2012/11/26

やってみたい

最近,CMで見かけますが.



本当にやっているんですね.さすがイチロー(かっこいい).

俺もトライしてみたい.(無理かな?やっぱり)

2012/11/23

名古屋

「だみゃー」とか言っている人は見かけませんが.

えと,ワケあって,ちょっと名古屋に来ています.名古屋を新幹線で通過したことは多々あるのだけれど,ここに実際に足を運んだことは今までに2回しかなかったので,けっこう新鮮な感じです.

周囲の雰囲気ですが,日本第3の都市だけあって,やっぱり人が多いですね.

日本三大ブスの産地と言われているけれど,本当にそうなのかは実感できない.たぶん,開き直っている人の中に,たまにやたらと派手な格好をしている人がいるので,それが目に付くからなのかもしれない.

それと,うちの同僚さんの一人にも言われたのだけれど,繁華街の中に風俗街が入り込んでいるので,ちょっとうっとおしい感じがする.

私学共済を利用すると安くなるので,N古屋ガーデンパレスを利用しているのだけれど,何もこんな風俗街のど真ん中にホテルを建てなくてもよかったのではあるまいか.まぁ,周囲の店の方が後からできたのかもしれないけれど.

というわけで,スーツケースを引っ張って歩いているのに,ポン引きのお兄ちゃんやおっさんに次から次へと声をかけられるので,とてもうっとおしい.朝から大学で仕事をして,夜に飛行機に乗って,それから電車でようやくたどり着いていてこちらとしては一刻も早くホテルにチェックインをして荷物を置きたい気分なのに,黒服のブサイクたちに囲まれると,すっかり機嫌が悪くなってしまう.

なんだかんだで,自分が性風俗に興味が無いということを実感しました.黒服で,つけているアクセサリーは高級なのに,顔も雰囲気も全然たいしたことない男たちが妙にいきがって格好をつけている(関西弁で「イキリ」と言います)のが,無性に腹が立つんですね.

頼むから他でやってくれい.

しっかし,いつの間にやら札幌を愛する気持ちがどんどん強くなっていて,街中を歩いているとついつい札幌に帰りたいという気分になってしまう.札幌の大きさ,きれいさ,人の少なさ(程よさ)がとても懐かしい.それに,風俗店の区画は,すすきのの一角にきちんと整理されてあるのもよい.住み分けは大事なことでっせ,ホンマに.

というわけで,雪が降ろうが,寒かろうが,私は札幌が好きである.

2012/11/21

小さな別れ

私が幼少の頃を過ごしたのは大阪の下町,つまり典型的なベッドタウンで中心地のミナミから電車で20分程度離れた場所であった.

その辺りは治安こそ悪くなかったものの,周辺地域の貧しい人たちが数人混じっているような所で,世の中の闇の部分を子供の頃から目にする機会をいくつか持つようなこともあった.

近所に母子家庭の男兄弟が2人いた.その母親はどうやら夜の商売で生計を立てていたようであり,日中は家で寝ていたので,子供たちはほとんど放置されていたようだった.

小さな頃の話なので記憶も理解力も定かではないが,どうやらどこかで男の1人や2人もいたようである.彼らに「甲斐性」などというものはもちろんない.

家のすぐ近くに,子供たちが遊ぶには十分な広さの公園があり,キャプテン翼に夢中になっていた私は,その男兄弟ともたまにボールを一緒に蹴って遊んでいた.

サッカーボールが1つあれば,多くの子供たちが楽しめる.少なくともボールを追いかけている間,その兄弟もサッカーに夢中になっていたようで,端から見れば,私たちはよくいる元気な男の子たちのワンオブゼムであった.私たちの世代は「ボールは友達,怖くないよ」という大空翼の名言を誰でも知っているが,サッカーボールはまさに友達と友達をつなぐ生命線とも言うべきものであった.我々の間には,サッカーボールがあればコミュニケーションが取れたのである.

