2012/07/01

人を扱うということ

先ず隗より始めよ』という有名な故事成語がある.


古代中国,燕の昭王は強い国を作りたくて,よい方法はないかと郭隗という者に相談した.


すると郭隗が言った.「昔,ある君主がよい馬を探していました.何年たってもなかなか見つからなくて困っているところに,ある男が,よい馬を探してくると申し出てきたので大金を与えました.その男はすばらしい馬を見つけましたが,すでに死んでいました.ところが男はその死んだ馬の骨を大金を出して買ってきました.君主は男を怒りましたが,実は男には,『死んだ馬にさえ,あんなに大金を払うのだから生きている名馬ならもっとすごいお金がもらえるだろう,と評判がたつはずだ』という考えがあったのです.

それから1年もしないうちに,すばらしい名馬が数頭手に入りました.もし昭王が本気ですぐれた人材を集めたいのなら,まず私のような何の取り柄もない人間を大切に扱うことから始めてください.あの隗のような人間でさえ優遇されると評判が立てば,もっとすぐれた人間が道のりを遠いとも思わずぞくぞくと集まってくるはずです」

昭王は忠告に従い,郭隗を大事にし,その結果,有能な人材がたくさん集まり燕は大いに発展したという.

また,松下電器の創業者である松下幸之助は,人事担当の幹部に病床のところを見舞われ,「会社の業績が低下している.社員を解雇しましょう」と進言されたところ,「誰も解雇しません.みな家族やないか」と涙を流して答えたそうである.それを社員が伝え聞き,意気に感じ,業績を盛り返したことがあったそうな.

もう一つ.


以下,シャープ株式会社創業者の早川徳次の一生である.


東京の下町に生を受けたが,口減らしのため養子に出される.養母にいびられまくる

養母が「お前は小学校には行かせない」宣言.超重労働家事をミスると飯抜き

ある盲目の女性の紹介により丁稚奉公に出るが,養母がタカリに来る

18歳で独立,ここでようやく両親が他界していたことを知る

実の兄と対面,兄弟で会社を設立.独立資金50円の内40円は借金

働きすぎによる過労で倒れる.血清注射による治療で命拾い

関東大震災発生.ここでも九死に一生を得るが,妻と二人の子供は死亡,工場も焼失.債務返済のため各種の特許を売却.再び一文無しとなる

新天地・大阪で会社設立.旧従業員数名が手弁当で無理についてきた.「給料を払えるかどうか分からないんだ,東京のほうが復興需要で仕事があるぞ」「社長,誰が給料なんて欲しいと言いましたか?」

物不足と金融引き締め政策により経営悪化.「可愛いお前たちのクビを切ってまで,会社を存続させられない.再就職先は死んでも俺が見つける.心配するな」「社長,この会社が無くなるぐらいなら,それこそ死んだほうがマシです」

倒産の危機.なのに盲人を雇うための会社を設立.「あのときあの盲目の女性から受けた恩を忘れたら,俺は人でなくなってしまう」従業員もなぜか賛成「それでいいんです,社長.それでこそ社長とこの会社です」

まだ会社は油断できない状態なのに福祉会館を設立.「人を愛することは,自分を愛することと同じだ」従業員もなぜか賛成

社名を「シャープ株式会社」に変更 .大阪文化賞を受賞.87歳でこの世を去る.



さて.

昨今は,リストラがけっこう流行で,現行の人材よりも,まだ見ぬ未知の優秀と見込まれる人材の方が大事で,自分の配下や同僚よりも所属組織の利益の方が大事という判断が積極的に採用されるようになってきている.

私は,この傾向に与しない.

短期的な視野で見れば,確かに「業績」は上がるのかもしれない.

しかしながら,この種の判断を下す人たちには人を評価する能力が欠けているように思える.

組織を運営している側が,自分と一緒に働きたいと思える感覚よりも,より金銭的利益を求めるようになれば,使われる側の論理としても,より自分に好待遇を与えてくれるところに次々に移るということにもつながる.そして,その際に,立つ鳥跡を濁さずという感覚はなくなる.

当然である.

使用者側に自分が資本の一部としてしか評価されていないわけであるから,自分も恩義を感じる謂われがないということになる.

彼らの所属組織に仕える意義は,単純に経済的な側面だけであり,組織とそこにいる人たちのために働くという機運が生まれる可能性が遮断されているのである.

これは危機の元である.

「経済的利益」を計算するためには,競争が必要不可欠である.理想としては,人と人が競い合い,お互いを高めることが望ましいのであろう.しかし,人は安易な方向に流れがちである.特に,雰囲気の悪い組織においては,お互いに業績を伸ばし合うよりも,足の引っ張り合いをする方が楽だと考える人間が多数出てくる公算が高いということは否めない.日本のように,出る杭を叩く社会ならなおさらである.

これは,個人間の私的なつながりにも言えることなのではないかと思う.

ある人や組織を「特別だ」と言う時,その根拠はわりと希薄な物である.適当だと断言してもよい.

しかしながら,そこに思いやりが感じられれば,その種の恩義に報いようと考えるのが人間というものである.

自分より条件がいいと思って他の異性になびこうとしていたパートナーが,先方に振られたからといって,「やっぱりあなたが一番」などと戻ってきたところで,相手に対する信頼は生まれないし,手を差し伸べようという気にもならない.

これと同じように,「お前の代わりなどいくらでもいる」と足元を見てくる組織に対して,愛着の念など沸いてくるはずもない.

人は今,そこにいる有用な人材を「当然」のように思いがちだが,彼らの信頼を失うことによる損失にもっともっと自覚的でなければ,組織の上に立つ資格はないと思う.

ということを考えていた先週のお話でした.

そんな今日の献立.

豚の冷しゃぶ.大根おろしたっぷり

キャベツと人参のアサリバター蒸し

なめこと三つ葉の味噌汁

みょうが載せ冷や奴

明日は職場の健康診断なので,朝食を控えておくように言われているのだけれど,蒟蒻畑を一袋と珈琲を飲んでから行こうと思っています.ま,ええんかな?去年も健康値内の数値だったし.

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