしょうね.

野球,サッカーなどのスポーツや.

釣り,車.

コンピュータなどの機械いじりに.

天体観測やアウトドアスポーツ.

etc etc

男の趣味ってやつは,本能と全然関係ないやんってのが多いですよね.女性からすれば,「なんでそんなしょうもない(どうでもいい)ことに集中するんだろ?」って話なんだろうけど,なんかそういう,本能とは別の場所でエネルギーを費やすというムダな作業に集中する能力に,男性の多くは長けているような気がします.(私も例外ではないです)

男女共通で本能とは特に関係ないかなって趣味は,読書,音楽,映画辺りになるのだろうか.

女の世界ってつくづく異文化だよなって思います.

2011/04/10

つれづれ

最近の大学生の特徴なんだか,北海道の大学生の特徴なんだか知りませんが,一応,勉強する態度ではあっても,自分から何かを調べようとか考えようとかそういうのはなくて,一様に,「答え」を教えて欲しい,それで,難しい概念は,丁寧に教えて欲しいという態度がなんか芯から身についてしまったという人が多いような感じがしますね.

すっごく受け身.

それでいて,ちょっとオーバーロードになっちゃうと,へたれて,潰れてしまう.

まぁ,自分としては自分の世代の,しかも自分の大学しか比較対象がないので,一般論なんかはよく分からないのですけれど.

一応,講義は聞いてくれるわけだし,まぁ,あれもこれも教えるのは止めて,ポイントだけをゆっくりしっかり伝えていくようにすればいいのかと,講義の途中で方向転換.

それでも,講義後のリアクションペーパーを見る限りは,好評だったのでよしとする.

こういう反応を見ていると,特に欧米のPhD持ちの先生は,「日本の大学生は...それに比べてアメリカorイギリスは」とか思ってしまうのだけれど(私もだけれど),でも,それはそれでアンフェアなのかなって気がしないでもない.

欧米の一流どころのresearch institutionは,それこそ国内だけではなくて,海外からも一流の学生が集まってきて,目的意識が高いのでお互い刺激し合っているものだし,日本からわざわざ博士号を取りに行こうなんて思っている人たちも,大半はこの手の一流大学に身を置くことになるので,図式が「アメリカの大学=ハーバード,MIT,イェール,etc」,「イギリスの大学=オックスフォード,ケンブリッジ」って感じになっているのだろう.と,思う.下は下で,あちらの方も大変なわけで.

まぁ,講義前に大量のreading assignmentを与えてもちゃんとそれに目を通してきて,マイケル・サンデルのハーバード白熱教室よろしく,がんがん噛みついてくる学生がわんさかいる環境は正直,羨ましいとは思いますけれど.

なんてことを考えている今日この頃ですが,薬のおかげで咳き込むようなことはだいぶなくなりました.まぁ,まだ何かを喋ろうとすれば,咳をしてしまうのですが.

それと,今日は暖かく天気も良かったので,選挙の帰りに思い立って自転車を買い(12,300円だった),昼は初めてスープカレーを食べてきました.すすきのの評判の専門店で,なかなか美味でした.

まぁ,授業が始まって,いろいろドタバタやんないといけないことがたくさんあるのですが.

今年は,週コマ数が二桁乗りました!って,あんまりうれしくないー.論文読みたいし,心理言語学実験のプログラミングも勉強したい−.(PsyScopeでやってますけど,なんかけっこう難しい.特に,日本語を刺激に使いたいのだが,pictなんてイマドキ使わないし,どうやったらいいのか,ワケ分からん)

2011/04/07

大学の死と光明

うちの大学でも教職は取れるのだけれど,要件の一つにコミュニケーション系ないしは演習系の語学の単位が必要というのがある.

履修ミスだとか,2年次以降に教職の単位を取りだした人たちは,普通なら2年次で履修する科目を4年で履修する必要があったりすることもある.

実は,私は本務校では再履の学生を除いて4年生を持っていないので,改めて思ったのだけれど,就職活動って本当に邪魔ですね.