また,近所に陽気で優しいおばちゃんがいて,ある日の休日,午前にサッカーを終えた私たちはその男兄弟と他の友人1人,そして私の合計4人で近場のお好み焼き屋でごちそうになった.大阪にいた私にとって,お好み焼きは珍しくも何ともなかったのだが,その男兄弟がとても嬉しそうにお好み焼きをほおばっていたのが印象的で,その日はとてもおいしいお好み焼きをいただいたような気がしていた.気のせいか,陽気なおばちゃんの笑顔もいつもより輝いて見えていたような気がする.

そういった何気ない日常との別れは,しかし,突然にやってきた.

家から自転車で10分ちょっとの距離,幼児にとって,それはそれでけっこうな距離なのだが,そこに府営住宅があった.もちろんのことながら,府営住宅には経済的に恵まれていない家族が住むことになっているのだが,その府営住宅はけっこうな高層で,しかも屋上まで容易に登れるようになっていた.

そういう場所は経済的な理由からか,自然と飛び降り自殺の名所となっており,幼児たちの間にも,夜にその近辺を通ると「幽霊が出る」という噂で持ちきりであった.府営住宅に隣接している公園の街頭がうっすらと青白かったのも,その噂に拍車をかけることになったのかもしれない.

その公園には,周辺で一番大きな滑り台があり,私たち幼児はちょっとした冒険気分も兼ねて,週に1度程度の頻度でこの公園を訪れていた.ある日の夕方,私はよくつるんでいた1歳年上の友人とこの公園に遊びに来たのだが,公園の入り口が立ち入り禁止になっていたのに気づいた.

理由は明らかだった.そこには青いシーツがかぶせられた死体があり,辺りにはバケツに入れてからちりばめたような血液が一面に流れていた.仕方なく,私たちは帰宅することになり,家の近所を歩いていると,近所の主婦たちの井戸端会議が耳に入ってきた.

その自殺した人は,例の男兄弟の母親だったのである.

そのまま,私は男兄弟に別れを言う機会すら持つことができなかった.気がつけば,彼らはとっくに施設に引き取られた後で,彼らの家は既にもぬけの殻となっていたのである.家の玄関はがらんと開き,中に人がいる気配は感じられなかった.

彼らが今,何をしているのか,私には知る術がない.ただ,彼らのことを思い出す度に,自分はせめて自分の周りにいる人たちが幸せになれる程度の力は持ちたいなと考えることだけは確かである.

自分は少しは大きくなったのであろうか.

2012/11/12

雑感

えと,学会と結婚式に参加するために東京に行って来ました(ハードスケジュール).

シンポジウムの数が,今回はけっこう多かったです.それぞれに言いたいことはあるのですが,こんなところでブツクサ言うのも面倒くさいので,そのうちどっかで何かを言うか書くかしようかと思います.(そして,そのうちどうでもよくなって放置したまま,と)

私も年齢的に30を超えてしまって,20代の若い人たちの発表を見て感じることが出てくる世代になったわけだけれど,大雑把に言って海外(欧米だけれど)と日本の若い人たちの学会発表の違いを言ってみると,海外はなんだかんだでオリジナルのリサーチやデータに基づいた議論が基本で,日本は先行研究にガチガチに固められているなという気がします.

海外のは大雑把なのも多いのだけれど,「これをこう磨けばものになるな」という部分が見えてきて,「自分の研究です!」というものがなんだかんだであるので,刺激があることが多い.「おっ」と思える瞬間があるのが基本です.まぁ,この業界,海外の学会の方が圧倒的に採用倍率が高いので必然的にそうなっているだけなのかもしれないけれど.

日本の学会では,若い人たちの頭が悪いとかそういうことは思わないのだけれど,「先行研究を踏まえなければ」という強迫観念が強すぎるのと,先人,特にそれが高名な学者であればあるほど「○○先生によれば」という呪縛が強すぎるような嫌いがある.

もちろん,先行研究を踏まえるのは重要なことなのだけれど,先行研究は別に「正しい」分析でもなければ,偉い先生だからといって彼らの主張が「正しい」ということも決してない.

他人が見つけてきたデータだけであれこれと言うのではなくて,他人の分析にそって,それらの分析が予測するところと,予測しないところを考えて,自分なりのデータを提示してきて,自分の主張というものを全面的に出してきていいのではないかと思う.

