2011/10/28

グローバリズムは世界を破壊する

日本がTPPに参加するべきか否かの議論が活発である.

いろいろな議論があるが,私は端的に言って,TPP参加には反対である.

理由は簡単で,「グローバリズムに参加し,世界に開かれた国家へ」というスローガンは,端的に言えば「アメリカさんのお役に立ってくださいね」という言説に等しいからである.

TPPに参加したところで,日本の相手は実質アメリカであり,アメリカのTPPの主要ターゲットは日本である.不況だろうが,震災に見舞われようが,日本にはまだまだ経済的利潤がたくさん隠されているのである.

まず,農業が主要なターゲットになっていることについて考えたい.

TPP推進派は,TPPが導入されることによって,消費者はより安く食品が手に入れられる.現在の農業は既得権益に縛られていて,不等に高い農作物(特に米)を買うことを消費者が強いられている.自由競争を繰り広げることによって,消費者はより安くよりよい製品が手に入れられることになると主張する.

だが,よく考えて欲しい.

食品は口にし,体内に取り入れるだけに,より高い安全性が求められる.

当然だが,安全性の確保にはお金がかかる.

問題は,その安全性というものは,目に見えないということである.

農作物にどんな化学肥料を使おうが,家畜にどんな餌や薬を注入しようが,食べ物になって市場に並んだ物を,消費者が適切に判断することはできないのである.

何せ,その種の安全性は目には見えないのであるから.

産地偽装といったその種の「かわいい」レベルだけではなく,直接人体に悪影響が及ぼされるような質の悪い製品が市場に並び,安全性確保にお金を費やした製品は自由競争によって駆逐されることになる.

安全性を確保しようという倫理観の高い企業を保護しようと思えば,ある程度の出費を消費者は受け入れねばならないと思う.

また,主食である米のことについても考えねばならない.

例えば,カリフォルニア米が豊富であれば,きっと各地のスーパーで安価な米が並べられることになるであろうが,仮に飢饉にでもなれば,米の品不足になることは目に見えている.

TPPを推進することによって,食糧自給率が激減し,経済的な体力もなくなった将来の日本がどんな末路を辿るのかということを想像してみて欲しい.

飢饉がたとえ10年に一度であろうが,20年に一度であろうが,食糧自給率はそのまま生殺与奪の権利を譲渡することになるのである.

あえて,そのようなリスクを背負う必要はない.

農作業という仕事を日本国民に提供する機会を奪う必要もないし,これ以上の米の値下がりを要求する必要もないだろう.今払っている金は,リスク回避のためであると考えた方が賢明である.

それに,日本人の米好きは今に始まったことではない.昨今のカリフォルニア米の質の高さは認めるが,それでも現在の日本の有名どころの米にはまだかなわないと,私は思う(味覚にはけっこう自信がある).

もちろん,問題は農業だけではない.医療や保険制度についても問題は山積みである.

日本医師会に暗部があるのは認めるが,総じて日本の医学体制は素晴らしいと思う.日本の保険制度が機能していることによって,日本の大多数の平均的な庶民は安心して病院に通い,必要であれば容易に手術を受けることができる.

日本ではちょっとした手術(例えば盲腸)にかかる費用はせいぜい5-10万円程度であるが,アメリカではこれの10倍することも珍しくない.アメリカでは金持ちだけが世界最高の医療を受けられるが,平均的な庶民が水準以上の医療を受けられる国ではないのである.こんな制度に追従する必要はない.

この医学体制や保険体制,さらには郵貯や共済年金にも狙いを定めていると思われる節のあるTPPなるものに参加する理由はない.アメリカは,早い話が,日本に経済的植民地になることを要求しているのである.

思うに,我々は自由競争と経済原理,特に見えざる手を信奉しすぎたのではあるまいか.

