2012/12/25

一応,仕事

えと,あくまで仕事でミシュランガイドに載った寿司屋さんに行ってきました.

1500円の寿司です.とてもおいしいのだけれど,納豆巻きはいらなかった(食べてしまった).

ここがその寿司屋さんのある「メインストリート(一番栄えている所です!)」の風景.この日はちょうど雪の合間で晴れている時に行けたのですが,夕方から吹雪くという予報でした.豪雪地帯なので,吹雪かれるとシャレにならない.

この日は寿司だけ食べて打ち合わせしていればよかったので楽しかったのですが,次回はインタビューを取りに来て,その文章を起こして活字にして,編集しないといけないという仕事があるのです.結構面倒くさい.(時間も取られるし,当然お金にもならない.むしろ,払わないといけない)

というわけで,大学教員には研究・教育・大学運営の仕事の他に雑用も結構舞い込んでくるのです.

ところで,僕らの業界の宣伝ですが,ちくま学芸文庫から『新・自然科学としての言語学』というのが発行されました.2001年に大修館から出た物の文庫版ですが,かなり改訂してあるので,旧版を知っている人にもお買い得な品.最近,福井さんはこの手の一般層への普及の仕事を精力的にされていて頭が下がりますが,我々若い世代ももっと言語学に寄与しないと学界の存続自体が危うくなってしまう.能力が不足しているのがつらいところなのですが.

さらに内輪ネタですが,新年10日に福井さんつながりで若手の有望株を呼んでトークをしてもらいます.札幌近辺の方々はぜひご来場ください(うちの大学のホームページのトップ「お知らせ」をご覧ください).

2012/12/22

羅列

師走は忙しくしていたら,とうとう22日になっていました.世界も終わりではなかったようです.

そんな最近はこんな生活.

1 そもそも言語学をやる時間がない

2 昨日のことは思い出せても2日前の記憶が怪しい

3 雪が降りすぎで移動にめちゃくちゃ時間がかかる

今日と明日は頼まれ物の仕事.

年末年始も論文読む時間はあんまりなさそうで大変.2月末になるまで,まとまった研究はできなさそうです.頭が腐らなければいいのですが.

2012/12/16

ちょっと歩くだけでしんどい

えと,なんとか2012年最後の山というか,締切をどうにかこうにか守ることができました.

自分にもっと言語学の能力があればとか,英語論文をスラスラ書ければいいなとか,思うところは多々あるのですが,いつもなんだかんだで締切を守れているので,悪くないのではないことなのではないかと思うことにする.

世の「天才」とか呼ばれている人たちは,もっと凄い仕事量をこなしているんですけどね.それを考えると,情けない話だとは思うのですけれど.

まぁ,これで「解放!」ということはもちろんなくて,後はけっこう些細な締切がたくさん待ち受けています.でも,これらは正直,そんなにプレッシャーもない.楽しそうな企画もあるし.

それで,今日はちょっと近場のはずの投票所まで衆院選の投票に行ってきたのですが,大変でした.裏道が完全に閉鎖されちゃってるし,雪のせいで辺りの風景がワケわからんことになっているし.

やっぱり,冬になると札幌も嫌になりますね.春と夏と秋があまりに素晴らしいので,とても素敵な都市だと思ってしまうのですが.

あと,雪道を歩くと,なんか一気に疲れてしまいます.体力を吸われてしまうというか.こんな場所だと,人間が活動的でなくなるのも仕方がないのかもしれない.

道中の風景です.こんな感じで歩道が埋もれてしまっている.札幌にいると「当たり前やん」という気がしますが,よく考えると大変なことなはず.雪を冠っている山は盤渓.スノボーは禁止なので,私にはご縁がない場所ですが.

家のマンションの風景です.車の上に積もった雪を見れば,「こんなに雪って積もるの?」という気になっちゃいますよね.ところで,黒い地面が見えるのはロードヒーティングといって,道を温めて雪を融かしているから.

うちのマンションは一応,高級な部類に入るので駐車場にはロードヒーティングが入っています(入っていない場合,当然,雪かきをしないと車が停められない).湯気がうっすらと立っているのが見えるでしょうか.私の車は立体駐車場の地下に入っているので,ありがたいことに雪を気にしなくてすみます.屋根があるかどうかって本当に重要な問題.しかし,雪道を車で行くのは,本当にしんどい.なんとか事故らないようにしたいものですが.

2012/12/11

こいつらかわいい

えと,ちょっと今日,学生さんたちが教室の前で,授業の終わりを待っているところを通り過ぎた時に聞こえてきたのですけれど.

「まだやでぇ」

「入ったらあかんでぇ」

注:北海道の女の子が喋っている.

...

ちょっと琴線に触れた.

かわえぇな,こいつら.

ところで,その大阪弁はいったい誰の影響で喋っているんでしょうか.

テレビなんでしょうか.

インターネットの動画なんでしょうか.

それとも,あ・た・し??

えぇ,たぶん,情報源は私なんでしょうとも(喋ってた子たち全てと関わりあり).

一応,近いうちに裏は取っておこうと思いますけれど.

2012/12/04

いつ死ぬかわからんな

パウダースノーがかたまってしまい,地面がえらく滑るような状態でした.

それで,車がびっくりするぐらい滑って,なかなか止まらない状態を体験した後だったのだけれど.

とある大きな道路の交差点で,ボーッと信号を待っていると,後ろから「スピード出し過ぎやろ」という勢いで来た車がブレーキをかけているようなのだけれど,全然止まれる雰囲気がない.

...

危機を感じたので,脇道によけて逃げておいたのだけれど,案の定,その車は停止線で止まれず,交差点に勢いよく飛び出していきました.

ガガガ

という感じで.

ふーっと一息ついたのだけれど,よく見たら,車の横に「高圧ガス」という表示があり,「安全運転」なるステッカーまで貼られてある.

...

どこがやねん.

そんなこんなで,別に一瞬の判断という程のものでもなかったのですが,よけていなければ,私は今頃灰になっていましたね.人生なんて分からんもんです.

というわけで,今日は生きていてよかったです.

今日の晩御飯は,ブリの刺身(半額だった.脂がのっていておいしかった),トマト・パプリカ・サニーレタスのフレッシュサラダ(トマトも半額だった),栗ご飯,豚汁でした.

刺身以外は明日も同じ献立です.

P.S.
やっぱ,wordは嫌いだ.できるだけLaTeXを使いたい.

2012/12/01

時には左向き

えと,もう12月になったんですね.

そりゃ,札幌では道に氷が張っているし,今日なんか空気が冷たくて「痛い」感覚だったので,仕方ないですよね.

こんな日はワインでも開けることにする.それでご飯は,パエーリャ,茄子とパプリカの炒め煮,田舎汁(要するに里芋のないけんちん汁),たたきゴボウ.和洋混合でよく分からないことになっています.(そろそろ,再来週末に締切の論文の足音が,あーあー,聞こえない)

ところで,衆議院選挙のニュースが絶え間ないですけれど,政党と政策内容が分かりにくくって仕方ないですね.そもそも政権公約なんて言っているけれど,どこまで実現する気があるんだか.(どの政策をとれば効率的に票が集められるかという以上のことは,考えていないのだろうけど)

そういう意味では,維新の会の公約はすっきりとしていていいのかもしれない.「骨太」とか言われても,「そりゃ,どこの政党もそういうことを目指すだろうよ」という曖昧模糊とした目標なので,何を目指しているのか分かりませんし.要するに「とりあえず,俺たちに政権をよこせ.俺たちに任せろ.やることはそれから決める.分かったか,アホども」ということなんでしょうか.

そもそも,ここは党内でのまとまりが元々ないし,ジャンケンで決めるとか,フェードアウトとかいうワケわからん英語を使っているとか(元進学塾英語講師,元高校英語教師,元予備校英語講師,それでもって大学でも英語を教えている私にも分かるようにはっきりと,このカタカナ語の意味を教えてもらいたい),とにかく何がしたいのかがよく分からない.

ただ,一点,分かることもある.

この党は(「維新」などという言葉を使用するのも辞めて欲しいのだが),TPP参加,最低賃金の廃止,そして公務員の待遇引き下げという目標を掲げているが,ここから,日本の労働者の待遇の引き下げという目標だけははっきりと分かる.

企業の経営という観点から言えば,安くこき使える労働力が得られるのは望ましいことであるし,それだからこそ中国やらタイやらとアジア各国の物価の安い国々に日本の企業がたくさん進出しているという事実がある.

しかしながら,そもそも海外では言葉も風習も違うし,それに場合によっては,中国の反日デモのようなリスクに対処する必要もある.

当然のことだけれど,近場で,安全に安くこき使える労働力があるに越したことはないのである.

労働者の待遇を引き下げ,それでもって,奴隷同士に鎖の長さ自慢をやらせておけば,人件費が削られるし,海外に移転した企業が日本に戻ってくれば法人税も手に入るし,財界と仲良くしておけば,政治家としての地位も安泰になる.

ありがたいことに,人は自分が向上しようとする努力よりも他人の足を引っ張ることに努力を費やす傾向があるので,それこそ労働者の待遇のペースメーカーになり得る公務員の待遇を引き下げておけば,巷の貧乏をしている労働者の不満も軽減できるし,公務員に出さないといけない支出も抑えておけるし,一石二鳥である.

その結果,内需が引き下げられ,デフレが進行しようが,20年,30年も政治家を続けるつもりがない政治屋さんたちには知ったこっちゃないことだろうし,年度末の精算がうまくいっていればそれでいいというビジネスマンたちにも知ったこっちゃない話である.

今の世の中を動かしている人たちにとって,興味があるのは自分の利益がこれからも継続されるかというだけのことであって,赤の他人であるその他大勢の人たちが幸せになろうが不幸になろうがどうでもいいことなのである.大衆は暴徒化しない程度に生きていればそれでいいということなのだろう.

「公務員はね,こんなにもらっているんですよ」と言って,賃金を引き下げようとする橋下氏の政策に拍手喝采する人たちが少なからずいる.しかしながら,そういった人たちは,その引き下げられた分のお金が自分に回ってくることはないということだけは心しておくべきである.

それどころか,ペースメーカーである公務員の待遇が下げられれば,相対的に自分たちの給料がさらに下がり,さらには内需もどんどん下がっていき,自分たちのビジネスに致命傷を与えるということだけは覚えておいた方がいいと思う.

人は窮すれば,足を引っ張り合うという傾向をうまく把握し,それを巧みに利用しているこの政党の人たちは,頭がいい(褒めてはいないが)と感心してしまう.

2012/11/26

やってみたい

最近,CMで見かけますが.



本当にやっているんですね.さすがイチロー(かっこいい).

俺もトライしてみたい.(無理かな?やっぱり)

2012/11/23

名古屋

「だみゃー」とか言っている人は見かけませんが.

えと,ワケあって,ちょっと名古屋に来ています.名古屋を新幹線で通過したことは多々あるのだけれど,ここに実際に足を運んだことは今までに2回しかなかったので,けっこう新鮮な感じです.

周囲の雰囲気ですが,日本第3の都市だけあって,やっぱり人が多いですね.

日本三大ブスの産地と言われているけれど,本当にそうなのかは実感できない.たぶん,開き直っている人の中に,たまにやたらと派手な格好をしている人がいるので,それが目に付くからなのかもしれない.

それと,うちの同僚さんの一人にも言われたのだけれど,繁華街の中に風俗街が入り込んでいるので,ちょっとうっとおしい感じがする.

私学共済を利用すると安くなるので,N古屋ガーデンパレスを利用しているのだけれど,何もこんな風俗街のど真ん中にホテルを建てなくてもよかったのではあるまいか.まぁ,周囲の店の方が後からできたのかもしれないけれど.

というわけで,スーツケースを引っ張って歩いているのに,ポン引きのお兄ちゃんやおっさんに次から次へと声をかけられるので,とてもうっとおしい.朝から大学で仕事をして,夜に飛行機に乗って,それから電車でようやくたどり着いていてこちらとしては一刻も早くホテルにチェックインをして荷物を置きたい気分なのに,黒服のブサイクたちに囲まれると,すっかり機嫌が悪くなってしまう.

なんだかんだで,自分が性風俗に興味が無いということを実感しました.黒服で,つけているアクセサリーは高級なのに,顔も雰囲気も全然たいしたことない男たちが妙にいきがって格好をつけている(関西弁で「イキリ」と言います)のが,無性に腹が立つんですね.

頼むから他でやってくれい.

しっかし,いつの間にやら札幌を愛する気持ちがどんどん強くなっていて,街中を歩いているとついつい札幌に帰りたいという気分になってしまう.札幌の大きさ,きれいさ,人の少なさ(程よさ)がとても懐かしい.それに,風俗店の区画は,すすきのの一角にきちんと整理されてあるのもよい.住み分けは大事なことでっせ,ホンマに.

というわけで,雪が降ろうが,寒かろうが,私は札幌が好きである.

2012/11/21

小さな別れ

私が幼少の頃を過ごしたのは大阪の下町,つまり典型的なベッドタウンで中心地のミナミから電車で20分程度離れた場所であった.

その辺りは治安こそ悪くなかったものの,周辺地域の貧しい人たちが数人混じっているような所で,世の中の闇の部分を子供の頃から目にする機会をいくつか持つようなこともあった.

近所に母子家庭の男兄弟が2人いた.その母親はどうやら夜の商売で生計を立てていたようであり,日中は家で寝ていたので,子供たちはほとんど放置されていたようだった.

小さな頃の話なので記憶も理解力も定かではないが,どうやらどこかで男の1人や2人もいたようである.彼らに「甲斐性」などというものはもちろんない.

家のすぐ近くに,子供たちが遊ぶには十分な広さの公園があり,キャプテン翼に夢中になっていた私は,その男兄弟ともたまにボールを一緒に蹴って遊んでいた.

サッカーボールが1つあれば,多くの子供たちが楽しめる.少なくともボールを追いかけている間,その兄弟もサッカーに夢中になっていたようで,端から見れば,私たちはよくいる元気な男の子たちのワンオブゼムであった.私たちの世代は「ボールは友達,怖くないよ」という大空翼の名言を誰でも知っているが,サッカーボールはまさに友達と友達をつなぐ生命線とも言うべきものであった.我々の間には,サッカーボールがあればコミュニケーションが取れたのである.

また,近所に陽気で優しいおばちゃんがいて,ある日の休日,午前にサッカーを終えた私たちはその男兄弟と他の友人1人,そして私の合計4人で近場のお好み焼き屋でごちそうになった.大阪にいた私にとって,お好み焼きは珍しくも何ともなかったのだが,その男兄弟がとても嬉しそうにお好み焼きをほおばっていたのが印象的で,その日はとてもおいしいお好み焼きをいただいたような気がしていた.気のせいか,陽気なおばちゃんの笑顔もいつもより輝いて見えていたような気がする.

そういった何気ない日常との別れは,しかし,突然にやってきた.

家から自転車で10分ちょっとの距離,幼児にとって,それはそれでけっこうな距離なのだが,そこに府営住宅があった.もちろんのことながら,府営住宅には経済的に恵まれていない家族が住むことになっているのだが,その府営住宅はけっこうな高層で,しかも屋上まで容易に登れるようになっていた.

そういう場所は経済的な理由からか,自然と飛び降り自殺の名所となっており,幼児たちの間にも,夜にその近辺を通ると「幽霊が出る」という噂で持ちきりであった.府営住宅に隣接している公園の街頭がうっすらと青白かったのも,その噂に拍車をかけることになったのかもしれない.

その公園には,周辺で一番大きな滑り台があり,私たち幼児はちょっとした冒険気分も兼ねて,週に1度程度の頻度でこの公園を訪れていた.ある日の夕方,私はよくつるんでいた1歳年上の友人とこの公園に遊びに来たのだが,公園の入り口が立ち入り禁止になっていたのに気づいた.

理由は明らかだった.そこには青いシーツがかぶせられた死体があり,辺りにはバケツに入れてからちりばめたような血液が一面に流れていた.仕方なく,私たちは帰宅することになり,家の近所を歩いていると,近所の主婦たちの井戸端会議が耳に入ってきた.

その自殺した人は,例の男兄弟の母親だったのである.

そのまま,私は男兄弟に別れを言う機会すら持つことができなかった.気がつけば,彼らはとっくに施設に引き取られた後で,彼らの家は既にもぬけの殻となっていたのである.家の玄関はがらんと開き,中に人がいる気配は感じられなかった.

彼らが今,何をしているのか,私には知る術がない.ただ,彼らのことを思い出す度に,自分はせめて自分の周りにいる人たちが幸せになれる程度の力は持ちたいなと考えることだけは確かである.

自分は少しは大きくなったのであろうか.

2012/11/12

雑感

えと,学会と結婚式に参加するために東京に行って来ました(ハードスケジュール).

シンポジウムの数が,今回はけっこう多かったです.それぞれに言いたいことはあるのですが,こんなところでブツクサ言うのも面倒くさいので,そのうちどっかで何かを言うか書くかしようかと思います.(そして,そのうちどうでもよくなって放置したまま,と)

私も年齢的に30を超えてしまって,20代の若い人たちの発表を見て感じることが出てくる世代になったわけだけれど,大雑把に言って海外(欧米だけれど)と日本の若い人たちの学会発表の違いを言ってみると,海外はなんだかんだでオリジナルのリサーチやデータに基づいた議論が基本で,日本は先行研究にガチガチに固められているなという気がします.

海外のは大雑把なのも多いのだけれど,「これをこう磨けばものになるな」という部分が見えてきて,「自分の研究です!」というものがなんだかんだであるので,刺激があることが多い.「おっ」と思える瞬間があるのが基本です.まぁ,この業界,海外の学会の方が圧倒的に採用倍率が高いので必然的にそうなっているだけなのかもしれないけれど.

日本の学会では,若い人たちの頭が悪いとかそういうことは思わないのだけれど,「先行研究を踏まえなければ」という強迫観念が強すぎるのと,先人,特にそれが高名な学者であればあるほど「○○先生によれば」という呪縛が強すぎるような嫌いがある.

もちろん,先行研究を踏まえるのは重要なことなのだけれど,先行研究は別に「正しい」分析でもなければ,偉い先生だからといって彼らの主張が「正しい」ということも決してない.

他人が見つけてきたデータだけであれこれと言うのではなくて,他人の分析にそって,それらの分析が予測するところと,予測しないところを考えて,自分なりのデータを提示してきて,自分の主張というものを全面的に出してきていいのではないかと思う.

日本の学会での若い人たちの研究を見ていると,偉い先生の主張は正しいという呪縛に縛られすぎていて,何かおもしろみに欠ける印象があります.悪い意味で,literature consumerという感じがするので,もっと自由に自分という研究者の主張を出していけば,いろいろとおもしろいことが言えるようになるのではないでしょうか.そして,そういった成果を出して,無事にどこかで大学ないしは研究所で専任職に就き,活躍していってほしいなと思います.

