2011/10/10

自分の価値

できるだけ好き勝手に,天上天下唯我独尊的に生きていきたいのだけれど,時々,この大学にとっての自分の有用性ということについて考えることがある.

身近に,業界では有名な建築の専門家がいらっしゃるのだけれど,仕事の手際の良さ,フットワークの軽さ,人当たりのよさ,そして頭の回転の速さと知識に感心させられることが多々ある.

ちょっとしたイベントの企画と前後の雑用も実に巧みだし,人の扱い方もなかなか見事である.

それに学生さんたちをあちこちに連れ回したり(アフリカとか,トルコとか),院生さんには国際会議で共同発表をさせて業績を作ってあげたりとか.

研究・教育・課外活動の3拍子揃っていて,何ができないのか?と聞きたくなるくらいである.

しかも,震災後の仮設住宅建設の仕事なんかをしておられて,被災者のサポートにも貢献されている.(今日のNHKニュースでその模様が)

まぁ,いろいろとアドバンテージになる存在だと思う.(来年以降,下手に学科長やら学部長やらに推薦されて,研究に支障が出なければいいが)

こんな人に比べると,私なんぞ毒にも薬にもなりはしない.

専門的に何かを追求するわけではない人たちに,申し訳程度に英語を教える実力とやる気があって.

あとは,細々とした雑用をそつなくこなせる程度の器用さがあるとか(ある方面では,既に主力である).

それに,特に問題を起こすこともなく,元気に予定通りに講義を消化する健康さがあるとか.

まぁ,そんなもんか.

でも,組織にとって,こういう存在はたくさんいた方がいい.

いなくなったら回らなくなるほど必要不可欠というわけではないのだけれど,一応,いた方が有用だという人材は割に重要であると思う.

かけがえのない存在なんかになってしまうと,それこそ移籍なんかもできなくなってしまうし(この業界では大学を替わることは珍しくない),病気なんかになったら,組織に甚大な被害を与えてしまうことになる.

組織を回すためには,自分の担当のビジネスをする,余計なことをしないということはけっこう重要である.

少数の人たちを必要不可欠な存在にしてしまうと,「もしも」の時のリスクを回避できなくなってしまうからである.

生物学的な分布のあり方を組織に当てはめると,この手の,だいたいの用途に合って,いれば便利で,いなくなってもたいして損失にならないという存在が多数存在するということは,大きなアドバンテージなのである.

というわけで,今日はちょっとだけ自己弁護(誰に対してだ?)をしてみました.

最近,大学教員の多くが有している能力は,

「自分のことは棚に上げて,他者を批判すること」

なんじゃないかとちょっと思ったこともありましたが,まぁ,いいか.

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