能力があり,努力をした者だけが利益を独占でき,成功者でない者は努力を怠った無能者なのであるから現状を耐えるべきだという神話は,ある程度までは受容するべきではあると思うが,自国の富を1-5%の人間が牛耳るという現状は,この神話の行き過ぎを示しているに他ならない.

バランス感覚と平衡性を保つよう,富を再分配し,普通の人間が報われる方向に舵を切ることが現在の為政者に求められていることであると考える.

アメリカという国が「グローバリズム」という言葉を口にする時は,特に注意が必要である.

2011/10/26

気のせい?

気のせいか,最近,若くてきれいな女性が3人以上いるのを見ると,なんだかしんどくなってきます.

動悸と息切れがしそうといいますか(いいこと,好きなことは仕事にしちゃいかんです).

ですから,AKBだとか,Perfumeだとか,なんか苦手です.ソロで出てくれるといいのに.あ,でもソロだとこの人達はあんまり...

一方で,ちょっとした問題児系をけっこう上手に扱っているらしいということもわかりました.

個人的には,もちろん,普通のお嬢様系の学生さんたちや,ちゃんとやる活発な人たちの方が扱いやすいと思っているんですけれど,相対的に他の先生と比べると,ということなんでしょうか.

てか,一部の学生さんたちに「ギャル好き」とか思われているんですけど,そんなこと全然ないです.単に扱えるというだけのことです.

それと,今日はまた女のトークを聞かされてしまいました.

けっこう勉強する,頭も良くて,素行もいいお嬢様系の学生さんの話だったのですが.

「○○,勉強好きだし,お金好き」

「女性って,男性じゃできない仕事でけっこう高額なお金稼げるんですよ」

(∩ ゚д゚)アーアーきこえなーい

2011/10/22

たかが教員が

えっとオリンパスの危機が凄いですね.

まぁ,世の中,「正しい」ことを言おうが,実力を発揮しようが,そういった人たちを守ろうとしようが,権力者のご機嫌を損ねたらアウト.クビになるっていうことなのかもしれない.

中日ドラゴンズも優勝しようが何しようが,球団社長のご機嫌を損ねたらクビですもんね.私は落合博満という人がけっこう好きなので,時期日本ハムの監督になったらいいのになって思っていますけど(栗山じゃちょっとねぇ...).

その参考ニュース.一人でビールかけ

こんなこと言ってますけど,私も人ごとじゃなかったりするので,適切な喧嘩の仕方を心得ておかないといけない.まぁ,大学なんていう組織も,腐っている部分は多々あるのが通常だろう.どこかで妥協はしないといけない,と.

ところで,オリンパスは友人が勤めているんだよな.大丈夫なんだろうか.

2011/10/18

北海道民チェック

えと,話し言葉以外はすっかり北海道民が板についてきたと思いたい今日この頃であるが(でも,冬になるとさすがに大阪に帰りたくなるな).

そういうわけで,ご当地の踏み絵の北海道編をやってみた.

自分が該当すると思われる項目は以下の通り.


● 道産子なのに知らない市町村がある。
● スタッドレスタイヤのCMのすぐ止まるは嘘だと知っている。
 冬の交差点でけつを振りながらコーナーを曲がっているFR車をみたことがある。
● ムツゴロウ氏のことはあまり好きではない。
● 鈴木宗男氏もあまり好きではない。
● 札幌駅前で、『どさんこワイド』にうつったことがある。
● 北海道銀行、北洋銀行、札幌銀行のいずれかに口座を持っている。』


えっと...


やっぱり,大阪の項目の方が当てはまるのが圧倒的に多いですね ( ̄▽ ̄;)

2011/10/14

こんなテキストあったらいいな(言語学・統語論)

学部の3年生,4年生を対象に統語論の講義を受け持っています.

生成文法というのは,どうもその考え方からしてとっつきにくいところがたくさんあるらしく,「大学で分からない講義科目」のワースト投票をやれば,かなり上位にいくのではないかという程,人気がない科目でもあります.