というわけで,学会はそれなりに楽しめたのだけれど,結婚式もわりと楽しかったです.

クルージングという形の結婚式を初めて体験したのだけれど,思ったより普通でした.最初は甲板に出て,風を浴びながらとかいうことも想像していたのですが,窓も開けられなかったですし.

この結婚式は,新郎新婦が同じ職場で,某不祥事を起こした大企業だったのですが,まぁ,予想通りの展開の部分も多々ありました.個人的には新郎新婦には幸せになってもらいたいと思っていますが,会社の今後とか全然興味ないので,ダラダラと釈明やら抱負やらを聞かされるのは,ちょっと(興味ない).

「信頼回復」のために奔走するのなら,「なぜ会社の不祥事を修正して立てなおそうとしたイギリス人社長を追放したままにするのか?」とか,率直な意見の1つや2つも言ってみたくなりました.おそらく,日本人の感覚としては,自分たちという組織を形成していた和を乱した人間は犯罪者と変わるところがなく,そういった秩序を乱す者と再建はできないとかいうことなのでしょうか.私の感覚からすれば,実際に不祥事があったのだから,頭を下げてマイケル・ウッドフォード氏を呼び戻して(この時点で企業の名前バレバレ),残留させた問題源の取締役2人を解任し,共に再建に望むというのがあるべき姿なのではないかと思う.それが,非難されるのを覚悟で不祥事を明確化しようとしたウッドフォード氏に対する真摯な態度であると私は考える.

どうせ,日本人は「変える」のが嫌いなだけで,時間が立てば,禊が落とされたということになるのでしょう.この種の問題を解決しようとしない態度は,東電を筆頭に辟易しているのですが,国民性のようなものはなかなか変わらないんでしょうね.

自分も年を取れば,そんなふうになる可能性は否定できませんし.

まぁ,式自体はいいもので,その後,素敵な人妻さんたちといい夜を過ごしてきました.

発表を翌日の朝に控えていたのですが.

2012/11/05

英語教育について考える

えと,業務命令で,アカデミック英語能力試験開発と今後の日本の英語教育なるシンポジウムに参加してきました.

この企画は,上智大学が中心になって,文科省,英検,ベッドフォードシャー大学で取り組んでいるTEAPという新しい英語テストの開発と,英語教育のあり方そのものを変えようというものです.

中心になっているのが,英語テスト開発という応用言語学を専門にやっている人たちだし,いろいろと勉強になることがありました.

実は日本の大学の英語教育は,英語教育を専門にしている人たちだけが教えているのでもなくて,言語学やら文学やら,その他各種自分の専門領域があって,英語力もあるので英語を教えていますという人たちが相当数いるのが現状です.

私もその一人ですが,この種のタイプの大学教員は英語教育にとても興味・関心があって,日本の英語教育をもっと改善したいという意欲はそんなに強くはありません(なくもないけど).

飯の種にさせてもらっているので「ま,やっとくか」という義務感と,ある程度は存在している勤勉な学生さんの意欲に支えてもらって,なんとかモチベーションを保っている状態です.

しかしながら,「俺の専門は○○だから」と言って,知らないふりを決め込むのもよくないし,英語教育の現状を「これでいっか」とも思えないので,微力ながら力添えができればという気持ちではいます.

今回公開されたTEAPという英語共通テストは,学術に必要な(academic purpose)基礎力の養成に主眼を置き,かつスピーキングテストも開発しようという意欲的なものでした.

使える英語能力を試し,かつ必要な英語力を養成できるという意味では,TOEFLやIELTSといったテストが理想なのですが,これらのテストはいわゆるEFL環境下の水準の高すぎるレベルで,日本の大学受験生に課すにはかなりオーバーロードなものなのです.

かといって,TOEICだと大学で必要とされるスキルとはかけ離れている上に,英語力の養成というよりは単にテストストラテジーの向上しか望めない.

センター試験の英語だと,現状の高校英語教育カリキュラムに基いて客観的にその理解度を試すという点では問題なくとも,この試験ができるようになったからといって,英語力が向上するかというと甚だ疑問なのです.

端的に言わせてもらえれば,センター試験英語の内容が日本の英語教育を歪めていると言っても過言ではない.

ただ,これはセンター試験が悪いというわけではなくて,現状の高等学校の現状を踏まえると,大学入試センターが行える最高のパフォーマンスはこの程度に留まるのかという話.つまり,高等学校の英語教育の体制を変えられるものがなければ,センター試験そのものは変えようがないわけです.

そういう意味でも,学術の基礎力が高められて,高校卒業段階の英語力を試せる程度の難易度のもので,かつ英語の4技能(スピーキングを含む)が試せるものがあればいいなという多くの大学関係者の要請に応えた試験なのではないかと思います.

このテストが今後,広く定着し,大学入試英語に変わりうることがあればいいなと思います.

ただ,このテストは受験生を選ぶところがあるので,おそらく河合塾の入学偏差値で50以下の大学での実施は少し難しいかもしれません.

うちでも英語入試にとって代わってもらえれば,担当者は楽になっていいのですが,採用は現実的ではなさそうですね.

以下,雑感を箇条書き

(1) シンポ会場には,うちの業界関係者(理論言語学が専門の大学教員)も混じっていました.

(2) 熱いことで有名な予備校講師さんもいらっしゃいました.喋り方がハキハキしていて,感じのいい方でした.在野の英語教育関係者の尽力にも期待しています.この人は,予備校講師にわりといるヘンチクリンなテクニックに頼らないので好感が持てる.

(3) 週末に新千歳空港まで車で行くと,駐車場になかなか入れないので時間を食う.やはり,電車で行くべきだ.(ビジネス切符だったので時間変更ができたのだけれど,そうでなければ飛行機に乗れなかった)

(4) そして,東京の人口はやはり多くて,疲れる.

(5) 水道橋のホテルに泊り,近場の東京ドームで巨人が日本一になったのを知る.日ハムは頑張ったけれど,力負けでしたね.吉川と武田勝で4敗したのだから,仕方なかったですね.あと一歩,頑張ってもらいましょう.

2012/11/03

権力が強められる時

真紀子流「劇薬」3大学の新設不認可

新しい大学の設置にあたっては,いきなり審査の場所に持っていくわけでもなくて,事前に文科省の関係者と事前に色々と打ち合わせをしてから,「これで大丈夫」という段階にまで到達し,審査にかけるという手順を踏む.今回は,文科省の審議会がOKと言っていたものを大臣の権限で直前で覆したものである.

新しい組織の立ち上げにあたっては,もちろんハード面と予算,税金の処理,さらには教職員など人材の確保も必要なので,この種の事前打ち合わせは当然必要不可欠である.

時期的に考えて,設置の前年には既にほぼ多数の教職員を確保し,さらには受験生確保(具体的には推薦入試など)に奔走しなければならない段階に入っている.

この時期に判断を覆すようなことがあれば,多大な数の関係者に甚大な損害を与えることになる.

最初に断っておくと,この種の審議会の判断を文部科学大臣が覆すことは法的にはOKである.権限としては認められている.

よって,田中真紀子の行ったことは法的には問題はない.

慣習的には,大臣がこの時期にすべきことと期待されている仕事は,審査認可の書類に黙ってサインをすることである.

それだけである.

「それだけでは,大臣はただの飾り,神輿ではないか」と思われるかもしれないが,それはそれで構わないのではないだろうか.

大学設置にかかる膨大な書類を審査・処理し,多大なファクターに基いて大臣が認可を定めるというのであれば,不認可という判断を下すことに関して,私は批判的な感想は持たない.

ただ,1人の人間が物理的にできる仕事としては,明らかに容量を超えてしまっている.文科省の全ての仕事の判断にかかる情報を1人の人間が把握することなどできないので,組織ごとに役割を分担し,分担責任者の判断の責任を肩代わりして,

「よっしゃ,じゃ,後は私が責任を持つ」

と発言するのが,トップに立つ人の仕事なのではあるまいか.

この種の判断を下すには,関係者との能力的,ないしは人間的な信頼関係が何よりも必要なのだが,どうやら田中真紀子氏には,文科省関係者に対してその種の信頼がなかったらしい.

憶測だが,彼女の頭の中にあったのは,「外務省も文科省も官僚はワルモノで,有権者に選ばれたクリーンな政治家である自分が正義を正さなければならない」という使命感だったのではないかと思う.

彼女の立ち位置は,自分はご意見番で,世の全ての権力者の過ちを歯に衣着せぬ物言いで一刀両断するもの,というものである.

自分は常に正義であり,自分を支持する人たちこそが心ある人間で,自分の意見に楯突くような官僚や,自分を解任した小泉純一郎のような人たちは打ち倒さなければならない悪党であるという物語を描き,それを抜群の演技力でマスコミの前で演じて見せ,亡き父,田中角栄の大いなる待望を果たす強き娘であるというのが,彼女を支えるアイデンティティである.

そんな彼女にとって,審議会の判断を大臣が覆したことがないという,それこそ組織という世界の中にあっては強く絶対的な慣例を打ち破ることは,旧態依然とした膠着状態を打破したという満足感につながるものなのであろう.

自分の全くの個人的判断がもたらす混乱と,甚大な被害は彼女にとっては細やかな問題でしかない.人間が街中を歩くと蟻を踏み潰すことがあるという程度にしか考えていないと思う.

今回審査が見送られた3大学のどこが具体的に問題で,どこに評価する点があるかといった個別の情報は,彼女にとってはどうでもいいことなのである.

地元なのである程度耳にはしていたが,北海道の看護士不足を補うのに大きな期待がかけられていた札幌医療看護大学の役割と,設置に至ったプロセスなど,田中真紀子にとっては何の意味もない情報なのである.

それは,世の多くの男性にとってのネイルアートの機微に関する情報と等しく,無価値なものなのである.

前例がない,誰も成し得たことがない,影響力が強い,審議会の全会一致に歯向かうといったことは,彼女のアイデンティティをより強めるものである.

組織が組織として,多くの仕事を効率良くすすめるために多くの人間がリソースを割いて組み上げてきた役割とは,彼女にとっては破壊されるべき悪習以外の何者でもないのである.

むしろ,影響が大きければ大きいほど,自分の権力者としての力を誇示できる勲章なのである.通常,権力のある人がそのような振る舞いをすることを,人は「身勝手」と呼ぶ.

ただ,身勝手な振る舞いをする首長には,権力が誇示できるメリットがある.

法というものに従って行動している首長は,それがいかなる強大な経済力や軍事力があろうとも,民衆に恐れと影響力を与えることができない.例えば,現在世界の一番の権力者であるバラク・オバマに恐れ慄く民衆がアメリカにいないのは,彼が法というものに従って行動する大統領であるということを了解しているからである.

どういう行動をすれば非難され,どういう行動をとらなければ非難されないかといったことがわかっている限り,人は安心して生活し,特定の人たちに権力を託すことができる.

逆に独裁者と呼ばれる人たちの,個人的見解が法であるという社会にいる人たちは,常に首長の顔色をうかがわなければならないという立場に立たされることになる.

そういった社会では,権力者がその権力を大いに活用することが可能になる.

民主党は,そういった法に従わず,自分が権力であると考えている人間であるということが分かった上で(外相時代に多くの人がその事実に気づいたはずだが)彼女を大臣に据えたわけであるから,これが現政権の望む姿なのであろう.

ところで,近いうちに民意を表明することができる日はいつのことなのだろうか.

2012/11/02

髪は短い方がいいらしい

これから冬になるということもあって,ちょっと髪を伸ばす途中でした.

それで,せっかくなので,長髪にしてみようかと思っていた矢先に,学生さんたちと男のヘアスタイルについて喋っていました.

根本的に顔の作りが違うということくらいはよく分かっていますが,目標は一昔前のL'Arc~en~cielのhydeでした.


こういうの.
髪質とかほぼ一緒なので,不可能ではないと思う.

顔の一部が隠れるので,雰囲気イケメンになれるのではないかとか思ったのですが,女子大生さんたちには不評でした.

かなり.

みんながみんな,男性の長髪はNGだと言うのです.

これって,よく考えたらおもしろいですね.

テレビを始め,多くのメディアで「イケメン」とされている俳優や歌手は大多数が髪が長いし,刷り込みレベルでは,少なくとも日本の女性にはイケメンとは髪の長い人たちという印象があって然るべきだと思われるのに.

遺伝子レベルで髪の短い男性のほうがいいと考えているいうことも特にないような気がする.そもそも大昔はしょっちゅう髪を切ることもなかっただろうし,有史以降も男性の髪は長かったことの方が多い.日本の男性が短髪になる傾向になったのは,文明開化のザンギリ頭と,兵隊の坊主頭など,せいぜいここ1半世紀の長さの話である.

私の憶測なのだけれど,最近は衛生状態がよくなって,清潔感のある男性が好まれる傾向があるので,短髪のほうが清潔感のあるイメージがあるから好まれる傾向にあるのではあるまいか.

というわけで,若い女の子の感性の方が正しいのであろうという想定の下,私の改造計画(?)が始まりました.

ツーブロックのミディアムショートがとりあえずいいという話になりまして,成宮寛貴くんの髪型にしてくるように言われたので,素直にそうしてきました.

というわけで今日,この髪型にしてきてもらってきました.

どうせなら,顔毎こんな感じに変われるとよかったのですけれどね.

って,それを言っちゃおしまいですね.

2012/10/29

MacTeX2010年度版以降で,日本語beamerを作る際の注意点

自分への忘備録と,迷った人用に自己解決した問題を書いておきます.

MacTeX2010年度版以降では,pLaTeXがパッケージに含まれているので,日本語が使えます.ただ,設定が面倒くさいので,以下の点に注意.

otfパッケージが使えるので,プリアンブルに記載する.(要するに,\usepackage{otf}と書けばよい)

環境設定のタイプセットで,デフォールトのスクリプトをTex + DVIにする.

内部設定タブを開け,2つ目のTeX+dvips+distillerを-simpdftex platex --mode dvipdfmx --maxpfb --extratexopts "-file-line-error"に書き換える.

これで,次回以降,日本語が使えるようになる.

beamerを使う際には,pdflatexが日本語に対応していないので,プリアンブルに\documentclass[dvipdfm]{beamer} とオプションを付け,platexとdvipdfmxで処理をする.(TexShopを使用している場合,環境設定のタイプセットでデフォールトのスクリプトをTex + DVIにする.(普段,英語でbeamerを使用する場合,Pdftexで設定していると,ちょっと面倒くさいかも))


英語恐怖症?

最近はいつだったか覚えていないのだけれど,時に英語を使うのが凄く億劫というか憂鬱になることがあります.

昔,「英語恐怖症だった」という人がいて,英語がとにかく怖く,その恐怖症を克服するために英語ができるように頑張ったという話を聞いたことがあったのだけれど,たぶん,それに近い状態なんだと思う.

この種の億劫さはイギリスにいた頃にもちょくちょく感じていて,1ヶ月に1回くらい症状が出ていました.

さすがに英語圏にいるわけだし,使わざるを得ない状況に追いやられていたので,億劫な日は日本人以外の人に会いたくねぇなぁとか思いながら生きていました.(自分のパートナーが日本語が使えないとかいう状況だと最悪ですね)

今も,何だかんだで英語を教えることを生業の中心にしているわけだし,「英語使いたくねぇ」とか言うと,「仕事にならないではないか」ということになりかねないのだけれど,使いたくないものは仕方がない.

まぁ,無理して使っているんですけどね.

普段は,車の中でもBBC world newsを聞いて,専門書だのニュースだのペーパーバックだのと英語でものを読んだり,論文を書くのも英語なのだけれど,この症状が出た日には,車で英語のニュースは聞かないし,英語のサイトは見ないし,ましてや英語で文章を書いたりもしない.

それだけで随分と気分が楽になるのですが,やっぱり英語は自分にとって外国語であって,本能で使える母語ではないわけですね.海外で臨終に迫った人が久しく使っていなくとも自分の母語を口にするようになるという話は有名だけれど,母語というのはそれだけ身体に染みついているものなんだなと実感して思う.

まぁ,傍目には苦労もなく使っているようには見えても「使いたくない」と思うことくらいはあるんですね.世の中,そんなもんなんなんだと思う.

そういや,ごくまれに若い女の子の集団を見たくないという気分になることもあるな.職場はそれなりに楽しんでいるのだけれど,どこかで潜在的にストレスを感じているのかもしれない.