本来なら,学生の本業とは関係ないのだから,「就活なんて知らない.大学に来なさい.来なければ普通に欠席と見なす」という強引な態度に出るべきなのかもしれないし,実際そういう先生はどこにでもいるのだけれど,学生さんたちの置かれた状況を鑑みるとそういうわけにもいかない.

だいたい,就活に行かないと,卒業後に路頭に迷う羽目になってしまうし,今年度からは,文科省の強制で,「キャリアデザイン」なるものを大学の教育に取り入れないといけなくなってしまった.

平たく言えば,文科省が「大学とは就職予備校のことである」と公言してしまったわけですね.うすうす気づいていましたけれど,日本の大学教育はお上に「死」を宣告されてしまいました.

残念ながら,この国にアカデミズムが根付くということはなかったらしい.

しかし,それでも全てを放棄してもいいことはないので,現状とすりあわせてどこかで妥協できるポイントを探さないと,何より現場の学生さんが不幸になってしまう.

現場の要望とお上の無理難題の中間点を探って,「まー,まー」と気を遣って神経をすり減らすのが中間管理の人間のお仕事.大学人なんてそんなもんなのかもしれない.

というわけで,4年の学生さんたちには,事前連絡をしている時のみ,欠席を配慮し,ただし,追加課題をこなして,オフィスに何度か足を運んでもらうということで納得してもらう.まぁ,せっかく勉強するんだし,何か「やったな」という充実感の一端くらいは掴んでもらいたいものです.

しかし,一方で.

大学の中には,国家資格の試験を受けてから就職活動をする,つまり,世の大半の就活の時期にあたふたして,せかせかして,大学教育をほっぽって,ということをしなくていい学部の人たちもいます.

うちの大学にその手の,栄養士なんかを育てる学科があるのだけれど,ここは年明けの国家試験に受かって,その後,卒業してから就職が決まることが多いという学科があるのだけれど,ここはちゃんと4年生の期間を大学で集中して過ごすことができるみたいです.

それと,この学科にもゼミがあるのだけれど,いろいろおもしろいことをしています.

去年も書いたと思うのだけれど,葡萄の栽培から始めて,ワインを生産して売るということをやっているゼミがあるのだけれど,おもしろい企画だと思います.

食物関係の仕事に就くのなら,生産の仕事,それを仕上げて,流通させるという一連のプロセスはぜひ知りたいところだろうし,理論と実践の両方が勉強できる.

しかも,毎年売り切れるので,利益が上がるのだけれど,今年の分の利益は例の震災の義援金に回すとか,教育機関としての役割も果たされている.

学生さんとしても,自分たちがやった一連の仕事で,人の役に立つことが出来たという充実感が得られるし,一石三鳥といったところでしょうか.

まぁ,主催者の先生によれば,最終的にはみんな楽しそうにやってくれるらしいのだけれど,最初の葡萄の栽培の段階では,農作業を嫌がる人たちも多いので,やってもらうようお願いしてetcという部分がもの凄く大変だそうです.女の子たちを扱うのって,本当に難しいですからねぇ.

誰もが見とれるイケメンさんなんかだと,仕事が楽でいいんだろうなと思うことは,時々あります.

でも,そういうのに頼ってしまうと,「女は子宮でものを考える」という風評に一役買ってしまうことになるのではないかとも思ってしまう.

ジレンマ.

2011/04/05

小さな不幸

今回の震災に遭われた人たちに比べれば,ちっぽけな不幸かもしれないのだけれど,人間なんてのは,自分が「不幸だ」と認識した瞬間に不幸だと思ってしまうものですよね.

小さい頃の刷り込みのせいか,こういう嘆きはすぐにのびたくんの「僕は世界一不幸だ」という愚痴を思い出す.

えと,実は最近ずっとひどく咳き込む状態が続いていて,全然,集中力も何もあったもんじゃなかったので,今日思い立って,職場の近くの病院に行ってみました.

ちゃんと,内科,呼吸系,気管支系の専門医のいるところを狙って.