アメリカンジョークでも,「チョムスキー」といえば,分からないことを言っている著名人の代表格に挙げられてしまっているし.

一方で,少数の熱烈な支持者を集める力もあるので,それはそれで存在意義があるのではないかとも思う.

一向に「大学教員」という雰囲気が出てこない私ですが,講義スタイルにも日本の大学教員のプロトタイプとは違う部分があるのでしょうか,どうもわからない学生が大半という状況で講義をしたくないというのがあります.

やっぱり,大半の受講生が頭を上に上げて,それで,「わかる」という実感と快感を感じて欲しいという欲求が常にあるもので.

高校や予備校という現場に立つ教師の視点が抜けていないのかもしれません.基本は,受講生の下から2番目辺りの層に話を合わせて,適宜ちょっとハイレベルなことも交えるという水準で話をしようと心がけています.

これは別に講義の水準を落としているとか,学生に媚びているとか,そういうことではなく,インストラクターが自分の話したいことを好き勝手に話して,自分の知的有意を学生に示して優越感に浸るということにたいして教育的意義がないと思っているからです.

この種の講義スタイルは,東大や京大のトップ層には効果があるかもしれません.彼らなら,プライドが高く,自分が分からないという状態に耐えられないので,自分で調べるという態度を身に付けていることが多いからだと思います.

そういうわけで,受講生の顔を見ているということも大きいのかもしれない.

話を戻して.

統語論(統辞論?)の話を理解してもらうためには,まず,英語や日本語といった対象言語を分析する力が必要なのですが,昨今の,といいますか,わりと昔からだと思いますが,日本の大学生の大半は,英語の文構造を分析する力を身に付けることなく,大学に入ってきているのが現状なのではないかと思う.

所謂,伝統文法の知識が元々ないので,まっさらな状態からいきなり「分析」ということを始めてしまうので,頭の中が混乱し,生成文法が毛嫌いされるという現状もあると思います.

それと,考え方と理解の基本というものでしょうか,ごくごく簡単な仮説演繹という思考法や経験科学の基礎というものができていないので,単に自分の思ったことを述べてそれで「考えた」と思っている学生さんが多いような気がします.

実際,高校の大半でそのようなことは習えないので,現状を嘆いていても仕方がないと思いますが.

こういう現状を踏まえると,以下のような条件の揃った統語論のテキストがあれば理想的なのに,というのを羅列すると.

(1) 分析・解説の前に,対象とする文の簡単な伝統文法的解説がある.

(2) 仮説と検証,仮説の破棄・修正という経験科学の基本的な解説がある.

(3) 適当な(多くの)練習問題がある.(やっぱり,実際に頭を動かして自分で考えて始めて身につくと思う)

(4) いい加減,ミニマリスムが中心の解説をしてもいいと思う.(1990年代前半に出たんだから,もうだいぶクラシカルだと思うし,句構造にしてもいつまでもXバーをやっていても仕方ないんじゃないか.むしろ,初学者にはBare Phrase Strucutreの方が直感に合っていてわかりやすいんじゃないでしょうか)

という条件を揃えたテキストというのがなく,カーニーのModern Syntaxはコンセプトがよかったのですが,語彙論フレームワークに色目を使いすぎたせいか,ごちゃごちゃし過ぎでかなり使いにくい(一部は抜粋して使えるのだけれど).これなら,前のバージョンの方がすっきりしていていい.

そんなわけで,毎回,自分で詳細なハンドアウトを作成していますけれど,今年の講義が終わっても講義ノートとして使い回していければいいなと思っています.

2011/10/12

セクハラの手前

人は失言ということをしてしまいます.

フロイトさんによれば,失言は自分の深層心理の願望の反映ということになります.

それで.

実は.

昨日,ちょっと失言しちゃいました.

講義中.

「〜に記入しなさい」という印字があったのですが,下が滑って.

「きょにゅう」

と言ってしまった...(くしゃみを連発した後で,喉の調子が悪かったのです)

( ̄▽ ̄;)

ばれてなきゃいいが.