2012/10/23

閉鎖的な日本球界

えと,また3時に起きてしまって,寝られないのでブログでも書きます(今日,授業3コマあるのに。。。)。

眠気が襲ってこないかなーっと期待しながらベッドで横になってiPadで大谷翔平は次世代の野茂になれるか。というニュースを見ていたのだけれど。

私みたいな他人が何を言おうがどうってことないのですが,個人的には,彼の決断は尊重されるべきだし,頑張ってほしいなと思います。

よく言われることだけれど,サッカーでは海外にどんどん挑戦している選手が出てきているわけだし,それで日本のサッカー人気が衰えているわけでもないし(J-リーグ自体はこんなもんなんじゃないかと思う),むしろ代表レベルだと一昔前とは比べものにならないくらい高いと断言できる。(よく「ドーハの悲劇」なんてのも語りぐさになりますが,単にあれは当時の選手層が薄かっただけの話。全体の水準も低かったし,都並の怪我で左サイドバックの人材が枯渇してしまって,代表引退状態だった勝矢選手を担ぎ出していたと記憶する)

この手の海外への扉は,外資系企業に勤めるビジネスマンにも言えることだし,アカデミズムの研究者たちにも言えることで,より待遇の良い,つまり自分の力を評価してくれるところに行けばいいというだけのことである。

それで,組織同士で競争しあっていけば経済の「見えざる手」みたいなもので,業界自体が活性化していくものだと思う。

「日本人の癖に,日本にその能力を還元しないのはけしからん」だとか,「非国民め」といった言説に私は与しない。

メジャーリーグは,まず球場がきれいだし,観客動員も好調だし,それにアメリカ全土で野球を愛しているという雰囲気があるのがいい。

選手会の力も強いので,選手も経営者から尊重されるし,コーチ,監督といった指導者にもきっちりとした指導教育が施されるので(だからメジャーでは,必ずしも名選手だった人が監督になれるわけでもないし,選手としてはイマイチでも名監督になるといったことが珍しくない),日本のような暴力的な支配がまかり通ることもない。

トレーニングコーチやコンディショニングコーチも専門知識に優れた人たちだし,科学的根拠に基づいた基礎トレーニングを積むことができる(もちろん,人成長ホルモンなどの薬物が蔓延している状況もあるのだが)。

トレーニング施設の充実度ぶりは日本の比ではないし,望めば多様なことが可能になる。

ナベツネさんをはじめとする球団が「たかが選手が」という扱いをすることもないし,中道のように選手を私有物扱いにすることもない。

ジャーナリストもパパラッチを除けば,野球の知識があって,きちんと下調べをしてからインタビューを取りに来る。日本のように芸能人やら素人がワケの分からないトンチンカンな質問をぶつけてくることはない(まぁ,女子アナなんかは嫁さん候補になるので,それはそれでいいのかもしれないが)。

それに投手なら,厳格に肩と肘をはじめとするメディカルチェックが施されて,決して無理をさせることもない。日本のように球団のために自己犠牲を強いられることもない。

松坂大輔が靱帯がなくなるまで酷使されてきたのに対し(トミー・ジョン手術の際,医師が驚いて目を丸くしたという話),今年,ポストシーズンでの活躍が期待されていたスティーブン・ストラスバーグが160回の投球回数制限に達したということで投球を止められたのとは雲泥の差である。

成功すればプロの選手として尊重され,最高の舞台が提供され,その待遇も日本よりずっといい。

リーグ全体のレベルも高いし,能力のある選手はどんどん挑戦すればいいと思う。現に,同じく日本のアマチュアから直接メジャーに挑戦した,レッドソックスの田澤投手は目に見えてステップアップして,よい投手になっているのが分かる。(来年の活躍は間違いない)

日本のように,週刊誌やらスポーツ紙にあることないことが書かれて,タニマチの相手をさせられて,挙げ句暴力団の食い物にされて,球団と経営会社にいいようにこき使われて,気に入られなければ捨てられるようなこともない。

それに,NPBは日本の野球界に育てられてきたくせにという恩着せがましいことを言っているが,プロ・アマ協定を作らせて,プロ野球選手ならば自分の息子にすら指導できない程にあれこれ窮屈にさせてきたのは誰の責任だと思っているのだろう。

高野連もたいがいだが,なぜか日本は組織のトップの人たちの思考能力が硬直化する傾向にあるらしい。

こういう状況下で,日本のアマチュアから直接メジャーに行った選手には3年間プレーさせないとかいう鎖国的状況を作り出した日本の野球界の閉塞感が残念でならない。

メジャーでもダメで,日本のどこの球団も手を挙げないならそれでよいではないか。選手としての価値があると見なされればどこかが拾うだろうし,そうでもなければ契約されないだけの話である。

日本のプロ野球の水準もけっこう高い。何をそんなに狭い考えに固執しているんだろうと思う。

そういうわけで,もちろん厳しい世界に飛び込むことにはなったのだけれど,挑戦していく若者にエールを送りたいと思っている今日この頃なのである。

ただ,個人的に大谷くんには野手として頑張ってもらいたいな。(懐の深い構え,バットスイングの柔らかさ,ベースランニングの技術,卓越した送球技術は超一流の野手になれる可能性が感じられる)

2012/10/20

前向きな人たち

しばらく見かけていない学生さんにふと集中的に出会うということがけっこうある。

まぁ,人と会う時なんてそんなもんですよね。会う機会が急に集中したり,バッタリとなくなってみたり。

一昨日,そういう人たちに何人か出会ったのだけれど,なんとなく反応がおもしろかったので列挙してみる。

1 「私に会いたかったんですか?」

2 「私のこと好きなんですか?」

3 「狙ってやってるでしょ」

思わず,「なんでやねん」と言いたくなるような反応ばかりですが,前向きなんですからいいですよね。

そう言えば,以前,学外でとある面識のない学生さんに話かけられて,

「先生,私とよく目が合いますよ。先生,絶対,私のこと好きでしょ?」とか言っていた人もいたのだけれど,思わず,

「なんでそんな前向きやねん。自己啓発セミナー行ってきた帰りかっ!」

とツッコんでしまいました。でも,ネガティブな感情を抱かれていないのはよかったと思いますけれど。

『前向きに 駐車場にも 励まされ』(サラリーマン川柳)

2012/10/14

顔が割れる?

札幌で大規模な買い物に行くとすると,札幌駅前から大通りの辺りがメインになります。

そういった繁華街では,必然的にアルバイトの機会も多くなる。

女子大生だと,接客のバイトをする機会がたくさんあって,うちの学生さんたちも多く働いているのだけれど,一番「おっかないな」というのが,こちらが顔も名前も知らないのに,向こうが一方的に知っているということがあること。

あまりありがたくないのだけれど,私の顔はけっこう割れているらしく,授業も何も受け持っていないのに,知っているという学生さんがやたらと多いようなのです。

キャンパスの廊下で,名前も所属も学年も知らないという学生さんたちと雑談をしていることもけっこうある。

こういう状況だと,「目撃情報」が語られるということもあるし(e.g. 「先生,昨日,○○にいましたよね」,「先生,昨日○○で話をしていた女の人誰なんですか?」),街中でいきなり写メールのターゲットになることもある。

四六時中,監視されている気分になる。

しかも,女の子ちゃんたちは,やたらと情報を共有したがるので,私がいつどこにいたのかとかいう話がすぐに広まっていることが多いので,何かと窮屈な思いをすることがある。

場合によっては,来店して何かサービスしてもらえるという利点があることもあるのだけれど,素性が明かされないということもあるので,用心は必要である。

例えば,札幌の中心地ではないけれど,私が行っているスポーツジムと同じ建物内の某レンタルCD/DVD屋さんの店員さんがうちの学生であるというケースがある。

まぁ,エロDVDとか借りたこともないし,特に怪しいとされる趣味のDVDなんかも借りたことはないので,心配することもなかったのですけれど,もし借りていたらどうなっていたんでしょうかね?

例え学外であっても「教員としての自覚が足りなかった」とかいうことで,セクハラ処分の対象なんかになりえたのでしょうか。よく分からないですけれど。

なお,そのスポーツジムの受付にも新しくうちの学生さん(しかも授業を受け持っている)が入っていました。知らないうちに時々喋っていたのだけれど,愛想良くしておいてよかったです。

あと最近では,とある買い物をしていた時に「美人な店員さんだな」と思って話し込んでみたら,私の所属していない方のキャンパスの学生さんだったということもありました。こちらは後日,そのキャンパスでも会って,ちょっと話し込みました。まぁ,こっちは受け持ちでも何でもないのでほっとしましたけれど。

ところで,キャバクラとか夜のお仕事系で店員と客という関係で会ったりしたら,気まずいんでしょうね。お互いに「秘め事」のように共通の隠し事ができたりしたら,なんかややこしそうだな。

なお,未だにこの手の店に行ったことはありません(本当に)。

身元も知らない女性に大金はたいて,無理矢理「すごーい」とか言わせることに無駄金を払う気になれないんですね。どうせだったら,下心なしで,その辺の学生さんにでも投資して飲みかお茶に行った方がよほど生産的だと思う。

そんなこんなで,地方都市だと,気兼ねなく街中を歩けないのは,ちょっとめんどいですね。

2012/10/05

微妙な時差ボケ

帰国した翌日は普通に生活できていたのだけれど,翌々日から変な時間帯に起きてしまう習慣が続いています(今日も朝の2時前に目を覚ましてしまった).

しゃーないので,元気なうちに仕事してよう.(頭も目もやたらとさっぱりしているし)

学会はなんだかんだでよかったです.職人系の人たちの話がたくさん聞けて,勉強になったし,水準が高かったので退屈する発表もなく,いい刺激を受けてきました.それに,優秀で魅力的な人たちに出会える機会があるのがとてもいい.

学会というと,発表の終了後に,やっぱり飲み歩きが基本になるのだけれど,ドイツ料理は記念に

「まぁ,食べておこうか」

という水準ですね.塩辛いし,油も多いので,なんか酒のあてにするのと栄養補給のためだけの料理という感じがする.


(こういうの.魚も悪くないし,ジャガイモも悪くないのだけれど,塩が多い.本当に多い)

最終日はイタリアンだったのだけれど(ドイツは相対的にイタリアンレストランが多いような気がする),やっぱりおいしかったですね.前回ベルリンに来た時も,パンナコッタが美味しかったのだけれど,今回もパンナコッタが美味しかったです.この濃密なパンナコッタは日本のイタリアンレストランではお目にかかったことがないのだけれど.

あと,ピザもイタリアンが個人的に好み.生地が薄くてパリっとしていて,モッツァレラとヨーロッパの濃いトマトが載せてあって,新鮮なバジルにアンチョビが載せてあるのがとてもおいしい.日本でもよくある,アメリカナイズされたピザは個人的にあまり好みじゃないのです.すみません.

これに加えて,シーフードの載ったサラダ,ラビオリ,ペンネ,あと,なんかいろいろ(忘れた)を同じテーブルの人達とシェアする.

このイタリアンレストランは,比較的高級レストランが集まる場所で,定職に就いている人は(自分を含め)かなり多めに出したのだけれど,ワインをさんざん飲んだのにもかかわらず20ユーロとちょっとで済んでしまいました.

日本円で2000円ちょっとと考えると,この安さはわかってもらえるのではないかと思う.

というわけで,学会が終了し,みんなと呑んだくれた翌日は,ホテルで朝食を取り(焼きたての黒小麦のパン,クロワッサン,それと半熟のゆで卵にカリカリに焼いたベーコン,フルーツをたくさん載せたヨーグルト,煎れたての濃い珈琲がおいしかった),その後,ストレッチ,ランニング,ウェイトトレーニング,スイミングをこなしてからシャワーを浴び,さっぱりとしてから空港に向かう.

Tegelでは,SASを含めて,国際線のチェックインはのんびりとしていて(「ちんたら」していたと言った方が正しいのかもしれない.海外なんてけっこう適当である),出発が15分遅れる.

焦っても,乗客が何かできることもないので,近場のバーでドイツビールを飲んでボーっと出発を待つことにしていると,学会で一緒だったM大の先生と再会する.ヨーロッパではアジア人はけっこう目立つのである.

出発は遅れたものの,よくわからない理由で,経由地のコペンハーゲンにはわりと当初の予定通りの時間通りに着いて,普通に成田まで到達できました.

成田でとりあえずシャワーを浴びて(この前は500円で浴びれたのに,いつの間にか1000円になっていた),羽田に向かい(めんどくさい),そこから新千歳まで帰ってくる.

新千歳から札幌までの電車からの風景を眺めていると,

「おぉ,故郷に帰ってきた」

という気分になるのだけれど,うちの学生さんたちはまだ,私を道産子とは認めてくれないようである.たぶん,話し方に問題があるのではないかと思うのだけれど(相変わらず,日本語は大阪弁以外話せない).

ベルリンの壁の一部.ベルリンの壁崩壊のニュースはニュースステーションで見ていた記憶があるのだけれど,大きな歴史的出来事だったんですね(当たり前か).東ドイツと西ドイツのことについては,習ったことが急に変わったりと,ちょうど変革期に義務教育を受けていました.「正解」が変わるので,覚えるのに難儀した記憶があります.私も大好きだったキャプテン翼では,西ドイツ代表が国際大会の最大のライバルで,カール・ハインツ・シュナイダーが翼と小次郎の強敵でした.


ホロコーストの記念碑.遠くから見ると,小さな石碑に見えるのですが.


中に入り込むと,こういう深みにハマる状態になってしまいます.ホロコーストが,一見たいしたことがないように見えるのに,実際体験してみると,泥沼にはまってしまうということを表現したというのがこの記念碑の趣旨であるらしい.

2012/09/26

到着

フランクフルトから電車でベルリンに着きました.

コンピュータで探したルートよりも電車の本数も多くて,さっさと着いてしまいました.

そんなに急いでホテルにチェックインする必要もないので,2時前にベルリンの繁華街でとりあえず昼食を取ることに決める.

何かを探そうと思った矢先,目の前にイタリアンレストランが飛び込んできたのでさっさと入ることにする.

アラビアータに焼きナスを散りばめてあって,仕上げにとろりとしたモッツァレラの載ったパスタが5ユーロ.これに昼間っからお酒をつけて,7ユーロで昼食が取れる.1ユーロ160円だった頃ならいざしらず,今は100円で計算できるのでいい身分ですね.輸出関連企業にとっては火の車なのだろうけれど,海外訪問する旅行者や大学教員にとっては都合のいい話なのです.

それにしても,イタリア料理というものはおいしい(しみじみ).

ペンネは程よく茹でてあるし(アルデンテですね),ソースの味もよい.それに塩辛くないのがいい.とてもいい.あと,素揚げしてあるナスも本当においしい.

実はドイツ人の作る料理の塩辛さと脂っこさに辟易し始めていたので,この種のよい塩加減がとても心地よいのである.

それにやはりイタリア人は,シェフもウェイターも陽気で楽しそうである.

イタリア人に会うと人生を謳歌している感じがあるのがいいですね.旅先でイタリア人団体に会うと,それこそ中国人や韓国人観光客の団体並にやかましいところがあるのだけれど,それはそれ.

たぶん,日本人で自殺を真剣に考えている人たちは,ちょっと無理してイタリアにでも遊びに行けばいいのではないだろうか.人生,なんとかなるもんだと彼らは生き方でもって示してくれるところがある.

そんなこんなで,ホテルに着きましたが,今回のホテルはちょっと豪華な場所.

ホテルにジムとプールが隣接してあり,自由に使っていいことになっている.

到着するなり,さっそくジムでストレッチ,ランニング,ウェイトトレーニングをし,ひと泳ぎをしてみる.

使い心地は非常に良い.

おかげで,今はちょうどよい疲労が体に残っている.

「仕事で来ているのに,リゾート気分なんてけしからん!」とか言われそうなのだけれど,1泊1万円もしていません.

一応,ステディな職についていますけれど,今でも仕事で宿泊するときには,便利そうな場所で1泊1万円以内に収まるように検索してからいろいろと考慮するようにしているのです.

たぶん,今は壮絶な円高なので,こんないいホテルに安く泊まれているのだと思う.

それと,旅に出かけると,乗り物に座ってじっとしているのが疲れるし,ちょっとしたストレスになるので,体を動かせると非常に気持が良くなるし,リフレッシュできる.

それに帰りの飛行機に備えて,朝の間に疲れておくこともできるし,いいこと尽くめである.

さらに,ホテルの情報を確認した時には,有線でのインターネット利用可ということだったのだけれど,今は無線が使えるみたいです.おかげで,iPadもiPhoneも使えて,地図に行き先等を入れておけるのは便利なのだけれど,メールが全てチェックできてしまうので,職場の,メールもチェックできてしまう(精神的な健康のため,大学からのメールは見ないようにしておこうかと思っていたのはナイショである)

そういうわけで,明日からはちょっと研究遊びモードに頭を切り替えていきます.

これからはその前夜祭.

ホテルの部屋の様子.ベッドの上でテレビが見られる.下はふかふかの絨毯なのです.部屋はとても広くて,こういった場所に住みたくなってくる.

2012/09/25

ヨーロッパにて

えと,所要のため,というか学会があるので,ドイツにいます.

正直に言うと,当初は長距離フライトもしんどいし,少々プレッシャーのかかる仕事でもあるし,ということで,気が進まない部分もあったのだけれど,着いてみるとやっぱりいいもんですね.

SASで来たので,直通ではなくてコペンハーゲン経由だったのだけれど,コペンハーゲン空港は相変わらずきれいな佇まい.

今までもスターアライアンスのメンバーだったし,格安航空券を出している頻度が高いので,SAS でコペンハーゲンを経由する機会は多かったのだけれど,久しぶりに空港に降り立ってみると,いろいろと思い出すこともある.

お店や雰囲気がヨーロッパのそれなので,なんだか懐かしい感覚があって,ちょっとほのぼのする気分になっている一方で,当時のいろいろとしんどかった記憶も思い出されるのです.

世界中でもほんの一握り,その中でも極特別な人達を除いて,欧米の博士課程の学生なんてのは,概ねお金もない割に,プレッシャーだけがやたらと大きくて(きちんとした論文が書けないといけないとか,首尾よく修了しても職がないとか)本当に碌でもない生活を強いられているのだけれど,その時の厳しかった記憶もいろいろと思い出してしまうのです.

当時はとにかくお金もなかったので,トランジットあたりでひもじい思いをしないように家からベーグルサンドイッチを作って,それをサランラップで巻いて持ってきたりもしていました.当時は空港内のバーでおいしそうに冷たそうな白ワインととれたてのシーフードを食べている人たちを横目にして,

「近い将来,きっと大学で専任職を得て,学会に行くときには,こういった場所でちゃんとしたワインと食べ物を食べられるようになってやる!」

という誓いを立てたのも思い出しました.小さいことなのかもしれませんが,経済的に不安を抱えなくなるということが,どれだけ心理的に楽になるかというのは,体験してみないとわからない話なのだと思います.

それで,ふとお腹が空いたときにふらっと,こういった空港内の高めのレストランやバーに立ち寄れる財力があるというのは,経済的な余裕を示す指標なのではないかと私は思う.

残念ながら今回はトランジットの時間がほとんどなかったので,立ち寄ることはできませんでしたが,そのうちコペンハーゲンあたりでのんびりとワインでも飲んでみたいものです.帰りのトランジットも余裕が無さそうなので,また次回以降の楽しみになりそうなのだけれど.

それで,とりあえずフランクフルトに着いたのだけれど,到着時刻は既に夜.

夜に着く予定だったフライトの時間から計算して,ホテルは空港のすぐ近くにしました.すぐに着けたのはいいのだけれど,周辺のレストランのチョイスが少ないのと,水準が低いのが難点.

なんだか無性に麺類が食べたくなって,近場のタイ・レストランに駆け込んだのだけれど,これがイマイチ.

量が多くて,野菜がたくさん取れるのはいいのだけれど,味がさっぱり.日本でも,アメリカでも,イギリスでもタイ・レストランはおいしいところしか知らなかったので,初のハズレかもしれない.まぁ,そんなこともあるのかもしれないけれど.

ホテルに帰って,夜は,10時半くらいには眠たくなってしまったので,そのまま寝たのだけれど,朝は5時にバッチリと目覚めてしまう.

どうあがいても寝られそうになかったので,そこから活動を始め,6時にホテルで朝食をとる.

オート麦のトーストを作り,それにスモークサーモンを載せ,クリームチーズかモッツァレラチーズをつけて食べる.

ブロッコリーと人参,パプリカの温野菜を食べ(ヨーロッパで野菜を確保する方法はわりと真剣に考えておいた方がいいかもしれない),ザウアークラウトも少しつまむ.

なかなかおいしい.

それで,仕上げにヨーグルトに種々のフルーツを乗っけて食べ,珈琲に牛乳を注いで飲む.

これで,朝食は十分である.

その後,学会の20分のトークに備えて予行練習をしてみるが,どうあがいても30分かかってしまうことに気づく.

余計なことは言わなければいいのだけれど,おもしろいconsequenceがあって,大きめの学会で誰よりも先に言ったという既成事実も欲しいのである.ややこしい問題ではあるのだけれど.

要領よくまとめられる力量があればいいんですけれどね.まぁ,これは明日もう一度自分の中で調節しておきたいところなのだけれど.

そういうわけで,今日はもうワインを飲んで,1Q84の最終巻でも読みながら寝ることにします.