それで,かなり精密な検査を受けて,血も抜かれたのだけれど,どうやら咳喘息のなり始めであるということが判明.

まぁ,初期状態なので,薬で完治するらしいのだけれど.

もしも喘息がひどくなって,慢性的なものになってしまうと,そもそも集中するということができなくなってしまうので,知的商売としては致命的な病気になりえたということを考えると,早い段階で処置ができたと思って,ついていたと考えようと思っていますけど.

しかし,吸引器を使って服用する薬なんて初めていただきました.うまく使えるんだろうか.

ゴホゴホ.

ちなみに,初授業は木曜から.今は,声を出そうとすれば咳き込むような感じなので,ちょっとは治って欲しいのだが.

2011/04/02

セクハラはやめよう

立命館大:女子学生「ちゃん付け」はダメ 教授を減給処分(毎日新聞)

女子学生を「ちゃん付け」で呼んだことがセクハラ行為に該当するなどとして、立命館大は25日、映像学部の50代男性教授を減給2分の1(1日)の懲戒処分にした。また、教授を11年度上半期の授業から外し、ハラスメントに関する研修を受けさせる。
大学によると、教授は昨年4~7月ごろ、複数の女子学生の名前を「○○ちゃん」と呼んだ。大学は、特定の学生を特別扱いするような振る舞いであり、相手に不利益や不快感をもたらす性的な人権侵害に当たると判断したという。この他、自分が担当している講義の受講をゼミ生に求めたり、「うるさい」などと大声で怒鳴ったりするアカハラ行為があったと認定した。
大学によると、不快に思った学生2人の申告で発覚した。教授は反省しているという。』
うーむ.
ゼミ担当だと,専門との関わり上,卒業論文を書くのに必要不可欠な講義も当然あるかと思いますが,その受講を求めるだけでもセクハラなんですね.
さらに,(うちでも,ごくまれにありますが)授業の収拾がつかなくてちょっと声を張り上げることも必要だと思いますけど,これも禁止なんですね.よく分かりました.

ところで,大学教員に対するハラスメント研修って,一般の人から見れば興味があるかも知れませんが,極めて

くだらない

ですよ.去年,全員参加だったので受講してきましたけど,全員に幼稚園児がつけるような名札が配られ,隣に座った先生の下の名前をヒントに渾名を付け,例えば(身内の人には誰とペアだったかがばれてしまいますが)「りいちくんには,生きている価値があるんだ−!」と私が叫び,隣のペアの先生が「そうだそうだ」と相づちを打つということを10回繰り返すとか.

研修の途中で,机を蹴っ飛ばして,インストラクターの講師に名札を投げつけて,「くだらんわ,ボケ!」と捨て台詞を言ってその場を去ってやりたかったくらいです.

ちなみにどのくらいくだらなかったかというと,そのインストラクターは自称「臨床心理士」だったのですが,同僚のめちゃくちゃ温厚で,どうやって怒らせたらいいのかが分からないくらい温厚な先生が,顔を真っ赤にして,「あの人は,絶対インチキですよ」と講習の後で怒っていたくらい(この人が怒っている姿を見たのは,去年はこれが最初で最後であった)ひどかったです.

あんなハラスメント研修とやらにどんな意味があるのか,ワケが分からないですが.
そういうわけで,もう,そのうち「存在自体がセクハラ」とか言われそうだから,男性教員が女学生と関わることを,一切禁止にしてくれませんかね?

チャリティーレクチャー

えっと,2011年度に入って,シラバスもキャンパスカレンダーも一新されたので,自分のプライベートスケジュールはMobile Meで管轄して,Googleカレンダーを仕事用にセットアップして,自分のオフィシャルなウェブサイトのトップページに埋め込むことにしました.

これで,学生さんもアポが取りやすくなるし,自分も予定が分かりやすくなっていい.

しっかし,今期は授業数が多いな.週のコマ数が二桁なのだけれど,なんかこき使われているって感じですね.まぁ,仕事ができるだけありがたい話なのですが.