なんか,妙な願望でもあったのだろうか.

セクハラにならなきゃいいけど.

いいじゃんね,別に小さくても.

2011/10/11

気分の起伏が激しい日

休み明けのおかげで,講義が3コマあっても体調がすこぶるよい.

やっぱり,ちゃんと睡眠が取れているといいみたいである.

ところで.

「他人の価値観を批判するな」とかいろいろと言われそうなのだけれど,今日,うちと他の大学の学生さんが,夏休みに短期留学をしたというレポートがあったので,読んでみた.

どちらもロンドンを堪能されたみたいで,それはそれでよい.

しかし.

どうも,お金を払っただけで行けるお手軽語学留学を

「留学してきました」

と言われたり,

「異文化を理解することができました」

とか言われると,

「ちょっと違うんじゃないか?」と思ってしまう.

しがない貧乏人の僻みかもしれないけれど,がむしゃらに,それこそバイトと大学の講義の合間を縫って,図書館にあったありったけのTOEFLリスニングの問題集を全てウォークマンに入れて,電車内で暇を縫って勉強した結果,なんとか国費留学ができたとかいう自分の立場からすると,どうもこの手のお手軽海外体験を「留学」と読んで欲しくないという気分になってしまう.

語学留学はちゃんと「遊学」と読んで欲しい.語学なんざ,現地に行く前にある程度身に付けてから行くものだと思っているからである.

一時的にでもいいから,留学はやっぱり正規留学をしてなんぼだと思うのである.

なんか,お手軽旅行を「留学」と呼ばれると,平凡な知能しかない自分が,それこそ必死の思いで勉強してきた経験がコケにされているような気がしてならない.

心が狭くてすまない.

でも,本当に,若い学生さんたちには積極的に貪欲にガンガン勉強してもらって,単なる語学留学以上のことをしてきて欲しいと思うのである.

理想論なのかな.

それに関連して,どうもうちの本務校の年配教授さんたちの,

「博士号を持っているからといって,必ずしも偉いというわけではない」

「論文を書いたり,研究発表をしていなくても,きちんとした研究はしている」

「成果が出るものだけが研究ではない」

とかいう言説も,傍から聞いていてため息が出てしまう.

人文系が成果の出にくい学問であるということは重々承知しているのだが,それにしても60代になっても未だかつて何にもアウトプットを出したことのない人たちが口にしていい発言ではないと思うのである.

まぁ,気にしないにこしたことはないな.

一方で.

ちょっと自分のイギリスの母校からメールがあったので,新学期のリサーチスタッフを見たのだけれど.

いやー,充実してるな.

去年から聞いていたけど,ヘッドはピーターだし.

今更ながら,アウトプットは素晴らしいものがあるし.

それに,来年1月からは,ランカスターから社会言語学のやり手も来るみたいだし.

従来のスタッフと合わせて,バランスの取れたいい学部になりつつありますね.

自分もちゃんとやっていこうという刺激になる.インディペンデントリサーチャーとして,自分はまだまだ恥ずかしい水準にありますが.

後日談:

うちの大学で,正規留学の学生には,派遣先の大学とうちの大学の授業料の差額を奨学金として支給することがほぼ決定済みのようである.グッドニュース.いい派遣先も多いし,学生さんたちにはこの機会をぜひ掴みってほしい.

2011/10/10

自分の価値

できるだけ好き勝手に,天上天下唯我独尊的に生きていきたいのだけれど,時々,この大学にとっての自分の有用性ということについて考えることがある.

身近に,業界では有名な建築の専門家がいらっしゃるのだけれど,仕事の手際の良さ,フットワークの軽さ,人当たりのよさ,そして頭の回転の速さと知識に感心させられることが多々ある.

ちょっとしたイベントの企画と前後の雑用も実に巧みだし,人の扱い方もなかなか見事である.