フランクフルト市内の様子.フランクフルト中心街と都市近郊で200万ちょいの人口ということで,規模はちょうど札幌と同程度の感じでしょうか.人が生活を営むには,これくらいの規模がちょうどいいのかなという気がします.「ここが観光名所だ!」というほどのものはそれほどないような感じですが,住むには悪くない都市だなという印象は受けます.パリ程,心が踊らないのは,食事がどこに行ってもおいしいということがないからでしょうか.個人的に,旅行を楽しみたい場合には,食べ物がおいしい街に行きたいなと思うし,人をエスコートするならやはり食事の水準の高い場所がいいなと思う.

2012/09/14

素人はいいことか?

民主党と自民党の総裁選なんかもあって,政治の話題が活発である.

さらに,維新の会という団体も加わってきたものだから,話がさらに膨らんできた.

政治に関する議論の詳細は,とりあえず脇においておきたい.

所詮,限られた牌をどのように分配するかという話である.100パーセントの満足なんてそもそもありえない話だし,諸問題の「解決策」なんて原理的にありはしないのである.

エネルギー政策にしろ,福祉政策にしろ,税制対策にしろ,どれも一長一短のものでしかない.53パーセントの正確性か,47パーセントの正確性かどちらを取るかといった程度のものである.

とにかく,私が最近感じる違和感は,日本において,やたらと「素人っぽさ」が評価される傾向にあるということ.

教育政策にしろ,経済政策にしろ,エネルギー政策にしろ,福祉政策にしろ,私は専門家たちの意見を尊重したいと思う.

なぜこの種の専門家の意見が軽視され,素人の方が「健全」で「きれいな」雰囲気が感じられるという空気が作られているのであろうか.

私は,民主党が政権を握った時の空気と,維新の会代表の橋下氏の言説が大きいように思う.

教育や経済政策にしても,今まで専門家たちに任せてきたから問題が生じてきたのではないか.彼ら,既得権益にまみれた人間を追放し,汚れのない,きれいな新人たちを入れれば,現状は改善される.

とでも思われているのかもしれないが,私はこの意見に与しない.

確かに,人間というものは大なり小なり既得権益を得るものだし,そういった特権が得られれば離さないようにする傾向はあるのかもしれない.

しかし,その種の「汚れ」はシステムの性質上生じる「埃」のようなものであって,そういったものを完全に排除することはできないものである.

今まで,官僚とスクラムを組んでおいしい思いをしてきた自民党にお灸を据えなければならないと考えた多くの日本国民は,民主党に新しい政権を託したが,その結果はどうであろうか?

何か,自民党と比べて,「これがよかった」という部分があったであろうか.

端的に言わせてもらえば,当初は政権を経験したことのない素人的意見により,ないしはイライラしているおじさんのプライドが先行したことによって生じた大きなトラブルがあっただけで,結局,自民党と大差ない政権に変わっただけではないか.

ある種の経験がなかったせいで生じたトラブルのことを考えれば,全体としては,前政権の自民の方が随分とましだったかという程度のものである.

そんなものである.

たぶん,民主主義というのは,こういう風に機能する政治システムなのであろう.

あらゆる電化製品に耐用年数があるのと同じく,おそらくシステムというものにも耐用年数なるものがあるのである.

まぁ,システム内の人間の入れ替わりのようなものは,あまり否定してはいけないのかもしれない.

何度か入れ替えをしてみても,みんなが

「あれ,これ,みんな一緒じゃね?」

と思う機会があれば,システムそのものを変えるという発想につながるかもしれないと思うからである.

であるからこそ,割と冷ややかに,

「あっそ,中の人だけ変わるの」

という視点で,気楽に現状を眺めているのが精神的によろしいと思う.

ちなみに,この種の「入れ替わり」を試みる人たちは,論争が上手そうに見えるのが難儀である.

橋下氏とは,思想的には右と左で対局のように思われるが,フェミニズムの上野千鶴子氏には,橋下氏と同じような「匂い」が感じられる.

彼らの論法は割と単純で,自分が「正しい」変革者であるという立場を明確にして,自分の考えに異論を唱える人たちを「既得権益にまみれたワルモノ」というレッテルを貼るのが上手であるということである.

言い方を変えれば,彼らの議論は議論のための議論であって,それにより何かの問題を炙り出そうとか,課題を解決しようとかいう気は全然なくて,自分の「正しさ」を周囲の人に納得させようとするものである.

「それが論争ではないか?」と言われると,私としては閉口してしまう他ない.たぶん,私にはその種の「議論」なるものには興味が持てないのである.

彼らの主張はちょっと強引に要約すれば,「俺たち正義,お前ら,ワルモノ」というものである.

我々が正しいのだから,お前たちを正しく導いてやるという教条主義的な態度は,私のようなタイプの人間を惹きつけることはできない.

たぶん,自分で考えたくない,自分たちを導いて欲しいと思っている人たちにはウケがいいのかもしれない.

彼らは「正義の味方」なので,何を言っても肯定される.現に,上野千鶴子氏は,「コミュニケーション能力のない,つまりモテない男たちはマスターベーションしながら死んでいただきたい.私,何か間違ってますか?」と,堂々と群像で仰っていたが,この発言の性別を引っ繰り返した人がいれば,直ちに「女性差別主義者」のレッテルが貼られることになる.

また,彼らの目的は,「お前らばっかりいい思いして,セコイ.俺たちにもそれよこせ」というものなので,彼らがそもそも忌むべきだったはずの存在と同じことをやって,それを「改善された」と発言するようになる.

まぁ,好きにすればいいと思う.

現状は,素人主義が好まれているような雰囲気である.確かに素人には,最初は既得権益も何もないはずである (by definition).

しかし,彼らも遅かれ早かれ既得権益にまみれ,場合によっては前任者以上にその種の権利にしがみつく状態になる.

それを単に繰り返すだけのことをしても,別に細かい雑用が増えるだけである.

その種の雑用を繰り返すことによって,システムの変革を本気で考える人たちが増えるのなら,それはそれでいいのかもしれないが.

2012/09/11

チラシが違う

引っ越しして変化したものの一つに,レターボックスに入っているチラシが違うというのがあります。

端的に言えば,品が良くなったという感じ。

以前のアパートだと,デリバリーのピザやファーストフード関係のチラシと,性風俗関係のチラシが多かったです。

男性向けの営業用と,女性向けの従業員募集のチラシが同時に入っているとか,カオスでした(一応,住人の性別は分かっていないのだと思うと,安心なのですが)。

現在のマンションでは,性風俗関係のチラシが入り込んだことはないですし(治安がいいんだな),デリバリーのものも寿司屋の営業が基本です(お姉さんをデリバリーしている人はいない。たぶん)。

そんでもって,新築のマンションや家の案内,アウディとBMWのディーラーからの冊子,さらには周辺の地域情報が掲載されたシャレた雑誌のようなものまであります(近辺の魅力的な店が紹介されていて,なかなか楽しい)。

住人さんの雰囲気もいい感じですし,なんか自分の所得水準が上がったのではないかと勘違いしてしまいそうである。

大学が本格的に再開されるのが来週からなのですが,なんか雑用が多くなってきた今日この頃です。

まぁ,会議がなければ,家で仕事できるので楽じゃないかと言われるとその通りなのだけれど。

2012/09/09

ワークショップ終了

えと,うち(とは言ってもお隣の学部さん)が主催するワークショップが終了しました.

小規模だけれど,そこそこ面子が集まっていい雰囲気でした.

それに,一日だけというのもメリハリがついてよかったです.

メインスピーカーのリチャードは,この業界では「一発当てた」研究者として名高く,1988年の論文は誰もが読んでいると言っても過言ではない.

今回の彼の発表は,何か驚嘆させるものがあるわけでもなく,斬新なものでもなく,「批評・検証」に近いものでしたが,議論の組み立てが実に巧妙で,データも緻密でした.当然の話だけれど,「一発当てる」ためには綿密な土台が必要であるということを再認識させられた.

研究者として優れているのは特に強調する必要もないことだけれど,彼の素晴らしい点は教育者としても一流であるということ.

実は,ワークショップの前はうちで集中講義を担当してくれていたのだけれど,学生に対する姿勢が非常に素晴らしく,この日もその真摯な態度の一面が垣間見られて,非常に勉強になりました.

とにかく感心したのが,「人を褒める」ことが上手であるということ.

議論と話の仕方として,他人を批判するのは簡単だし,それに自分の優位性も示せるので,教育者という立場に立つ人はついつい安易に学生を批判してしまう.

特に若くて未熟な人たちの欠点は,先を走っている立場からすればついつい目に付いてしまうものだし,批判するのは容易なことなのだけれど,その種の行為はできるだけ抑えた方がいいと私は思う.

「やってみせ,言って聞かせて,させてみて,褒めてやらねば人は動かじ」「話合い,耳を傾け,承認し,任せてやらねば人は育たず」と山本五十六が述べていたことは有名だけれど,この態度をリチャードという人は実に自然に取っていました.

簡単なことではないのですけれど,私も自然に実践できるようになりたいと思う.

この人には,今後も会う機会が持てればいいなと思います.

さて.

この日は懇親会もあって,いろいろな人と話していたのだけれど,どうも自分はこの業界で生きていくための「俺が俺が」という主体性と自信が足りていないような気がします.

なにか,自分に対する自信がイマイチ欠けているような感じがしますし,「ガツガツ」しているような感覚が他の研究者に比べて随分足りていないような気がする.

自分はどうも他人の批判・批評にわりとまじめに耳を貸す傾向が強くて,仮にちょっと誤解されたようなコメントをされたとしても,ついつい「自分のプレゼンの仕方がまずかった,書き方がヘタだった」と自分を責めてしまうのだけれど,この業界は

「レビュアーのボケが」

という人たちの方が圧倒的に多くて,自負心がものすごく強いという印象を受けてしまう.まぁ,研究者としてはこれくらいの気概があった方がいいのではないかと思うのだけれど.

しかし,根拠のない自信は持てないので,マイペースでやっていこうと思っていますけれど.

そんな今日の晩御飯は,キノコの和風ハンバーグ,小松菜のおろし和え,トマトスライス,茄子とミョウガの味噌汁でした.明日も全く同じラインナップ.

2012/09/05

秋?と道東のしゃしん

えと,ちょっと前になりますが,道東をずっと登って,知床のカムイワッカの滝まで行ってきました.冬場は道が閉鎖されるようなところです.

そんなこんなで,9月になりましたが,札幌は9月の方が8月より暑いです.おかしい.

平年なら,もう既に寒いくらいの季節なのですけれど.

今日の食卓に並んだ食事はこんな感じなのですけれど,秋の味覚って感じですよね.

サンマの塩焼き(この時期,釧路で獲れたものが出回る),トマトスライス(家の裏山の盤渓で売っている野菜の直売所で買ってきた.おいしい),茄子とパプリカの煮浸し(これも直売所で買ったの),冷や奴のミョウガ載せ,羅臼昆布の吸い物三つ葉添え,栗ご飯.

まだ当分暑いみたいなので,いいのやら悪いのやら(暑いのは平気ですが,少し寒いくらいの季節が一番好きです).

車に着いてきたおねだりキツネ.かわいいのですけれど,エキノコックスがあるので触っちゃダメ.ちなみに私はエキノコックスの知識はブラックジャックで仕入れました.

アクアのすぐ頭上に見える黒い物体はなんとヒグマ.カムイワッカの滝に着くなり,いきなり見かけた光景です.まぁ,冷静に対処しているうちは危険ではない.

摩周湖の写真.この近辺は好きなのだけれど,相変わらず人が少ない.もうちょっと栄えてもいいのだけれど.

知床峠.羅臼の方面に向かう途中で見える風景です.この手の自然だけで何もないという雰囲気が道東のいいところ.

知床の奥深いところ.いい天気なのだけれど,途中で霧があったり,幻想的な場所です.ちなみにこの辺は冬には完全に閉鎖されて森の動物たちの楽園になる.

オシンコシンの滝.ウトロの手前にあります.最近の日本語の「パワースポット」の言葉の意味がよくわからないけれど,まぁ,パワースポットなのだそうです.気でも溜めるのだろうか.

岩山に登って,ウトロから見た日本海.羅臼もそうだったのだけれど,北の国からの風景が本当に存在している(当たり前か).冬に一度来てみたいのだけれど(寒いだろうな).

2012/08/21

海外渡航の注意点

iMacさんのハードディスクがお亡くなりになったので,代わりに買ったMacBook Airで初めて書き込みをしています。

今日は雑用dayということで,夏休み中にやっておかなければならない大学業務を滞りなくこなす。(この手の仕事は得意。あんまり公言しても,仕事が回ってくるだけで,得することはないのだけれど)

それと,引っ越しをしたので,今は円山という札幌の高級住宅地に住んでいるのだけれど,確かにこの辺りの住環境はいいですね。静かだし,治安がいいし,カラスはほとんどいないし,原生林の公園はきれいだし,ベランダから見える山はいい感じですし。住む地域は,お金を払っていい場所が選べるのだということがよくわかります。

それと,車で坂を上れば10分程で盤渓というスキーができる山に行けるのだけれど,そこで売っている野菜の直売がおいしいので,今日もたくさん買ってきました。

トマト,ズッキーニ,パプリカ,茄子。

みんな安くて,とてもおいしいですし,この野菜の種類はついついイタリアンを作ってみたくなる。

そんなこんなで,ニュースを見ていると,ブカレストでS女子大の学生さんが殺害されたということを知る。

被害者はさらにTwitterなんかもやっていたみたいで,写真やらツイートやらがかなりさらされている(NHKのニュースでも流れていたけれど)。

非常に痛ましい事件なのだけれど,残念なのは,このリスクは「回避できた」可能性が非常に高かったということ。

必要以上に怖がる必要もないが,日本の女性たちにはもうちょっと危機意識を持って欲しいなと思う。

うちの学生さんたちにも,機会があればきちんと言っておかないといけないと思うのだけれど。

2012/08/18

採点終わった

ソウルから帰国して,ずっと放置していた一学期のテストの採点に取り組む(最近は政治関係で韓国さんが特にめんどくさいのだけれど).

半期の授業はさすがに採点も成績集計も終わって提出していたのだけれど,本務校のは通年授業なので,夏休みまでに一学期の成績を処理してしまえばそれでいいのである.

というわけで,ダラダラと高校野球を見ながら採点に取り組む.しかしながら,この採点という作業は大変である.

まぁ,みんなしなきゃいけないことなんですけどね(マークシートとか買って欲しい).

その採点作業も今日でようやく終了.大阪桐蔭と済々黌の試合も観戦できて幸運だったのだけれど.

大阪で野球をやっていた身分としては,やっぱり大阪桐蔭が優勝して欲しいし,自分が桐蔭で野球をやっていたわけでもないのに妙に誇らしげに感じてしまうという歪んだ優越心を持てるので,基本,今年は大阪桐蔭を応援しているのだけれど,今日だけは済々黌の側に立って観戦していました.

高校野球ファンとしては,強豪校が順当に勝つというのも楽しいのだけれど,やはり高校野球である以上は学生野球なわけだし,プロ予備軍に一泡吹かせる進学校があってもいいんじゃないかと思う.

野球も勉強も,その他課外活動も全部充実させられるような高校生がいてもいいんじゃないか.だいたい,その方が高校生活としては健全だと思う.スポーツ学校の選手たちの進路って,潰しが利かないことが多いので,けっこう悲惨なことが多いのである.

一昔前なら,郡山,土佐,長崎北陽台なんかが旋風を巻き起こしていたけれど,最近の進学校は,選抜で出てくることはあっても(しかも戦績はイマイチ),選手権に出てこないのでけっこう寂しい感じがあったので,済々黌にはぜひとも頑張ってほしかったのである.

客観的に分析してみれば,確かに済々黌に勝機はなかったかもしれない.

だいたい,体格からして,両チームの差は歴然である.桐蔭の方が背も高ければ,筋肉量も全然違う.

バットスイングの速さなんて桁違いだし,守備の動きなんかも,二段階も三段階も桐蔭の方が上である.

しかしながら,野球というスポーツは身体能力だけではなくて,頭と創意工夫でなんとか食いつくことが可能な種目なのである.済々黌は最低限はきっちりとしておかなければならない守備力はあるし,バッテリーのレベルも高い.投手の大竹くんも,スピードも魔球のような変化球もないけれど,ピッチングはうまい.どうにかやりくりすることは可能なのではないかという視線で見ていました.

でも,やっぱり厳しかったですね.

大竹くんは,できるだけのピッチングはしていたと思います.アウトローに決めるストレートのキレも悪くなかったし,カウントを取るスライダー,ストライクからボールになるスライダー,それに微妙に動かすフォーシームもいい感じでタイミングが外れていました.

それでも,大阪桐蔭はそれを捉えるバッティングをしていました.ストライクゾーンならコースいっぱいの球でもはじき返してしまうし,森くんのホームランに至ってはインローの完璧で打たれるはずのない球だったし.

これが普通の高校生の技巧派ができる,限界のピッチングだったのかもしれません.

どこに投げても打たれるという感覚をなぜか私が感じてしまって,ちょっと過呼吸になってしまいそうでした.しかし,最近の高校生は凄いですね.この打線を抑えようと思えば,それこそ今すぐにでもプロで通用しそうな藤波くん辺りを投入しないとどうにもこうにもならないのではないかとも思えてしまう(下位打線はわりと普通なのだけれど).

打線で言えば,もちろん光星学院も凄い.プロ予備軍て感じだし,天久くん,田村くん,北條くんは普通の好投手ではどうにもならない雰囲気がある.まさか,神村学園の柿澤くんがどうしようもないとか(彼もドラフト候補.体調が悪かったみたいだけれど).

最近は設備や分析等,レベルが向上しすぎて,甲子園で勝とうと思えば,まさに野球だけをしているような学校じゃなければ上位進出はちょっと難しいのかもしれない.

でも,公立の進学校には頑張ってほしいんですよね.

あと,念のため言わせてもらいますけれど,公立のそこそこの学校の野球部の人たちの運動神経は,一般的にはかなりいいですからね.それと,大学だけれど,旧帝大の野球部の人たちも十分に運動神経はいいですからね.

2012/08/10

仁川空港にて待ちぼうけ

ソウルの学会はけっこう楽しいというか,お得感があって,40000ウォン(3000円くらい)で,4日分の昼食と,1日のディナー分,それにお茶やお菓子などの軽食がついていたりもします.

最近は,毎日学会に行って,その後夜遅くまで飲み歩くという生活をしていました.最終日にはホテルでのミニライブで,ミュージシャンの人たちにいろいろ曲をリクエストして,ダンス会場にしてしまいました.韓国に欧米のノリを持ってきてすみません.

そんなこんなで,ホテルに帰っても,メールはチェックしないでほうっておきました.まぁ,学会に出ている時くらい,本務校の仕事は忘れておいた方が精神的によろしい.