日本の学会での若い人たちの研究を見ていると,偉い先生の主張は正しいという呪縛に縛られすぎていて,何かおもしろみに欠ける印象があります.悪い意味で,literature consumerという感じがするので,もっと自由に自分という研究者の主張を出していけば,いろいろとおもしろいことが言えるようになるのではないでしょうか.そして,そういった成果を出して,無事にどこかで大学ないしは研究所で専任職に就き,活躍していってほしいなと思います.

というわけで,学会はそれなりに楽しめたのだけれど,結婚式もわりと楽しかったです.

クルージングという形の結婚式を初めて体験したのだけれど,思ったより普通でした.最初は甲板に出て,風を浴びながらとかいうことも想像していたのですが,窓も開けられなかったですし.

この結婚式は,新郎新婦が同じ職場で,某不祥事を起こした大企業だったのですが,まぁ,予想通りの展開の部分も多々ありました.個人的には新郎新婦には幸せになってもらいたいと思っていますが,会社の今後とか全然興味ないので,ダラダラと釈明やら抱負やらを聞かされるのは,ちょっと(興味ない).

「信頼回復」のために奔走するのなら,「なぜ会社の不祥事を修正して立てなおそうとしたイギリス人社長を追放したままにするのか?」とか,率直な意見の1つや2つも言ってみたくなりました.おそらく,日本人の感覚としては,自分たちという組織を形成していた和を乱した人間は犯罪者と変わるところがなく,そういった秩序を乱す者と再建はできないとかいうことなのでしょうか.私の感覚からすれば,実際に不祥事があったのだから,頭を下げてマイケル・ウッドフォード氏を呼び戻して(この時点で企業の名前バレバレ),残留させた問題源の取締役2人を解任し,共に再建に望むというのがあるべき姿なのではないかと思う.それが,非難されるのを覚悟で不祥事を明確化しようとしたウッドフォード氏に対する真摯な態度であると私は考える.

どうせ,日本人は「変える」のが嫌いなだけで,時間が立てば,禊が落とされたということになるのでしょう.この種の問題を解決しようとしない態度は,東電を筆頭に辟易しているのですが,国民性のようなものはなかなか変わらないんでしょうね.

自分も年を取れば,そんなふうになる可能性は否定できませんし.

まぁ,式自体はいいもので,その後,素敵な人妻さんたちといい夜を過ごしてきました.

発表を翌日の朝に控えていたのですが.

2012/11/05

英語教育について考える

えと,業務命令で,アカデミック英語能力試験開発と今後の日本の英語教育なるシンポジウムに参加してきました.

この企画は,上智大学が中心になって,文科省,英検,ベッドフォードシャー大学で取り組んでいるTEAPという新しい英語テストの開発と,英語教育のあり方そのものを変えようというものです.

中心になっているのが,英語テスト開発という応用言語学を専門にやっている人たちだし,いろいろと勉強になることがありました.

実は日本の大学の英語教育は,英語教育を専門にしている人たちだけが教えているのでもなくて,言語学やら文学やら,その他各種自分の専門領域があって,英語力もあるので英語を教えていますという人たちが相当数いるのが現状です.

私もその一人ですが,この種のタイプの大学教員は英語教育にとても興味・関心があって,日本の英語教育をもっと改善したいという意欲はそんなに強くはありません(なくもないけど).

飯の種にさせてもらっているので「ま,やっとくか」という義務感と,ある程度は存在している勤勉な学生さんの意欲に支えてもらって,なんとかモチベーションを保っている状態です.

しかしながら,「俺の専門は○○だから」と言って,知らないふりを決め込むのもよくないし,英語教育の現状を「これでいっか」とも思えないので,微力ながら力添えができればという気持ちではいます.

今回公開されたTEAPという英語共通テストは,学術に必要な(academic purpose)基礎力の養成に主眼を置き,かつスピーキングテストも開発しようという意欲的なものでした.

使える英語能力を試し,かつ必要な英語力を養成できるという意味では,TOEFLやIELTSといったテストが理想なのですが,これらのテストはいわゆるEFL環境下の水準の高すぎるレベルで,日本の大学受験生に課すにはかなりオーバーロードなものなのです.

かといって,TOEICだと大学で必要とされるスキルとはかけ離れている上に,英語力の養成というよりは単にテストストラテジーの向上しか望めない.