それに学生さんたちをあちこちに連れ回したり(アフリカとか,トルコとか),院生さんには国際会議で共同発表をさせて業績を作ってあげたりとか.

研究・教育・課外活動の3拍子揃っていて,何ができないのか?と聞きたくなるくらいである.

しかも,震災後の仮設住宅建設の仕事なんかをしておられて,被災者のサポートにも貢献されている.(今日のNHKニュースでその模様が)

まぁ,いろいろとアドバンテージになる存在だと思う.(来年以降,下手に学科長やら学部長やらに推薦されて,研究に支障が出なければいいが)

こんな人に比べると,私なんぞ毒にも薬にもなりはしない.

専門的に何かを追求するわけではない人たちに,申し訳程度に英語を教える実力とやる気があって.

あとは,細々とした雑用をそつなくこなせる程度の器用さがあるとか(ある方面では,既に主力である).

それに,特に問題を起こすこともなく,元気に予定通りに講義を消化する健康さがあるとか.

まぁ,そんなもんか.

でも,組織にとって,こういう存在はたくさんいた方がいい.

いなくなったら回らなくなるほど必要不可欠というわけではないのだけれど,一応,いた方が有用だという人材は割に重要であると思う.

かけがえのない存在なんかになってしまうと,それこそ移籍なんかもできなくなってしまうし(この業界では大学を替わることは珍しくない),病気なんかになったら,組織に甚大な被害を与えてしまうことになる.

組織を回すためには,自分の担当のビジネスをする,余計なことをしないということはけっこう重要である.

少数の人たちを必要不可欠な存在にしてしまうと,「もしも」の時のリスクを回避できなくなってしまうからである.

生物学的な分布のあり方を組織に当てはめると,この手の,だいたいの用途に合って,いれば便利で,いなくなってもたいして損失にならないという存在が多数存在するということは,大きなアドバンテージなのである.

というわけで,今日はちょっとだけ自己弁護(誰に対してだ?)をしてみました.

最近,大学教員の多くが有している能力は,

「自分のことは棚に上げて,他者を批判すること」

なんじゃないかとちょっと思ったこともありましたが,まぁ,いいか.

2011/10/02

週末とか

突然だが,私は体毛が薄い方(要するに女性ホルモンが多い)で,そんでもって,いい年して独身で,家事もわりとちゃんとするのですが.

それで,前日の夕食メニューなんかを聞かれて,


「鰤大根.それとキャベツ・マイタケ・人参と炒り卵の炒め物,たたきゴボウ」


と答えたところ,とうとう私にもかかりました.


ゲイ疑惑.


なんでやねん ( ̄▽ ̄;)


因果関係がわからへん.


まぁ,どうでもいいのですけれど.


ところで.


金曜はちょっとうちの業界の有名人が来られたので,そのトークと飲み会に参加.充実した週末でした.ま,土曜は雑用に駆り出されてしまったのですが.


トークはZさんとFさんの話で,Zさんはテクニカルに日本語の格の問題.Fさんは人間言語に共通する言語能力の基盤(要するにUG)があるとすれば,なぜ人間言語のバリエーションがこれだけ豊富なのかという哲学的な議論.ローマン・ヤコブソンに関わる雑談なんかもあって,いろいろと興味深かったです.ベストシナリオとしては,パラメータの大部分(全て)がソシュール流の恣意性に換言できれば,UGの負担は随分と軽くなり,語彙範疇と機能範疇の差というものがそもそもなくなるかもしれないというお話.


まぁ,ミニマリストの本質としては,言語データはそもそも分析の対象にはならないのではないかとも思います.最近,細かいディバイスだけがやたらと発達しているみたいですけれど.


再来週はバイオのお話があるので,それもお楽しみ.北の僻地では,有名どころのスピーカーでも人が集まらないので,気楽に交流できるというよさもありますね.それだけ,研究に興味も関心もない大学の先生さんたちも多いという証左なのかもしれませんが.