それで,今,ネットにつないでいるのだけれど,場所は仁川空港だったりします.

これから、夕方まで暇。

2012/08/05

ソウルに来た

引っ越しの細々とした作業が終わり,打ち上げをかねて学生さんたちとバーベキューを何度かして,そんでもって本日,学会のあるソウルにやってきました.

ちょうど夏休み期間中にあって,講義も休講にしなくていいやという時期だったので,なんとなく来てみたのだけれど,夏のソウルって暑いんですね.

なんか,大阪みたいな気温です(36度).

朝晩は既に寒いくらい,日中でもかなり涼しい札幌を抜け出してわざわざ来るものなのかと思わないでもないけれど,たまには脳みそを刺激してやらないといけないし,業績も作らないといけないし,これはこれでいいのだと思う.

ソウルは何だかんだで要所で日本語が通じるし,時折,何かのお姉さんたちに日本語で話しかけられたりもします(1回目はたぶん,交通案内のボランティアの人で,2回目はたぶん女子大生の集団.).

ちなみに1度だけですが,昔のお姉様に(某同僚さんに「おばさん」という言葉は決して使用しないように言われたので,1回だけ守ってみます)朝鮮語で話しかけられました.残念やけど,ハングルわからへんっちゅうねん.

ところで,アシアナ航空のCAの人たちは日本語上手ですね.「仕事ですから」とか言われそうなのだけれど,私も言語学者なので,多少は話せた方がいいのではないだろうかと思わないでもない(でも,最近,記憶力がだいぶ衰えたので新しい外国語は習得できないと思う).

それで,今,滞在しているビジネスホテルにアシアナのCAのお姉さんが1人チェックインしていたのだけれど,顔とか覚えているもんなんですね.いろいろ話せて楽しかったです.

さて.

アジアの都市,と言われると,私はやはり少々汚くても活気のある風景を期待していたのだけれど,そういう繁華街はホテルの裏側に行けばたくさんありました.

孔徳という駅の周辺なのだけれど,大通りに面した場所はいわゆるビジネス街という感じなのだけれど,裏手にたくさん活気のある風景が広がっています.

なかなかよい.

食事は,焼き肉をがっつり食べられるほど,胃袋も大きくないので,スンドゥブという小さな石窯で炊く豆腐のチゲ鍋セットをいただきました.

スンドゥブは,この前LAに行ったときに韓国人街で食べて,とてもおいしかったのを覚えていたのです.

専門店のちょっと小汚いのだけれど,活気のある店に入り,店員のおばちゃんにジェスチャーで「これにしなさい」みたいな感じで勧められたので,そのまま海鮮スンドゥブをいただきました.

7000ウォン(550円くらい)でスンドゥブの鍋(これに生卵を入れて,余熱で温める),ご飯,それにたくさんの漬け物やらの付け合わせがついていて,私ならこれでお腹いっぱいになってしまう.それに,野菜もたくさんとれてヘルシーな感じがする.

ちなみに,繁華街にはいろいろなお店があって,中には「なんじゃ,この和食店?」というアメリカやイギリスで見かける「なんちゃって和食料理」がけっこうあるのだけれど,一方で,パブの中にはサムエルアダムズが飲めるところもある.

「お,わかってるじゃねーか,韓国人」

アメリカビールなんてまずいのが相場と言われているのだけれど,サムアダムズだけはなかなかいけるので,アメリカで飲むビールはだいたいこいつです.ちょっと一回くらい飲んでみよう.

ところで,ホテルのテレビでは普通にNHKが見られるのだけれど,受信料なんて払っていないんでしょうね...まぁ,日本人には便利なのでいいのかもしれないけれど.

というわけで,ぼちぼち会場に行ってみるとしましょうか.

2012/07/24

環境を変えるということ

イチローがヤンキースに移籍したというニュースが飛び込んできた.

ジムでテレビを見上げると,イチローがヤンキースのユニフォームを着て,セーフィコ・フィールドでプレーしている映像が目に入ってくる.

最初,何かのイベントかと思ったのだけれど,「イチロー,ヤンキースに移籍」という文字が帯に出てきた.

シアトル在住以来,ずっとマリナーズを応援してきた身としては,正直ショックだったのだけれど,

「あぁ,これでよかったんだな」

とすぐに思い直すこととなった.

なんとなく,キャリアと彼女を選択する際に,前者を選んだときのような気分に思えた(ちょっと違うかな?).

マリナーズは今年も最下位を独走中で,夢も希望もない球団(期待されていたアクリーとスモークは地を這う成績だし,ダン・ウィルソン以来インサイドワークのいいキャッチャーはいないままだし,リリーフはクローザー含めて壊滅状態だし)だし,このままモチベーションが上がらないまま若手を試す機会を潰すくらいなら,確かにイチローは出た方がよかったんじゃないかと思う.

去年と違って,守備指標も上がっているし,足は好調だし,打撃も一時期は悪くなかったし,たぶん,気分が乗ってきたらそれなりに持ち直してくるんじゃないかと思う.

ヤンキースは優勝が狙える位置にいるし,イチローはジーターとAロッドとも懇意,さらにはマリナーズ時代に仲の良かったイバニエスもいるし,チームにはすぐに溶け込めるんじゃないかと思う.

実にいい機会になったと思う.

ただ,注文が2つある.

まず,記者会見は,「誤解を招きたくない」ということから今まで通り通訳をつけたままだったが,やはり英語でコメントすべきだったのではないかと思う.

イチローはそれなりに英語が話せるし,メルティングポットの中心地みたいなニューヨークなら,少々訛っていても下手でも,英語を話していればそれで問題なかったのではないかと思う.

マリナーズでも,エドガー・マルチネスなんかは訛り丸出しの,決して上手とは言えないような英語で受け入れられていたし,やはりファンにダイレクトな形で溶け込もうとする意志が表明できるので,やはり現地の言葉で話す能力も資格もイチローにはあったんじゃないかと思う.

もう一つは,チームを移籍することにもっとポジティブなコメントを残してもよかったのではないかということ.

日本人的な謙譲の美徳と,今までのチームに対する配慮というものがあったと思うのだけれど,アメリカは移籍ということをネガティブに捉えることはないし,やはり前向きな抱負がニューヨークでは期待されていたのではないかと思う.

ジーターだの,Aロッドだの,テシェイラだの,チームを引っ張る中心選手が目白押しのチームだが,イチローは彼らと比べても遜色ない一流の実績を残してきた選手だし,単に後から来た新参者としてチームを陰から支えるだけではなく,チームの前線にたって引っ張ることも期待されているのは間違いないと思う.イチローには,それだけの資格も能力もあるわけだし.

まぁ,これで個人的には楽しみが増えてよかったのですけれどが

2012/07/22

英語(と現代文)が苦手な受験生達へ

オープンキャンパスに行ってきました.

今年は入試制度が変わるので,学科の説明と,就職状況,それに入試制度について喋ってきました.

それで.

時間がなかったせいで,数人の直接話せた人たちにしか言えなかったのですが.

「英語が苦手なのですが,何をしていいのかよくわかりません」

という質問がけっこうありました.

個人的には,大学のオープンキャンパスでもなんでも利用して,ちょっと1時間くらいで喋りたい話題です.

自分が大学生になってから,英語を教えていて,ずっと思っていたことなのですが.

本当に英語が苦手なんだけれど,「わかりたい」という情熱を持っている学生はかなりいると実感します

もちろん,自分が塾やら予備校やら高校で教えていた時であれば,細かく色々と指示ができるのですが,大学教員という立場になってしまうと,けっこうこの手のことを話せなくてちょっと寂しいことになってしまいます.

残念ながら,多くの学校現場にいる先生たちは,この手の学生の質問に対して,

「単語帳を全て覚えなさい」

「授業をきちんとして,予習・復習しなさい」

「英文法書の分厚いやつ(e.g. Forest, チャート)を全て完全にやりなさい」

「総合問題集 (e.g. NextStage, Upgrade)をやりなさい」

といった苦行を押しつけることが多いのです.

これらの勉強がムダとは言いません.もちろん,それなりに意味のあることです.

ただし.

根本的な英語力がないのに,単語帳を見てもあまり意味はありません.あれだけで,単語が次々にインプットできる程,人の頭は単純ではありません.単語帳は,パラパラと眺めて,自分が「あ,これ見たことある」という項目を確認しながら,既存の単語知識を定着させるのに使うと効力を発揮するものです.語彙力のない人が,あれを見たからと言って,効力を発揮する類のものでありません.

次に,授業の予習復習ですが,単純に先生が教科書ガイドに沿って,和訳を述べるだけといった類の授業ではあまり意味はありません.英文を読むプロセスを明示的に言ってくれる授業でなければ,高校のリーダーの授業はそれだけでは効果が上がりません.

もちろん,最初から一定の学力がある人たちにとっての,演習の機会としての意味は否定しませんけれど.

次に,英文法書の分厚い奴は,言うなれば,文法項目の辞書みたいなもので,あれで英語を支える体系が理解できる人たちは少ないでしょう.

あの手の参考書は参照しながら使う物であって,最初から最後までやってどうこうというものでもありません.

最後に,総合問題集系のものですが,あれは知識問題の得点を上げる意味があるものであって,根本的な英語力をつけるのにたいした意味があるものでもありません.

現状を包み隠さず言ってしまえば,学校の多くの先生たちが

「英語の基礎をやりなさい」

と言ったときに,彼らの頭の中に英語力の基礎を作るものが何なのかという具体的なイメージは特にないのです.

私が英語力と言った場合,英文法という,言語システムを支える根本を使いこなせるように自分の頭の中が整理されていること,さらには辞書を使えば何をどう調べるべきかが自分の頭の中に入っている場合をイメージしています.

英語力の根幹になる知識は,英文を見たときに,中心になる主節の構造が分かり,かたまりを句や節というレベルで自分で区切ることができ,動詞句の主要な構造(SV NP to do ~, SV NP doing ~/doneとか)を自分で確認することができるというものです.

言語は,中心になる動詞句を元に,そこに修飾語句がぶつかり合うことで構造を作るというパターンを形成します.その手の,区切りを自分で見分けるための指針として英文法を使いこなせるようになるのが英語の基礎力です.

それができて初めて,先ほど列挙したような聞き慣れた4つの忠告が意味を成すようになるのです.

この手のプロセスを明示的に話せる先生が身近にいればそれでいいのですが,世の中そんなにうまくはいきません.

しかし,参考書を自分でやろうにも,英語の参考書は多すぎで「どれをやればいいのだか?」という状態になっている学生がほとんどなのではないかと思います.

私にも,それぞれの受験生の趣向に合わせて薦められる参考書は場合に応じていろいろと頭に浮かぶのですが,とりあえず,

「英語が苦手.でも,本当に分かりたいし,やりたいと思っている」

という高校生,受験生の人たちは,駿台文庫から出ている大学入試攻略基礎徹底そこが知りたい英文法基礎徹底そこが知りたい英文読解の2冊をとりあえず併用してやってみてください.

必要不可欠な知識を,演習問題を通じてきっちりと説明している良書で,しかも癖がないのでオススメです.大学で教えている立場としても,この本の知識をしっかりと定着して入学してきてくれるとありがたく思います(K塾の宣伝をしなくてすみません.K塾の参考書は,問題演習用のものに良書がたくさんあるかと思うのですが,基礎を一からというのはないかと).

ついでに言うと,現代文の基礎力を付けたいという受験生達へ.

この手の質問を高校や大学の先生に聞くと,すぐに

「本や新聞を読みなさい」

「天声人語を要約しなさい」

とかいう返事が返ってきますが,これもあまり意味はありません.

入試現代文は,一種の思想教育というか道徳教育という一面があって,さらには入試現代文を支える「規則」のようなものがあります.この手の「規則」は,それに熟知している人の分析に慣れることが一番です.さらに,現代思想の基本的な知識を身に付けてもらえれば,大学側の立場からすると御の字です.

昔からの定番参考書の一つですが,これは入試現代文へのアクセスが使いやすくていいのではないかと思います.昔から,「困ってどうしようもない」学生さんに薦めていますが,外れがありません.基本語彙もきっちりと説明してくれている良書だと思います.

というわけで,今年受験の人たちは,うちを受験するわけでなくても,しっかりと勉強してくださいね.分かればけっこう楽しいものですし.

2012/07/19

圧巻!

花巻東・大谷投手、160キロ 高校生最速

たった今まで,幾度となく映像を見たのですけれど,凄いですね.

圧巻

こんな高校生,出てくるんだという感じですね(漫画みたい).

幸いなことに,花巻東は控え投手もいいみたいだし,岩手大会は今日が準決勝で決勝は25日と間隔が空くので,大谷投手が連投で潰れることもなさそう.

しかし,こんな逸材が甲子園で壊れなければいいなとつくづく思う.高校野球は好きなのだけれど,連戦のやり過ぎは本当にどうにかしてもらいたい.高校生を虐待して潰してしまうのは犯罪ですらあると思う.

そんなこんなで,この時期は,一生野球をやって生きていきたいと思っていたことを思い出します.まぁ,札幌は涼しくて,全然「夏」という感じはしないのですけれど.(北海道人の中には,「暑い」,「しんどい」とかのたまっている人たちもいます.彼らの体力は何かおかしい)

2012/07/16

大学生に告ぐ

えと,もしこのサイトを大学生が見ていたら,うちの学生さんじゃなくても聞いて下さい.

先生や企業,その他団体さんや友人や家族以外の人たちに連絡する時には,基本的に携帯電話メールはやめましょう.

GmailでもiCloudでもHotmailでもYahooでも無料のものでいいですから,できるだけemail addressを活用するようにしてください(スマートフォンもあるんだから).

携帯電話メールがダメな理由は,以下の3点です.

1. 差出人の名前が表示されないので,誰から来たのかよく分からない.そして,パソコンのcontact addressに一々登録するのが面倒くさい.また,迷惑メールフォルダに入っていることが多い.→一応,乗り越えられる程度の問題ですが,重要な案件を逃してしまうことがあるので,リスクは避けましょう.

2. 添付ファイルが貼れない.→大学の先生や企業相手だと,連絡事項が必要なことがありますが,添付ファイルが貼れないと難儀することがあります.

3. パソコンメールアドレスからの着信が拒否設定になっている.→携帯のディフォールトだと,パソコンメールアドレスからのメールは着信拒否設定になっているようです.これだと,返信のしようがありません.

一番ややこしいのは,3番目の事項で,こちらから連絡が返せないのに,

「先生,連絡くれなかったー」

と後で,ごちゃごちゃ言われることになります.なんで学生さん相手に下手になっているんだろうと思いながら,事情を説明したりすることが私もよくありますが,正直,嫌になります.機械音痴な人は,情報化社会においてはトラブルメーカーになりうるということは自覚しておいて欲しいものです.

それと,ややこしいことを言うようですが,emailを書くときには以下の3点に注意しましょう.

1. 自分の身分とフルネームを名乗る.→大学教員だと,非常勤で複数の大学で授業を担当していることが珍しくありません.自分の所属大学と,どこで知り合いになっているかを明記して下さい.また,自分の下の名前だけ名乗られても,こちらはあなたが誰か分からないことが多々あります.

2. 要件を書く.→何の用事でメールを送ってきたのかよく分からない文面がけっこうあります.教員は超能力者じゃありません.あなたの頭の中身を覗く能力は持ち合わせていません.そんなことができれば,私は今頃,ノーベル賞かフィールズ賞辺りを受賞しています.

3. やりとりが一通り終われば,知らせる目的でお礼のメールを書く.→こちらとしても,要件が済んだのか,メールがちゃんと届いたのか不安になることがあります.一言だけでいいですから,返信を返すようにしましょう.絵文字も顔文字もなくても,「怒っている」とか思いませんから,端的に文章で書いてください.なお,携帯依存の絵文字はパソコンでは見られないことが多いので,無意味です.

こんなことを一々言わないといけないのかと疑問に思ったりもしますが,この連休中にもちょっと困ったことがあり,せっかくなので啓蒙も兼ねてここで書いておきます.ここの知識は,就職活動でも社会に出ても

当たり前

に身に付けておかないといけない能力です.自分に思い当たる節があれば,今すぐ実行してください.何も難しいことはありません.

ちなみに同業者でも,この手の問題に苦しんでいる人はいるようです.http://blog.goo.ne.jp/y-mrkm/e/6542a2f993c230f03d632f80186e9ca5

それと,この種の一般常識は,H星学園の学生さん(3, 4年生で,しかも選抜クラスだったこともあると思いますが)は皆身に付けていましたし,H大さんもだいたい大丈夫なんですよね.

一番問題なのは,うちのお嬢ちゃんたちだったりする...(こうしてまた,女性は機械が使えないという偏見が私の中に形成されたのであった)

2012/07/15

先生像というもの

大学の1年生から塾や予備校というところでバイトをするようになったので,「先生」と呼ばれるようになって随分と経ったことになる.

一応,下は小学校6年生の中学受験を志す年代から,上は大学生に至るまで満遍なく教えたことがあるので,経験豊富と言えば,経験豊富なのかもしれない.

そんなこんなで.

最近,いろいろと続けて昔の生徒さんたちからご連絡をいただきました.

ありがとうございました.

中には,小6の時に担当していた人もいたのだけれど,よく考えれば,彼らはもう大学も卒業して社会人になっている年齢なんですよね.自分も年を取るわけだ.(今の顧客さんたちより年上なのである)

高校生や大学生を相手にしていれば,彼らが大人になった姿の想像もつくのだろうけど,相手が小学生や中学の1,2年生だとその種の感慨もひとしおである.

なんとなく,親戚の甥っ子や姪っ子を見ている気分になる.

それと,私に憧れて教員になったとかいう人もいるのだけれど,正直,照れくさくなる.

自分は,英語やら入試問題の解き方やらを教えるのは,確かにそれなりの力量を持っていると思うのだけれど,一人の「教師」としてはかなり問題のある人間だと思う.

欠陥人間と言っても差し支えない.

それこそ,基本的には人格教育というものを期待されない大学教員だからこそ問題なくやれているのであって,私のような人間はあまり思春期の学生を相手にするものではないと思う.

まぁ,塾や予備校なんだったら「別にええやん」という話も通るんだろうけど.

その教員になったという人は,何事にも全力で取り組むタイプで,人間的にもかなり魅力的な人なので,冷静に考えれば,

「(教員として)今の君は,十分にあの頃の私を越えているよ」

と思うのだけれど,まぁ,幻想を抱いてくれているのだから,なるべくそれを壊したくはないものである.

きっと,彼女の受け持ちの学生さんの中にも「この先生でよかった」と思っている人が何人かいるに違いないと思うが.

思春期で感性も鋭いというのもあるのだろうけど,10代の頃は自分でも自覚できないくらい広く成長できる時期だし,受験だの何だのが絡むと,自分のエネルギーをありったけぶつけることになるので,私はちょうど,その頃に一緒に戦ってくれた戦友のような存在になっているのかもしれない.