センター試験の英語だと,現状の高校英語教育カリキュラムに基いて客観的にその理解度を試すという点では問題なくとも,この試験ができるようになったからといって,英語力が向上するかというと甚だ疑問なのです.

端的に言わせてもらえれば,センター試験英語の内容が日本の英語教育を歪めていると言っても過言ではない.

ただ,これはセンター試験が悪いというわけではなくて,現状の高等学校の現状を踏まえると,大学入試センターが行える最高のパフォーマンスはこの程度に留まるのかという話.つまり,高等学校の英語教育の体制を変えられるものがなければ,センター試験そのものは変えようがないわけです.

そういう意味でも,学術の基礎力が高められて,高校卒業段階の英語力を試せる程度の難易度のもので,かつ英語の4技能(スピーキングを含む)が試せるものがあればいいなという多くの大学関係者の要請に応えた試験なのではないかと思います.

このテストが今後,広く定着し,大学入試英語に変わりうることがあればいいなと思います.

ただ,このテストは受験生を選ぶところがあるので,おそらく河合塾の入学偏差値で50以下の大学での実施は少し難しいかもしれません.

うちでも英語入試にとって代わってもらえれば,担当者は楽になっていいのですが,採用は現実的ではなさそうですね.

以下,雑感を箇条書き

(1) シンポ会場には,うちの業界関係者(理論言語学が専門の大学教員)も混じっていました.

(2) 熱いことで有名な予備校講師さんもいらっしゃいました.喋り方がハキハキしていて,感じのいい方でした.在野の英語教育関係者の尽力にも期待しています.この人は,予備校講師にわりといるヘンチクリンなテクニックに頼らないので好感が持てる.

(3) 週末に新千歳空港まで車で行くと,駐車場になかなか入れないので時間を食う.やはり,電車で行くべきだ.(ビジネス切符だったので時間変更ができたのだけれど,そうでなければ飛行機に乗れなかった)

(4) そして,東京の人口はやはり多くて,疲れる.

(5) 水道橋のホテルに泊り,近場の東京ドームで巨人が日本一になったのを知る.日ハムは頑張ったけれど,力負けでしたね.吉川と武田勝で4敗したのだから,仕方なかったですね.あと一歩,頑張ってもらいましょう.

2012/11/03

権力が強められる時

真紀子流「劇薬」3大学の新設不認可

新しい大学の設置にあたっては,いきなり審査の場所に持っていくわけでもなくて,事前に文科省の関係者と事前に色々と打ち合わせをしてから,「これで大丈夫」という段階にまで到達し,審査にかけるという手順を踏む.今回は,文科省の審議会がOKと言っていたものを大臣の権限で直前で覆したものである.

新しい組織の立ち上げにあたっては,もちろんハード面と予算,税金の処理,さらには教職員など人材の確保も必要なので,この種の事前打ち合わせは当然必要不可欠である.

時期的に考えて,設置の前年には既にほぼ多数の教職員を確保し,さらには受験生確保(具体的には推薦入試など)に奔走しなければならない段階に入っている.

この時期に判断を覆すようなことがあれば,多大な数の関係者に甚大な損害を与えることになる.

最初に断っておくと,この種の審議会の判断を文部科学大臣が覆すことは法的にはOKである.権限としては認められている.

よって,田中真紀子の行ったことは法的には問題はない.

慣習的には,大臣がこの時期にすべきことと期待されている仕事は,審査認可の書類に黙ってサインをすることである.

それだけである.

「それだけでは,大臣はただの飾り,神輿ではないか」と思われるかもしれないが,それはそれで構わないのではないだろうか.

大学設置にかかる膨大な書類を審査・処理し,多大なファクターに基いて大臣が認可を定めるというのであれば,不認可という判断を下すことに関して,私は批判的な感想は持たない.

ただ,1人の人間が物理的にできる仕事としては,明らかに容量を超えてしまっている.文科省の全ての仕事の判断にかかる情報を1人の人間が把握することなどできないので,組織ごとに役割を分担し,分担責任者の判断の責任を肩代わりして,

「よっしゃ,じゃ,後は私が責任を持つ」

と発言するのが,トップに立つ人の仕事なのではあるまいか.