ところで,これだけ授業予定が多いとやる前からなんか疲れてくるので,何か自分を奮い立たせるきっかけはないかと考えていたのですが.

というわけで,思い切って,お星様の大学からいただく給料は全部,義援金に回すことにします.

名付けて,「チャリティーレクチャー」.

なんか,週に一コマ,ちまちまと行くのって,中途半端な感じがしてしまうのだけれど,これだとメリハリがついてよい.

しかも,自分の好きなことをやって,学生さんたちに楽しんでもらって,それが被災者の支援にもつながるのだと考えれば,自分の気が済むというか,アイデンティティの確保という観点からも非常によろしい.

理論系の学問やっていても,世の中の役に立つことがあると思えますしね.

できたら,被災した子供たちの学習支援や,おいしい物の配給にお金を回して欲しいものですが.

2011/04/01

高校野球を観て思う

えと,それほど知的負荷のかからない仕事なんかをやりながら,選抜高校野球なんかを観ていたりします.

それにしても,高校野球のレベルが上がったなとつくづく思う.

ある程度年齢が上がると,「いやいや俺たちの時代の方が」と過去を美化したくなる気持ちが出てくるのだけれど,そういうのって幻想ですよね.ついつい若い世代にはきつい視線を送ってしまうとかいう.

たぶん,プロなんかで活躍する超一流レベルは,今も昔もそんなに変わらないのだろうけれど,全体的な水準って随分底上げされてきたなぁと実感します.

言うなれば,昔で言えば,一流どころの「怖い」打者を強豪校なんかだと5人前後揃えているのが普通だったのが,今では8, 9人揃っているといった感じ.

クリーンアップを打てるレベルの打者が普通に下位を打つようになったような,そんな感じなのです.

その感覚は,日大三高 vs. 加古川北戦を観て,ずっしりと感じました.

去年の明治神宮大会で優勝して,今大会でも優勝候補の筆頭にあげられている日大三高ですが,本当に切れ目がなくて,鋭い打線だと思います.

加古川北の井上くんは,130km中盤のストレートにそこそこキレのあるスライダーを丁寧にコーナーに投げ分けていましたが,コントロール,投球術と共に申し分ないのに次々に鋭い打球を弾き返されていました.

これを観ていると,自分がピッチャーをやっているような気分になって,凄く息苦しくなってしまいました.それこそ,「投げる球がない」という形容がぴったりとくる.

一昔前の高校野球の水準なら,コーナーに投げておけば,強豪校相手でもそこそこ打ち取れて,緊迫した試合展開に持ち込めていたのですが,イマドキの優勝候補だと1番から9番まで強打者なので,それこそどうしようもないのです.

140kmを越える快速球か,目を見張る変化球でもなければ,組み立てを考えコーナーに投げて,後は神様にお祈りするという投法(?)を強いられるようなバッターが,昔ならスタメンの半分いるかいないかという状態だったのに,今では全員怖いとかいう現状.

これは本当に怖い.観ているこっちが過呼吸にでもなりそうだったのだから,マウンド上の井上くんの心情はどうだったのか.

それと,日大三は,エースの吉永くんも将来性を感じさせる素晴らしい投手です.下半身がどっしりとしていて,投球フォームが美しく,力のあるストレートをコーナーに投げられて,得意球のシンカーの落差も素晴らしい.

完成度という点で言えば,歴代の甲子園を沸かせたエースに多少及ばないものの,今後の成長という点では期待大ですね.

他の注目校は,我が故郷代表の履正社高校.

飯塚くんは,相変わらずコーナーワークが巧みだし(故障上がりで失投も多いのだが),守備も堅い(ショートが去年の山田くんと比べるとイマイチだが).それと,一番の注目は1番センターの海部くんか.守備と走塁が水準以上で,バットコントロールがしなやかで懐が深く,逆方向に打つのが非常に旨い.観ていて楽しい.

準決勝は力のあるチームが揃っているので,なかなかの好ゲームが期待できそうである.