身も蓋もないことを言ってしまえば,自分が大きく成長できたのは大部分が自分のおかげなのに,それを脇で見守っただけの私が凄い存在に見えているのかもしれない.

そうやって,できるだけ大きな幻想を追いかけることによって,学生というものは進歩できるものなんですよね.

いつまでも,若い人たち(できれば,子供)に見上げてもらえるだけの人間でいられればいいのですが.

2012/07/14

存在の耐えられる程度の軽さ

涼しいを通り越して,寒いくらいの札幌の土曜日ですけれど,朝から3歳までの子供たちと関わる大学の授業にお邪魔して(させられて?)来ました.

まぁ,写真を撮って,ピザを作る手伝いをして,ピザを食べて帰ればいいというだけの話なんですけれど.

しかし,まぁ,今日は(も?)自分って何でここに勤めているんだろうというアイデンティティの問題と闘うことになったのです.

断言させてもらいますが,私が幼児教育関係の学科に所属する必然性はありません.

ナッシング.

という思いを,またまた新たにしてきたのです.

たぶん,同僚の先生たちはいい人たちが多いので,正式に制度的に,田作扱いになっている私が孤立しないようにいろいろと気を遣ってくれているのだろうけど,それにしてもこの学科のイベントやら授業やらに参加する度に,自分という人間が存在する必要性はないのだなという事実を毎回確認する羽目になってしまう.

子供たち相手に歌を歌ったり,紙芝居をしたりして,けっこう楽しそうにやっている学生さんたちは実にいい表情を浮かべているのだけれど,彼女たちに私ができることなんて何もない.

金曜日は,依頼されているレビュー論文の校正をしていて,ちょうど時制のimperfect, subjunctive, indicativeなんかの議論を扱ったのだけれど,この手の言語学の知識なんてこの学科にいる限り無意味である.

意味も意義もないし,たぶん周囲の人たちにとっては,「So what?」の世界だと思う.

PhDを取ってきたことも,この夏に数カ所で喋ってくる論文なんかも何も関係がない.自己研磨なんてはっきり言って,意味がないことなのかもしれない.

たぶん,ここは私がいるべき場所ではないのだろう.

まぁ,そう思えると,気が楽になってきたのも事実なのだけれど.

そんな今晩の献立はこんな感じ.

ニラ入り豚キムチ

茄子とタマネギとパプリカの煮浸し

かにかまのレタス包み

ナメコと三つ葉の味噌汁


2012/07/13

13日の金曜日

ですけれど,特に不幸なこともなく,一日が終わる.

今日で,H大さんの講義は実質的に終了.来週と再来週もあるけれど,基本的にテストなのでもう自分が喋ることもない.半年が本当に早く終わってしまう.

講義と研究だけできていればいいのだけれど,なんかいろんな分掌業務が降りかかってきて,やたらと会議詰めになる来週の予定.時間と労力だけやたらと取られるのだけれど,別にそれで給料が上がるわけでもないし,何か得することもない.ただ,不毛な業務をこなすだけという貧乏くじなのだけれど,こなせばこなすほど仕事量だけ増やされる.

まぁ,あんまり考えない方がいいかもしれないですね.

今日の献立は.

ホッキ貝の炊き込みご飯.

キャベツと人参とマイタケのアサリとベーコンの蒸し焼き.

ミョウガ載せ冷や奴.

ナメコと三つ葉の味噌汁.

明日はお子様たちと遊ばなければならない仕事が入っているのだけれど,「仕事」だとか余計なことは考えないで子供と遊んでくることにします.



2012/07/10

普通の日常

1コマ目から3コマ目まで立て続けに講義をして,なんかたまっている書類を見直して,それから論文の校正をしているといつの間にやら夕方になっている.

というわけで帰路につき(夕方に帰れるなんて,世間の会社員の人たちには羨ましい身分なのかもしれませんが),スーパーでちょっと買い物をする.

そのスーパーで,なぜか2歳前後の女の子に妙に懐かれる.親に私から引き離されると急に泣き出してしまう始末.

まぁ,こういうのもいいですよね.子供に好かれているというのは,悪くないと思う.

論文をダブルチェックして,たった今,提出.もう間違い等があっても,わしゃ知りません.こんな論文を通したレビュアー達が悪いんだと思うことにする.

というわけで,本日の献立.

豚の冷しゃぶ(しゃぶしゃぶ用の豚肉が半額だった)
マイタケとキャベツと人参の中華風炒め(生姜のみじん切りを入れるとおいしい)
山芋の千切り
茄子とミョウガの味噌汁

いつも通り,たいして手間のかかっていない料理なのですけれど.




2012/07/09

ラストミニッツパーソン

最後にギリギリになってから物事を進める人のことを,英語でlast minute personと言います.

というわけで,締切に追われていた週末...(楽しくねぇ)

3本あるうちの,1つは終了.もう1つはほぼ終了.でも,まだドラフトなのでいろいろ確認しないとミスもけっこうあるので大変.

てか,今月の3本は全てwordで書かないといけないんですよね.例文番号も案の定ずれまくっているし,例文のグロスはきれいに揃わないし(諦めた),参考文献もいちいち書かないといけないし,それにtree(樹形図)はwordで書けないので,わざわざLaTeXで書いたものを画像として貼り付けないといけない.

もう,ホンマにword指定は辞めて欲しい.文字化けも気にしなくていいんだし,LaTeX使わせろよ,ホンマに.

そんなこんなで,忙しいはずなのに,ウインブルドンを見てしまう.だって,Andy MurrayとRoger Federerの決勝戦ですぜ.私はフェデラーが好きなのだけれど,ウインブルドンなんだし,76年ぶりのイギリス人優勝(ちなみにマレーはスコットランド人.イギリスの国籍問題はややこしい)がかかっていたわけだし,ということでマレー贔屓で観戦していました.

第1セットをマレーが取って,第2セットも7-5までいったとなれば,やっぱり集中してしまう.まぁ,最終的にはフェデラーの強さを見せつけられた感じになってしまったのだけれど.

そんなこんなで夜更かししちゃったので,今日はフラフラしていました.

さーて,明日からは気合い入れないと.

2012/07/05

札幌が好きなのだけれど

住みやすさという観点から言えば,札幌という街はなかなかに魅力的である(経済的にお荷物なのは知っているけれど).

街はきれいだし,道は広い.道路も歩道もちゃんとあるし,広いし(路駐が多いのは確かだが).

街の中心部に行けば,都会の生活で必要なものはとりあえず全部揃うし,主要なお店は電化製品からファッションブランドから一応一通りはある.

地下鉄の接続も悪くないし,人の多さもほどほどという感じ.

過疎になるほど少ないわけでもないし,東京みたいに辟易する程多いわけでもない.

前もって準備していれば,だいたいのことはできる.

周囲に自然は多いし,海,山,川,平野の素晴らしい場所があちこちにある.

綺麗で広い公園もたくさんあるし,ウインタースポーツも満喫できる.

地価は安いし,綺麗で広い賃貸住宅にも一戸建てにも首都圏では考えられない値段で住むことができる.

しかも,中心部からちょっと離れた静かな郊外に,である.(中心部までは地下鉄,タクシー,自転車,徒歩とどうとでも行ける)

人もなんかのんびりしているし,人当たりが悪いとか,陰湿だとかそういう雰囲気もない.

それに冬場は本州から輸送せざるを得ないのだけれど,夏の野菜は素晴らしい.安いし,おいしいし,本当にいい.アスパラだの,ジャガイモだの,葉っぱ系の野菜だの,本当にいい野菜の味がする.

それに魚介類が群を抜いて新鮮である.

というわけで,札幌は自然と都会の両方を満喫できる,きれいな都市である.なんとなく,ここに永住できればいいなと考えることもある.

多分,パートナーがいて,子供を育てるということを考えると,かなり理想的な都市なんじゃないかと思う.

治安もいいし,関西圏のようなしがらみや問題もないし,遊ばせておける自然や公園は枚挙に暇がない.バーベキューだの,キャンプだの,温泉だのとレジャーも豊富である.(アミューズメントパークはあんまりないけど)

中心街は中心街で大きいので,買い物に困ることもない.

あえて欠点を挙げるとすれば,教育水準が低いのと,体力水準が低いといったことくらいだろうか.でも,首都圏や関西圏のように小学校の頃から無理してあぁだこうだと詰め込まなくても,知的能力にも個人差があるのだから,その能力がないのなら,無理に勉強しなくてもいいかなとは思う.体力は,私は個人的には野球関係をびっちりと仕込みたいが,これは自分に男の子ができた時に心配すればいいだけの話なのでしょうか(大阪で野球を経験してきた身としては,北海道の野球のレベルはやっぱり低すぎる).

気候は,なんと言っても冬場がきついのですが,集合住宅にいれば雪かきはしなくていいし(一戸建てに住むと毎朝大変らしい),それに家の中は本州の冬よりずっと暖かい.暖房を入れなくてもいいくらいである(たぶん,周囲の部屋の暖房で暖まっているのだと思う).

そりゃ,外で労働している人たちにとっては,札幌の冬は拷問なのでしょうが,車で職場を行き来して,室内で仕事をするような身分になれれば,雪もたいして問題にはなりません.まぁ,年に数回はちょっとヤバ目の天候になることもありますが.

それになんと言っても,夏がいい.もう終わったけれど,6月は本当に天国だし,7月と8月も本州の暑さとは比べるべくもない.正直,扇風機があれば冷房はいらないと思う(というわけで,節電の必要があるなら,北電さんは冷房を止めさせるべきだと思う.後は,平日昼間のムダなテレビと,パチンコと).

そんなこんなで,住環境としての札幌はけっこう気に入っているのだけれど,何せ日本では外れにあるので,研究環境としてはあんまりよくないというか,刺激はありません.

キャリアを取るべきか,生活を取るべきか.

さて.

そんな今晩の献立は,

鯖の味噌煮(鯖が半額だった)

大根,しめじ,ゴボウ,崩した豆腐の吸い物(要するに,里芋の入っていないけんちん汁)

小松菜の芥子和え

人参のカレーマリネ

でした.

なんか,一気に年寄りくさくなった献立ですね.

小松菜とゴボウは,JA石狩とれの里で買ってきました.いい野菜が安く売っているので,めんどくさくなければたまに行きます.

2012/07/01

人を扱うということ

先ず隗より始めよ』という有名な故事成語がある.


古代中国,燕の昭王は強い国を作りたくて,よい方法はないかと郭隗という者に相談した.


すると郭隗が言った.「昔,ある君主がよい馬を探していました.何年たってもなかなか見つからなくて困っているところに,ある男が,よい馬を探してくると申し出てきたので大金を与えました.その男はすばらしい馬を見つけましたが,すでに死んでいました.ところが男はその死んだ馬の骨を大金を出して買ってきました.君主は男を怒りましたが,実は男には,『死んだ馬にさえ,あんなに大金を払うのだから生きている名馬ならもっとすごいお金がもらえるだろう,と評判がたつはずだ』という考えがあったのです.

それから1年もしないうちに,すばらしい名馬が数頭手に入りました.もし昭王が本気ですぐれた人材を集めたいのなら,まず私のような何の取り柄もない人間を大切に扱うことから始めてください.あの隗のような人間でさえ優遇されると評判が立てば,もっとすぐれた人間が道のりを遠いとも思わずぞくぞくと集まってくるはずです」

昭王は忠告に従い,郭隗を大事にし,その結果,有能な人材がたくさん集まり燕は大いに発展したという.

また,松下電器の創業者である松下幸之助は,人事担当の幹部に病床のところを見舞われ,「会社の業績が低下している.社員を解雇しましょう」と進言されたところ,「誰も解雇しません.みな家族やないか」と涙を流して答えたそうである.それを社員が伝え聞き,意気に感じ,業績を盛り返したことがあったそうな.

もう一つ.


以下,シャープ株式会社創業者の早川徳次の一生である.


東京の下町に生を受けたが,口減らしのため養子に出される.養母にいびられまくる

養母が「お前は小学校には行かせない」宣言.超重労働家事をミスると飯抜き

ある盲目の女性の紹介により丁稚奉公に出るが,養母がタカリに来る

18歳で独立,ここでようやく両親が他界していたことを知る

実の兄と対面,兄弟で会社を設立.独立資金50円の内40円は借金

働きすぎによる過労で倒れる.血清注射による治療で命拾い

関東大震災発生.ここでも九死に一生を得るが,妻と二人の子供は死亡,工場も焼失.債務返済のため各種の特許を売却.再び一文無しとなる

新天地・大阪で会社設立.旧従業員数名が手弁当で無理についてきた.「給料を払えるかどうか分からないんだ,東京のほうが復興需要で仕事があるぞ」「社長,誰が給料なんて欲しいと言いましたか?」

物不足と金融引き締め政策により経営悪化.「可愛いお前たちのクビを切ってまで,会社を存続させられない.再就職先は死んでも俺が見つける.心配するな」「社長,この会社が無くなるぐらいなら,それこそ死んだほうがマシです」

倒産の危機.なのに盲人を雇うための会社を設立.「あのときあの盲目の女性から受けた恩を忘れたら,俺は人でなくなってしまう」従業員もなぜか賛成「それでいいんです,社長.それでこそ社長とこの会社です」

まだ会社は油断できない状態なのに福祉会館を設立.「人を愛することは,自分を愛することと同じだ」従業員もなぜか賛成

社名を「シャープ株式会社」に変更 .大阪文化賞を受賞.87歳でこの世を去る.



さて.

昨今は,リストラがけっこう流行で,現行の人材よりも,まだ見ぬ未知の優秀と見込まれる人材の方が大事で,自分の配下や同僚よりも所属組織の利益の方が大事という判断が積極的に採用されるようになってきている.

私は,この傾向に与しない.

短期的な視野で見れば,確かに「業績」は上がるのかもしれない.

しかしながら,この種の判断を下す人たちには人を評価する能力が欠けているように思える.

組織を運営している側が,自分と一緒に働きたいと思える感覚よりも,より金銭的利益を求めるようになれば,使われる側の論理としても,より自分に好待遇を与えてくれるところに次々に移るということにもつながる.そして,その際に,立つ鳥跡を濁さずという感覚はなくなる.

当然である.

使用者側に自分が資本の一部としてしか評価されていないわけであるから,自分も恩義を感じる謂われがないということになる.

彼らの所属組織に仕える意義は,単純に経済的な側面だけであり,組織とそこにいる人たちのために働くという機運が生まれる可能性が遮断されているのである.

これは危機の元である.

「経済的利益」を計算するためには,競争が必要不可欠である.理想としては,人と人が競い合い,お互いを高めることが望ましいのであろう.しかし,人は安易な方向に流れがちである.特に,雰囲気の悪い組織においては,お互いに業績を伸ばし合うよりも,足の引っ張り合いをする方が楽だと考える人間が多数出てくる公算が高いということは否めない.日本のように,出る杭を叩く社会ならなおさらである.

これは,個人間の私的なつながりにも言えることなのではないかと思う.

ある人や組織を「特別だ」と言う時,その根拠はわりと希薄な物である.適当だと断言してもよい.

しかしながら,そこに思いやりが感じられれば,その種の恩義に報いようと考えるのが人間というものである.

自分より条件がいいと思って他の異性になびこうとしていたパートナーが,先方に振られたからといって,「やっぱりあなたが一番」などと戻ってきたところで,相手に対する信頼は生まれないし,手を差し伸べようという気にもならない.

これと同じように,「お前の代わりなどいくらでもいる」と足元を見てくる組織に対して,愛着の念など沸いてくるはずもない.

人は今,そこにいる有用な人材を「当然」のように思いがちだが,彼らの信頼を失うことによる損失にもっともっと自覚的でなければ,組織の上に立つ資格はないと思う.

ということを考えていた先週のお話でした.

そんな今日の献立.

豚の冷しゃぶ.大根おろしたっぷり

キャベツと人参のアサリバター蒸し

なめこと三つ葉の味噌汁

みょうが載せ冷や奴

明日は職場の健康診断なので,朝食を控えておくように言われているのだけれど,蒟蒻畑を一袋と珈琲を飲んでから行こうと思っています.ま,ええんかな?去年も健康値内の数値だったし.

2012/06/24

最近,何をやっているのかわからないのだけれど

えと,何かと雑用が舞い込んでくるのですが,来週もまぁた,言語学とは縁もゆかりもない仕事をやんないといけないことになりそうです.

その次の週は,入試関係の話も複数あるし.

というわけで,大学教員って,雑用の多い職種なのです.まぁ,気楽と言えば気楽なのかもしれないけれど(今日も中間テストの採点をEURO 2012と野球を観ながら終えたところだし).

「大学教員って何で評価されるんですか?」と聞かれることがあるのですが,正直,要因はよく分かりません.

会議や分掌業務など,経営に関わらないといけないですが,これは大学内で権力を握りたければ頑張ればいいのだけれど,雑用を増やしたくなければやらない(できない)方が得です.まぁ,組織にいる以上はある程度仕事の出来る人間の方が居心地がよくなるということだけは確かです.

講義はもちろん重要な仕事の一つですが,この内容も特に評価の要因にはならないというか,日本らしく,特に問題を起こさなければそれでいいという感じです.学生アンケートなんかもやりますが,アンケート結果がよかったからといって特に何があるわけでもないし,めちゃくちゃ悪くてもそれでクビになったりすることはありません.また,集客力があるということも全く評価されることはありません.

研究も,別に論文を書こうがかくまいが,学会発表をしようがしまいが,少なくともうちの大学では特に評価されることもないし,書かないからといって特に何の罰則があるというわけでもない.

まぁ,勤続年数が長いとか,社会情勢なんかもあって,いつの時代に職に就いたかとかいったことが給料や待遇の主要因であって,仕事の内容が問題になることは何もありません.ちょっと冒険して変わったことをして,問題が起これば責任を取らされることはありますが,無難に周囲と同じ事をやっていればそれで万事オーケーといった職種です.

「なんだ,そりゃ?」

と一般の人には言われそうですが,私はこれはこれで悪くないのかなという気もします.

分掌業務なんかは,極端にできる人とできない人の差が出る上に,それで人に感謝されることも,自分の履歴になることもないので,多少の不満感が出ることもあります.しかし,これは,言うなれば雪かきみたいなもので,とりあえずできる人がやっておかないといけないという類のものなので,「しゃあない」という気分でやっています.

講義に関しても,予備校みたいに目的と教えるべき事柄が決まっており,即効性が求められている内容のものを扱うのであれば,もっと厳密に評価するべきなのかもしれません.

しかし,大学で扱う講義なのだから,その意義が数年後,数十年後に分かるような内容を扱う必要もあるし,時にはワケわからんことをやってもいいだろうし,それに講義丸ごと失敗してしまうような冒険も時には必要だと思う.それに,単位認定が優しい方が学生評価が高くなることは明確なので,時には厳しい教員も必要なのである.教員は嫌われることも仕事の一つなのだとよく思う.

研究に関しても同じで,確実に研究成果が見込める小さな研究もあるだろうし,調べたところでなんにも分からないかもしれない,挑戦的な研究テーマももちろんあるだろう.時には結果を求めないことも研究ってやつには必要なのだと思う.

まぁ,こういう講義や研究という類のものは,あまり資本主義的・効率的な考え方と馴染むものでもなくて,非効率的な道を進むことが許容される雰囲気も必要なのである.

それに,効率よくお金が稼げないとしても,講義では少なからず受講生の満足した顔を見る機会が得られることも多いし,専門分野ではそれなりに充実感が得られる機会もある.言うなれば,お金以外の報酬というものがあるのである.

いつも思うのだけれど,自分が一生懸命仕事をして,それで人が喜びこそすれ,人を不幸にすることはないのだから,こういう職種って恵まれているよなって常々思う.

って,自分に言い聞かせているみたいだな.

そんな今晩の献立はこんな感じ.

鮭とキノコのあんかけ
(i) 鮭に塩を振る.
(ii) フライパンで両面に軽く焦げ目ができる程度に焼き,それから微塵切りにした生姜ひとかけ,白だし,お酒どぼり,醤油たらーっと,それにほぐしたマイタケを入れて,ちょっと加熱し,
(iii) 仕上げに刻んだネギたっぷりと小さじ1杯の片栗粉を水に溶いてドバーっとかけて終わり.

白菜のおひたし
(i) 白菜を塩茹でして
(ii) ザルにあげて,そのまま冷やして
(iii) 軽く絞って,くるくると巻いて盛りつけて,ポン酢をかけて終わり.

キノコのカレーソテー
(i) マイタケとエリンギを刻んで,ゴマ油で炒めて
(ii) 塩・胡椒で味付けし
(iii) 仕上げにカレーパウダーをかけて炒めておしまい.

ミョウガと油揚げと茄子の味噌汁
省略.

調理時間は27分でした.

2012/06/23

終わった

札幌紀伊國屋書店でのイベントが終わりました.

よかった...

なんか,間を持たせるのが凄く難しく,出だしがあまりよくなかったので,最後まで綱渡りの司会でした.調子が悪くてもそれなりにまとめるのがプロの仕事なので,課題がいろいろと見えたのは収穫でしたが.

しっかし,この気分屋気質の自分の性格はどうにかならないものか.

ところで,21日に出演してきたローカルテレビが動画に上がっていました.


Video streaming by Ustream

自分の出演は一番最後です.ちなみに自分が動いている姿や自分の声を聞くのは嫌いなので,私は観ていません.そして,自分では視聴しません.

ちなみに,この番組の出演では,キャラを作っていますからね.

現実の私はこんなのではないはずだ.たぶん.

2012/06/21

テレビ出演してきた

えと,ローカルのインターネットテレビ,えりす石狩ネットテレビという番組に出演してきました.

漫才みたいな使用になっております.

スタッフや周囲の人たちにはけっこうウケた(これだけで満足).

2012/06/20

サイエンスの記事

一応,大学教員ではありますが,私が同僚とScienceやNatureをネタに話をする機会を持つことはできません.

まぁ,所属が学術とはあまり縁のない場所なので,仕方がないと言えば仕方がないのですが(隣の学科に行くと,それなりにいる.遺伝子の話ができる人もいるし).

ということを,ちょっと考えるきっかけになった記事がこれ.

Gene mutation sought to explain mysterious language problem

言語障害とか,ちょっと詳しいと(ムダに)授業を持つ機会は持てるのだけれど,まぁ,うちでやってもしゃあないか.

でも,日本でももうちょっと言語障害に関心を持ってもいいと思うんだけどな(教育上,必要なこともあるだろうし).

うちでも言語障害についてやっている教員はいるのだけれど,「FOXP2」について試しに聞いてみたら,

「何,それ?キツネ?」

とか言われたのはナイショである.

いや,まぁ,Foxは確かに「キツネ」という意味はありますけれど...(しかも,北海道だから,その辺にいるし)

ちなみに,FOXP2は,運動制御機能との関わりの方が大きい可能性が高そうですね.Pinkerなんかは,どこまで本気で言っているのか分かりませんが.

2012/06/17

人は人

趣味が悪いかなとは思うのだけれど,スーパーのレジで待っているときは,前の人の買っている物を見て

「今晩は何を作るんだろ?」

とか,勝手に考えたりすることがあります.

すみません.まぁ,どうせ一回か二回程度しか会わないだろうしね.

人ごとですが,カップラーメンや出来合の物ばっかり買っている人は感心しませんが,やはり,細々とした食材を買っている人の方に魅力を感じます.

理想は何を作るのか予想できないようなもの.家の冷蔵庫にはたぶん,こんなもんが残っててetcと想像するのが楽しいです.

って,ちょっと悪趣味な感じもするのだけれど.

今日は,自分の前が,ちょうどアラサーの同世代の男性二人組で,焼き肉セット一式(出来合の物),唐揚げ(出来合の物),餃子(出来合の物),それにビール6本,焼酎にお酒用の氷を買っているのを見かけました.

友人同士でこれから家飲みなのかもしれないし,もしかするとゲイカップルで休みの夜をゆったりと過ごすのかもしれない(それで,ブルーマンデーを迎える,と).

二人とも服装はこぎれいな感じでしたが,顔が脂っぽい感じで,夕方なので剃った後の髭がまた伸び出して青っぽくなっていて,それでいて,頭皮に「あれ」の兆候が...という雰囲気でした.

まぁ,その辺でよく見かけるアラサー男性って感じだったのだけれど,ごくごく一般的な私と同世代の男性って,やっぱりこういうガッツリ系の油物が好きな傾向にあるし,野菜はあまり取らないし,ビールをグビグビとやって,プハーっという人の方が多いですよね.

それで,ちょっとずつ丸っこくなったり,熊っぽくなったりして,だんだんとおじさんの階段を昇る,と.

私の方はというと,特売の野菜や割引シールが貼られてある商品を買う傾向は相変わらずで,今日もお買い上げは1000円に満たないような感じ.

作る食事は,茄子と豚挽肉の味噌炒め,小松菜と油揚げとしめじの煮びたし,アスパラガスの白和え,それに叩きゴボウとニラ入りかき玉汁に発芽玄米入りのご飯というラインナップ.

前者の男性二人組と比べると,なんか精進料理とでも言えそうな感じなのだけれど,私個人としてはこういうヘルシー傾向の方が身体に合っている気がする.

それにやっぱり太りたくないし.

まぁ,好きなように自己管理しておけばいいんですよね,と思いながら,食後にシーバスリーガルをロックでぐびぐびとやっていることも多い今日この頃です.

えっと,最近は立て続けになんかややこしい雑用がいろいろと舞い込んで来ていて,ちょっと参っている感じです.時々,仕事を投げ出して考えたくなくなることもあるのですが.

それと,ちょっと気に掛かる学生さんがいて,気が気でない状態になることがあります.明日か明後日にでもGood Newsが飛び込んでくるといいのですが.

2012/06/07

お知らせ(喋ります!)

えと,身元がバレる心配がありますけど,アナウンスしちゃいます.

6月22日18時より,紀伊國屋書店札幌支店において,石狩本の出版記念トークイベントを行います!(・∀・)

入場は無料です.

私は司会やる予定です.大阪弁で喋っている「おにいちゃん」(「おじさん」ではないと信じたい)がいたら,きっと私です.

うちの女学生が何人か来る予定です.

H大の学生さんも来てくれるそうです.

近隣の方は,フライデイナイトの前に,ちょっと立ち寄ってみてください!

2012/06/05

前へ進もう

香川がユナイテッドと契約へ

長友のインテル移籍もそうだったのだけれど,ほんの10年前,20年前までは日本人がインテルだの,マンUだのといったビッグクラブでプレーするなんて,口にするだけでもバカにされるような夢物語だったはずなのだけれど.

いつの時代でも,「無理だ」だとか,「できっこない」だとかいったことを口にする人間は,いつでも前に進もうという気がない人間なんですよね.つくづくそう思う.

2012/06/02

高校野球観てきた

ちょっと時間的に余裕のある週末で,天気も良かったので高校野球を観に行くことにする.

日差しが強いので,外に出ると暑いのだけれど,日陰に入るとちょっと肌寒いくらいに涼しい.ちょうどヨーロッパの初夏のような感じでとても気持ちがいい.この時期の北海道は本当に季候がいい.

バックパックを背負って,文庫本を入れ,歩いて電車に乗る.最近,移動はもっぱら車か自転車なので,「うん,これだ」という感覚をなんとなく思い出す.公共交通機関を使うと,けっこう本が読めるんですよね.

円山公園駅に着き,ちょっと住宅街をぐるっと回ってから円山公園に入る.円山の近辺は,本当に閑静な住宅街という感じで,ちょうどいい穏やかさと深さが存在している感じで,大倉山と藻岩山が背後に見えて,「人を惹きつける」雰囲気がある.やっぱり,ここは人が住むにはいい環境なんだろう.



円山公園は木々の間から入る光と風が気持ちよくて,非常にいい.穏やかで,静かで,凄く落ち着ける.子供たちが広場でキャッチボールをしているのもいい.公園は何でもできるくらいの方がいいのである.大阪みたいに,ゴミが溢れて,あれもしちゃダメ,これもしちゃダメとかいう禁止事項のオンパレードで,ホームレスがたむろっているのはいかがなものかと思う(大学生時代に,自分が教えていた女子中学生なんかがよくホームレスにちょっかいを出されていたので,私は彼らに好意的ではない).



今日は春の全道大会の準決勝ということで,ちょっと期待して観に行きました.まぁ,それなりには楽しめたのですが,ちょっと期待外れでもあったのは否定できません.

第一試合は,札幌龍谷と札幌第一の試合.どちらも北海道ではそこそこ名の知れた私学なのだそうですが,レベル的には近畿のちょっと強い公立高校同士の試合という感じ.でも,どちらの選手たちも好青年で,いい感じに高校野球をやっているという雰囲気はあります.



札幌龍谷の投手は変速フォームで球速は120km出るか出ないかといった案配.露骨に変化球とストレートの腕の位置が変わるのと,セットのモーションが大きいのが難点.捕手も肩が弱く,2塁にダイレクトで送球できないことが多いので,終盤はフリーで走られまくっていた感じでした.

札幌第一は,チームとしてはそこそこ鍛えられているような感じなのだけれど,節目でのプレーが雑でエラーが多い.投手は癖のないフォームで,ランナーがいる時もいない時もセットで投げていました.球速は130km弱くらいで,ストレートは標準的でしたが,低めのスライダーが切れていて,それで空振りを取れていた感じでした.ただ,終盤は疲れからか,球が高めに浮いていて,痛打される場面が多かったです.

試合は結局,5-2で札幌第一が勝ちました.終盤の集中打で勝ちましたが,決勝打のタイムリーは正直,ただのライトフライだったと思う.目を切って,普通に後ろに走っていれば楽に取れていたあたり.でも,実力的に第一が勝っていたので,順当だと言えば順当なのかもしれない.

第二試合は北海と札幌日大.どちらの選手も強豪私学という体型なのだけれど,それでも実力的には近畿の強豪と比べると頭2つくらい足りない感じ.身体の大きさは負けていないのだけれど,グラブの使い方が総じて雑なのと,捕球から送球までの時間がかかり過ぎなのが気になる.特に日大は身体の大きい選手が大きくて,素材型のチームなのだけれど,なんかいろいろと未完成な部分が多くてもったいない.もっと上手くなれる選手がたくさんいると思うのだけれど.

北海は日大よりはいい感じなのだけれど,レギュラーサードは取ってから投げるまで時間がかかり過ぎだし,ショートのグラブ捌きも雑.それと強豪私学には珍しく,「あれ?これでベンチに入れるんだ?」という選手が4人ほど混じっている様子.

北海は,もしかすると春の大会なので主力を温存していたのかもしれないけれど,スターティングラインナップの多くが二桁番号.そして,スターターのバッテリーがなんか中学生みたいな体型.背も160cmそこそこといった感じ.

投手は110kmそこそこのストレートと(近くでスピードガンを構えている人たちがいた),80km代のスローカーブ(というか,しょんべんカーブ)が武器.しかも,コントロールもあまりよくない.捕手も2塁まで送球が全然届かないし,本当にこんなのが2番手捕手なのだろうか?という感じでした.高校野球相手に厳しい評論をしてしまってすみません.そこは野球専門校だからということで.

結局,この先発の子は2回で降りて,3回からはエースの玉熊くんが投げていました.3回と4回は全然おぼつかない感じで,好守に守られてあっぷあっぷという状態でしたが,5回以降はストレートが走り出して,別人のように抑えられるようになりました.これで,なんとか夏の目処はついたのかもしれない.



試合は3-2で北海が勝ちましたが,札幌日大も工夫すればなんとかなるのではないかという感じ.ブルペンを見る限り,投手のコマは揃っているみたいなので,次々につぎ込む継投策を夏には採用してもいいのではないかと思う.絶対的なエースがいるわけでもないし.それと,もう少し攻撃に工夫してもいいかと思う.足が使える選手が多そうだし,それにバントもけっこううまかったのに,要所で何もしてこなかったので,いやらしさがない感じの打線でした.まぁ,これから夏に向けて仕上げていくのかもしれませんが.

ところで,北海高校関係者はOBなのかどうかは知りませんが,ちょっとマナーのなっていない観客が数人いてちょっと不快感を感じましたね.「おっさん」という生き物は,どうしてこうも不条理で,汚くて,不愉快な生物なのだろうとついつい思ってしまいました.痴漢まがいのこともしでかすし,それを止めると逆ギレしてくるし,なんなんだ,こいつらは.

2012/05/30

学力は本当に低下しているのか

今日の教授会でも話題になっていたのだが,大学生の学力低下問題が指摘されるようになって久しい.

ところで,本当に大学生の学力は10年前,20年前と比べて低下しているのであろうか?

実は私はこのことにけっこう懐疑的である.

もちろん,ある一面において「低下している」と言うことはできるのだと思う.

例えば,私が受験生だった頃の18歳人口は文科省の『日本の将来推計人口』によれば,168万人ということになっている.それで,大学への進学率が53.7%である.

ここ3, 4年の18歳人口は120万人前後で,大学への進学率が60%前後で推移しているということを考えると,大学への進学は随分と簡単になったのであろう.

おそらく私の時代には考えられなかったような層の学生が国立大学に行き,私の時代には箸にも棒にもかからなかったような層の学生が名門私立大学の門をたたいているのであろう.

そう考えれば,多くの国立大学の先生が「最近の学生はできが悪い」と思うとか,私大の先生が「全く,最近の学生は」と嘆くのも当然の理である.

このことを問題にしているのではない.

つまり,話題にしているのは,学生を割合別に見て,つまり学生の全体像を見た場合に,私の時代の学生に比べて,現在の学生の水準が低下しているのか否かという問題である.

競争率が高い時代に一定数の上積みの人間だけをつかまえて,「当時は学生が優秀」と主張し,競争率の低い時代に同じ数の学生を同じようにつかまえようとしてもそれは無意味なことである.

仮に,18歳人口の減少に合わせて大学の門戸も減らすことができたとすれば,学生の水準は私の頃と現在とで大差はないのではないかというのが私の印象である.

ケーススタディーとして,世界の学力水準を示す指標として有名なProgramme for International Student Assessment (PISA)を取り上げてみよう.

最新のものでは,2009年のものが取り上げられているが,日本は読解,数学,科学と全ての項目において,OECDの平均値を上回っている.

読解は上海がダントツで556点,それに韓国の539, フィンランドの536, 香港の533が続いている.日本のOECD加盟国中の順位は8位である.

日本のスコアは520で,OECDの平均は493である.

2006年の日本のスコアは498で,OECDの平均が492.加盟国中12位だったことを考えれば,読解力の水準は上がっているということになる.

数学と科学の検証は辞めるが(実はちょっとめんどくさくなった...),それでも全体の得点の順位はOECD加盟国中,日本は8位である.

上海が突出しているのは別として,トップ10に入っている国の間にそれほど優位な差があるようにも思われない.2006年,2003年,2000年の日本ものと比べても20-30点の前後はあるような感じである.要するに,多少の上下はあるのである.

言うなれば,PISAの結果は受験生の予備校模試と似たようなもんで,とりあえず目安として上位グループに入っていれば特に問題はなさそうな感じなのである.

つまり,とりあえずは「学力低下問題」を確立した事実としたい人たちによって,PISAが取り上げられたというだけのことであって,「上がった」「下がった」と言う時の統計学的意義自体は,かなり疑わしいということだけは分かりそうなものである.

それにテストなるものは,常にある種の側面しか取り上げることのできないものであって,それを金科玉条のように扱うことに対する危険性も感じられる.

何が本当の目的なのかイマイチよく分からないが,文部科学省はまたまた教育方針を転換していくようで,結果,現場の教員に過度な負担を与えるということだけは,事実であるようだが.

個人的な見解だが,自発的な学習を進めるという意味でも,中学生段階での「総合的な学習」という試みは悪くなかったように思う.ここ数年の蓄積で,現場の教員の中にもいいアイディアを思いつくようになった人たちが数人いただろうに,そのアイディアを活用する機会がなくなるのは非常に残念である.

アメリカやイギリスといった大学のトップ層の学生と,日本の学生のトップ層を直に見てきた経験から,欧米の学生の主体性と問題発見能力に見習う点は多々あると私個人は考えている.日本では「指示待ち」の学生や若者が多いとされているが,それは他ならぬ教育の現場において,教員の指示以外のことをやってはならない,場合によっては教わっていないことができると罰せられるという現状に問題があるのではないかと思う.

緻密性やオリジナリティ,そして秩序を保つという点において国際的に優れている(少なくとも私は思っている)日本人が主体的に問題を発見し,そして取り組むことができるようになる機会を,「総合的な学習」が与えられる可能性があったのではないか.昨今のゆとり教育批判は,その弊害として,学生や教員から「間違える権利」を奪ってしまったように思う.

教科書に書いてある事項は,「事実」ではなく,試験で問われている知識は「正解」ではない.学生にも教員にも,ある種の結論や主張に至るプロセスを考え,提示されてある以外のルートを辿る権利が本来はあったはずだ.「正解」なるものが設定されてある試験の枠内での点数の増減だけに一喜一憂し,名門とされている高校や大学に受かることだけが優れた学校の評価基準ではない.大学教員が高等学校までの間にまず身に付けて欲しい能力は,既存の知識やデータ,主張をまとめ,それを検証し,考え,自分で何が分かり,何が分からないのかということを言葉や数学を使って表現することができる能力である.知識の詰め込みはそのための手段であって,目的ではない.

少なくとも,子供たちに「お前たちはゆとり世代でバカだ」と罵倒し,教員たちに「能力不足」と喚き倒すことによって,教育の質が向上することはありえないと思う.批判や文句は誰にでもつけられるが,そのことによって得られる優越感と引き替えに,他者に肯定的な影響を与えることはないという事実には自覚的でなければならない.人間とは,罵倒されてやる気が向上するものではないのである.

大学教員という立場から,優秀な学生は昔と同じくらいの割合で存在しているし,忙しい時間の合間を縫って奮闘している幼児教育,義務教育,高等学校,各種特別(支援)学校の教員たちは総じて「いい仕事をしている」ということだけは言わせてもらいたい.

2012/05/28

これが若さか

講義で使うハンドアウトをコピーする印刷室のすぐ隣には就職課のお知らせがたくさんあって,求人情報を見るのもそれなりに楽しい.

いい仕事の機会があると,うちの学生さんたちにいい機会が与えられているというわけだし,できるだけ待遇のいい仕事がたくさんあると嬉しくなってしまう.

まぁ,ちょっと親心のような気持ちなのかもしれない.

例えば,幼稚園・保育園なんてところは,公立でもなければ待遇も随分と厳しくて,額面で月13万円で各種手当てがあまりつかないとか,正直,生活保護よりも待遇が悪いケースが多々あるのです.

中には随分と立派な幼児教育の専門家に育っている人たちもいるので,是非とも彼女たちに自立の機会を与えて欲しいものだと思う.

しかしながら,アルバイトの求人情報ではなく,一応,正式な公的機関の正社員の求人(しかも,教育職である)なのに,求人案内の文章が稚拙なのが何か気にくわない.

エクスクラメーションマークやら何やらとマークを多用したり,「アナタ」とカタカナ記述が混じっていたり,「にんげん力」がどうのとか,そういったことばに,何となく生理的な嫌悪感が出てくる自分に気づく.

いい言い方をすれば,自分が「大人の言葉遣い」に慣れてきたということなのかもしれないけれど,要するに頑固になってきたんでしょうね.最近の,若い人たちの言葉遣いが鼻につくというか.

そういえば,今日も女子大生が使う強意の副詞の「くそ」に不快感を感じていました.ネガティブな意味ならともかく,肯定的な意味で(e.g. 「あそこのケーキがくそうまくて」)使用されているということに違和感ありあり.これは「ヤバイ」を「とてもおいしい」という意味で使うことにも言えるのだけれど.

そんでもって,先週の金曜日は1年生の合宿があって,ちょっと夜に顔を出してきたのだけれど,そこでも分からないことだらけでした.

学生さんたちが自己紹介をしていて,自分の好きな芸能人やら歌謡曲やらを言っていたのだけれど,自分が分かるのは「Mr. Children, 竹野内豊,嵐」でおしまい.後は,何を言っていたのかすら認識できませんでした.まぁ,私は最近までイギリスにいたということもあって,「いきものがかかり」がお笑いグループだと思っていたくらい,浦島太郎な奴なので仕方がないのかもしれない.

それと,昼間に若い女子大生さんたちと話すのはそれなりに楽しいのだけれど,夜に見かけるのはちょっとしんどいですね.なんか,元気すぎる子猫を見ている気分になります.

そういうわけで,一歩一歩年を取っているということを実感している今日この頃なのです.

そんな今日は大学で仕事を早めに切り上げて郵便局に行き,スーパーで買い物をし,ジムで身体を動かした後で,夕食を作る.

炊飯器に白米と玄米を混ぜたのを入れ早炊きにセットして,ご飯ができるまでにおかずを作る.

ほうれん草を軽く湯がいて,隣のコンロでしめじを醤油,酒,みりんを混ぜながらごま油で炒め,絞ってから切ったほうれん草を入れたボウルにしめじを混ぜ,大根おろしを入れて,ポン酢を加えて,ほうれん草としめじのおろし和えのできあがり.

そしてアスパラガスを塩茹でして,オリーブオイルで焼いてから挽いた塩をまぶして焼きアスパラのできあがり.

ゴマ油で豆板醤を加熱し,しめじを炒めたところに水とお酒を加え,中華だしと米酢を加えて塩で味を調え,溶き卵を加えて,仕上げに刻んだニラを入れてニラ玉汁のできあがり.

最後に,豚バラを一口大に切ってから酒と醤油で下味を付け,生姜とニンニクを微塵切りにしたものをゴマ油で炒め,そこに鷹の爪を加えて,豚肉を炒める.さらに味噌,砂糖,みりんを加えて茄子と豚バラの味噌炒めのできあがり.

野菜たっぷりの食事がなんとなく性に合っているような気がするのだけれど,いくらなんでも野菜ばっかり取りすぎという気がしないでもない.

というわけで,明日も同じ献立です.便利なのはいいのだけれど.

2012/05/22

大人は外見に責任を

若い間の容姿は,それこそ生まれつきの生得的な要因が大きくて,何もしていなくてもかわいかったり,かっこよかったり,あまりいい体型ではなかったり,ちょっと間抜けな風貌だったりするのが常である.

ただ,それら若さに任せた容姿は20歳前後でいろいろと崩れてきたり,逆に整ってきたりもする.

個人的な見解なのだけれど,大人は30歳を過ぎたら自分の外見に責任を持つべきなのではないかと思う.

もちろん,好き勝手な髪型や服装にするのはかまわない.個人の自由である.

一方で,自由には常に責任が伴う.

現代の社会的な観念として,例えば,スキンヘッドにサングラス,ピアスたっぷりに髭を生やし,金色のアクセサリーで身を固めているという風貌は,あまり気質には思ってもらえないというか,「怖い」という印象を持たれる傾向にある.

それを自覚してやっているのなら,別にそれはそれでいいと思う.

他にも日焼けサロンに行って真っ黒に焼き,茶髪のロン毛でダボダボファッションの30代が軽薄に見られるという傾向ももちろんある.

本人が分かってやっているのなら,それはそれでかまわないと思う.

ただ,それらの格好をしているのに,他人に真面目に思われたいとか,一途に思われたいとか強要するのは筋が違う.一般的な社会人とされる,例えば黒のショートヘアーに綺麗に剃った髭,清潔感のある服装の人たちと比べて,その手の肯定的な評価を得るには,それなりのハードルの高さを設定しているのだということには自覚的である責任がある.

他にも,ボサボサの髪,手入れのされていない顔,洗濯されていない服装で清潔感がないという人も,男女問わずあまり肯定的な評価を得られることはないであろう.

自分が服装に無頓着で,別にどうでもいいやというのであれば,それはどうでもいいことなんだと思う.

ただ,自分が社会に出て,それなりの職に就いているというのであれば,それなりの格好をしている必要がある.

清潔感のない営業マンに仕事は託せないし,バカっぽい格好の教員はよっぽど賢くなければ信頼は得られないし,ヤクザのような店員に話しかける顧客はいない.

周囲の人間を不安に陥れるような格好をするのなら,そういう格好をしているという自覚が必要不可欠なのである.であるからこそ,入れ墨やタトゥーを入れている人間は温泉など公共施設や各種健康施設への立ち入りを遠慮されているわけだし,子供を預ける教員にも入れ墨やタトゥーが入っていないのが当然あるべき理なのである.

大阪市で入れ墨やタトゥーを入れている職員を処分しようかという話が持ち上がっているが,私はこれにけっこう好意的である.

公務員という立場上,それなりに責任のある決断を下さなければならないこともあるのだし,税金を使う立場にある以上は,信頼が得られる格好をしているのが第一である.

外見は関係ない,中身こそが大事という議論があるのは認めるが,よっぽど懇意にならない限り他人の内面などというものが分からない以上,人は外見で人を判断する.そういう現状がある以上,大人は外見に責任を持たねばならないという事実に自覚的でなければならない.

それをあえて曲げてでも,他人に信頼されにくい風習を自ら取り入れたわけであるから,それを覆せるだけのものがある場合を除き,他人に不安を与えるような格好は慎むべきである.

そうでなければ,一般市民は入れ墨の入った職員を真っ当な人間であると見なすことはないであろう.アウトローの人間に重要な決断を任す必要などない.成熟した市民とは,自己管理のできている大人であると私は思う.

2012/05/18

なんだかな

苦心の大学の講義を終え,教室から逃げるようにオフィスまで戻り,敗北感にうちひしがれていると,

「せーんせ!」

と言う女学生2人がドアの所にやってきたのが分かった.

開けてあるドアから2人が入ってくると,本棚に飾ってある幼稚園で使用したミッキーマウスのパペットを取り出し,まるで子供を扱うかのように私のまわりにつきまとってくる.その言葉遣いたるや,まるで幼稚園児に対するもののようである.

なぜこうも,本場英国仕込みの一人前の紳士に対してこのような扱いができるのかよく分からないのだが,毎年毎年連休明けになると女学生たちの私に対する扱いがぞんざいになってくるのがよく分かる.

また,私に注意を促す学生もいる.

「先生,もう会議が始まりますよ」

「5分前には到着しないと」

「ほら,ちゃんと場所まで送ってあげますから」

だとか,

さらには,

「先生,フードが裏返っているよ」と言って,服装を正す者までも現れてくるようになった.

まだ「先生」という敬称が使用されているうちはいいのだが,最近は私をファーストネームで呼ぶ学生も増殖中である.

一応,授業中はみんな「先生」と呼んでいるし,言うことも聞いてもらっているのであるが,「威厳」という言葉っていったい何なのであろうか.

それに,彼女たちが言うには,私は

「わがままな女の子(たち)に振り回されて,困った顔をしているのがしっくりくる」

人間であるらしい.

しかも最近は,同僚の教職員である中年女性たちが,自分たちに対して女学生に対するのと同じような愛想を振る舞うようにという指導までしてくるようになった.

不幸なことに,私はそういう扱いに慣れてきてしまったためか,それを不当だと意識しないようになってきたような気がする.

これらは,私のような一人前の大人に対する扱いなのであろうか.

2012/05/13

頭がカタい

昨日は最高気温が10度もなく,風も強くてけっこう寒かったです.

そんな札幌ですが,木曜日から「クールビズ」が導入されたそうで,早い段階からクールビズを取り入れることで,節電意識を高めるということが決定されたそうだ.

変なの.

寒さにめっぽう強い私ですら寒いと思われる気温が続いているのに,なんでわざわざ横並び意識を徹底して半袖にしなければならないのかさっぱり分からない.

日本特有の村意識ってやつで,本州の公施設で実施していることは踏襲しようという,頭も身体もさび付いたおじいちゃんかおばあちゃんの決めたくだらない取り決めなのだろうけど,長い人生の間に脳みそをどこかに置き忘れてきたんじゃないだろうか.

うちの本務校でもストーブを焚いていた人たちがいたのだけれど,こんな暖房設備が必要な地域でわざわざ無理をして半袖を着なければならない同調意識を強めることの意味も意義もさっぱりわからない.だいたい,法で決まっていることでもなんでもなくて,慣例でなんとなくみんながやっていることを思考回路抜きで右に倣う様は滑稽で仕方がない.

だいたい,節電意識を高めるというのが主たる趣旨なのなら,暖房を付けなくてもいいような冬の格好をしてくるべきなのではないだろうか.まぁ,上田市長からして思考能力に不自由しているような感じだし,仕方がないことなのかもしれない.

この手の慣例に従うということに人生を賭しているような人たちっていますよね.それが有益でもなく,周囲にムダな労力をかけるだけなのに,本人たちだけが,自己組織の将来を真剣に考えている理念のある人間だという強い強い確信があるみたいですけれど.

まぁ,最後のは単なる愚痴なんですけどね.しっかし,ワガママ言うひとたちに合わせなきゃいけないせいで,毎週毎週月,火,水にくだらない会議で時間を浪費するのにつきあわされる立場の人間としてはたまったものではないというのが本音なのだけれど.

筒井康隆著「文学部唯野教授」の世界はけっこう当を得た作品なんですよね.残念だが,パロディではないと思う.

2012/05/12

石狩紀行 (iv):厚田公園展望台


厚田をさらに北上すると,厚田公園展望台というのが見える.ちょうど案内所兼売店みたいなところと,海岸線を望むやや大きめの駐車場が見えるので,何かがあるんだろうなということくらいはすぐにわかる場所である.少なくとも,ありすcaféのような見落としはないと思う.たぶん.



厚田公園展望台は,プロポーズするにふさわしい観光スポット100箇所を選定する「恋人の聖地」プロジェクトで,平成18年に北海道で初めて選出された場所なのだそうだ.

私のような変わり者からすれば,「プロポーズする場所くらい自分たちで決めさせろや(「ここがいい」とか言われると,絶対にそんな所でせえへん)」という気分になってしまうのだけれど,付和雷同的,和をもって貴しとなす大衆的価値観を太古の昔から育んできた日本人には馴染むものなのかもしれない.

だいたい,非常時にも「みんなやってますよ」と言われると心が動かされてしまうとかいう人たちっていったい...

閑話休題.

とにかくせっかく来たのだからと,徒歩で25分かかるとかいう展望台まで上ってみることにする.

途中で長い階段があったのだけれど,「グリコやりたい」とかいう,とある女学生の提案により,30を過ぎた大学教員と,20を過ぎた女子大生3人の合計4人がグリコ遊びで階段を上るとかいう,傍から見られると困るようなことをしながら展望台まで登る.

それにしても,グリコの普及率は凄いものである.私のような年代と若い大学生,さらには大阪と北海道という土地と時間を乗り越えるという古典の定義を満たしているではないか.ここには何か重大な普遍性のようなものが,あるのかもしれないですね,まぁ.

しかし,グリコ遊びなんてしたのは何年ぶりだろうと思いをはせながら(たぶん,20年ぶりくらいだと思う),学生さんたちと付き合う.まぁ,ノリがいいということなのかもしれないけれど,こんなことをやってしまうので,未だに威厳のない大学教員をやっているのかもしれない.もっと大人にならないといけない.

展望台の上に昇ると,そこには城壁のような建物があり,2台のベンチとハート型の置物がどかんと置かれてある.城壁の真ん中には「誓いのベル」とかいうベルがあったのだけれど,これがなかなか鳴らない.たぶん,潮風に当たって錆がきているせいなのではないかと思う.



それでもって,展望台の近辺の手すりでは,愛を誓って結びあわされているという南京錠があちこちにある.

愛を誓うために南京錠を使う.

うーむ.



なんとなく,お互いの愛を南京錠で結びつけるなんて,束縛の強い恋人同士なんだろうなという気分になりますけれど,お互いの愛を固めるために鍵を掛け合うというのは,健全な関係なのだろうかと私のような人間には思われて仕方がない.

南京錠の願掛けというと,セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスを思い起こしてしまいますね.薬に頼らないと保てなかったハイテンションとその危うさに支えられた魅力.

ちなみに,この願掛け用と言っていいのでしょうか,南京錠は展望台の麓の駐車場近くの売店で売っています.ここでラブラブなカップルが(ガイドのウェブサイトと冊子では「アツアツのアベック」という死語が使用されているという話はナイショである),盲目的な状態で,まるでおみくじを買っているかのような体で南京錠を購入し,南京錠に愛のメッセージをマジックペンで書き込み,ないしはプリクラを貼り付けて展望台の手すりにいろいろと思いをはせているわけですよね.扱いとしては,境内に結びつけられているお神籤と同じものなのか.

ということは,この展望台は愛の神が宿る場所ということになるのかもしれない.さすが八百万の神の国である.「何でも神さんや」という態度は,傍から見ればなんといい加減な,と思われてしまうかもしれないけれど,宗教戦争が実際に起こって殺し合いをしないだけ平和でいいことなのかもしれない.

ちなみに,展望台の城壁は階段を使って昇ることができるのだけれど,展望台の上では,大阪万博の太陽の塔のような顔が足場のど真ん中にあります.その中央に立てば,何か得体の知れない妖怪でも召還できるのではないかという気になるのだけれど,特に何も起こらなかったです.

当たり前か.

同行していた学生さんたちは気味悪がって近寄っていなかったのだけれど,私はその真ん中に堂々と立ち尽くしていました.

ちなみに,展望台のてっぺんでは恋人同士の落書きがあちこちに見られます.

「だいだいだーい好き」

とか

「結婚しようね」

とかそういうの(後は書いていて,背中が痒くなってきそうなの).



そうか,恋は盲目ってこういう状態のことを言うんですね.みんな若いですよね.こんなことを書いた恋人たちなんて,みんな不幸になればいいのに,とか言っているとダメですよね.世の中,少子化ですし,頑張ってください.

しかしながら,この手の落書きをする人たちって,あまり頭がいいように思われないのはそれなりの経験則から来ているのでしょうか.「1th Anniversary 結婚してまた来ようね」とか書いてある記述を見かけたのだけれど,1の序数詞はfirstなので「1st」と書きますとついつい思ってしまった私は細かい奴なんでしょうか.思わずアカペンで手直しをして「大学英語教員より」と書いてやろうかと思ったのだけれど,手元にはペンらしきものはありませんでした.残念.

そんなこんなで展望台を降りると,坂道の端っこをまるでキリスト教徒の墓石のような形で様々な俳句が掲載されてあるのが目につきます.思わず,どこかで,「みつを」とかいう号はないかと期待してしまいましたが,特にありませんでした.

ちなみに坂道は急勾配で,桜の木がたくさん植えられてあって,「ベビーカーを引いてきたら危ないね」と言っていた学生さんがいたのだけれど,こんな教育上??なところに小さいお子様は連れてこないのではないかと思われるので,多分,大丈夫なのではないでしょうか.まぁ,南京錠の束に向かって,バーベキューの煙を向けてみたいという気分にさせられたのは否定しませんけれど.

ちなみに,展望台の麓の売店では,我がF女子大学が開発した石狩バーガーが売ってあります.個人的にはできたてのおいしいのが食べたかったのだけれど,できあいと言いますか,ちょっと冷めてしまった形で売ってあります.レンジで温めてくれるものの,何となく損をした気分になってしまう.まぁ,私はファーストフードをあまり食べる人間ではないので別にいいのですが,学生さんたちは「普通においしい」とか言って食べておられました.



ちなみに,こういう場合に若い人たちが使う「普通に」という言葉のニュアンスが分からなくて困っています.この言い回しは私がイギリスにいる間に普及したみたいなのだけれど,veryのような強調の副詞でもなく,「文脈から想定して,ありえるレベルで上等な方」というニュアンスで使用されているみたいですね.無理矢理言葉を補うと「普通に(考えられるレベルで)」という意味なのでしょうか.知らない日本語がけっこうあって,日本を離れていたせいなのか,年のせいなのか微妙な今日この頃です.

それに加えて,浜益の名産手焼きどら焼きというのも食べました.どら焼きは疲れた時に無性に食べたくなりますが,これはあんこよりは皮の部分の風味がいい感じなのではないかと思います.個人的には名産にしたいのであれば,焼きたてを提供して欲しいなと思ったのだけれど.