この種の判断を下すには,関係者との能力的,ないしは人間的な信頼関係が何よりも必要なのだが,どうやら田中真紀子氏には,文科省関係者に対してその種の信頼がなかったらしい.

憶測だが,彼女の頭の中にあったのは,「外務省も文科省も官僚はワルモノで,有権者に選ばれたクリーンな政治家である自分が正義を正さなければならない」という使命感だったのではないかと思う.

彼女の立ち位置は,自分はご意見番で,世の全ての権力者の過ちを歯に衣着せぬ物言いで一刀両断するもの,というものである.

自分は常に正義であり,自分を支持する人たちこそが心ある人間で,自分の意見に楯突くような官僚や,自分を解任した小泉純一郎のような人たちは打ち倒さなければならない悪党であるという物語を描き,それを抜群の演技力でマスコミの前で演じて見せ,亡き父,田中角栄の大いなる待望を果たす強き娘であるというのが,彼女を支えるアイデンティティである.

そんな彼女にとって,審議会の判断を大臣が覆したことがないという,それこそ組織という世界の中にあっては強く絶対的な慣例を打ち破ることは,旧態依然とした膠着状態を打破したという満足感につながるものなのであろう.

自分の全くの個人的判断がもたらす混乱と,甚大な被害は彼女にとっては細やかな問題でしかない.人間が街中を歩くと蟻を踏み潰すことがあるという程度にしか考えていないと思う.

今回審査が見送られた3大学のどこが具体的に問題で,どこに評価する点があるかといった個別の情報は,彼女にとってはどうでもいいことなのである.

地元なのである程度耳にはしていたが,北海道の看護士不足を補うのに大きな期待がかけられていた札幌医療看護大学の役割と,設置に至ったプロセスなど,田中真紀子にとっては何の意味もない情報なのである.

それは,世の多くの男性にとってのネイルアートの機微に関する情報と等しく,無価値なものなのである.

前例がない,誰も成し得たことがない,影響力が強い,審議会の全会一致に歯向かうといったことは,彼女のアイデンティティをより強めるものである.

組織が組織として,多くの仕事を効率良くすすめるために多くの人間がリソースを割いて組み上げてきた役割とは,彼女にとっては破壊されるべき悪習以外の何者でもないのである.

むしろ,影響が大きければ大きいほど,自分の権力者としての力を誇示できる勲章なのである.通常,権力のある人がそのような振る舞いをすることを,人は「身勝手」と呼ぶ.

ただ,身勝手な振る舞いをする首長には,権力が誇示できるメリットがある.

法というものに従って行動している首長は,それがいかなる強大な経済力や軍事力があろうとも,民衆に恐れと影響力を与えることができない.例えば,現在世界の一番の権力者であるバラク・オバマに恐れ慄く民衆がアメリカにいないのは,彼が法というものに従って行動する大統領であるということを了解しているからである.

どういう行動をすれば非難され,どういう行動をとらなければ非難されないかといったことがわかっている限り,人は安心して生活し,特定の人たちに権力を託すことができる.

逆に独裁者と呼ばれる人たちの,個人的見解が法であるという社会にいる人たちは,常に首長の顔色をうかがわなければならないという立場に立たされることになる.

そういった社会では,権力者がその権力を大いに活用することが可能になる.

民主党は,そういった法に従わず,自分が権力であると考えている人間であるということが分かった上で(外相時代に多くの人がその事実に気づいたはずだが)彼女を大臣に据えたわけであるから,これが現政権の望む姿なのであろう.

ところで,近いうちに民意を表明することができる日はいつのことなのだろうか.

2012/11/02

髪は短い方がいいらしい

これから冬になるということもあって,ちょっと髪を伸ばす途中でした.

それで,せっかくなので,長髪にしてみようかと思っていた矢先に,学生さんたちと男のヘアスタイルについて喋っていました.

根本的に顔の作りが違うということくらいはよく分かっていますが,目標は一昔前のL'Arc~en~cielのhydeでした.


こういうの.
髪質とかほぼ一緒なので,不可能ではないと思う.

顔の一部が隠れるので,雰囲気イケメンになれるのではないかとか思ったのですが,女子大生さんたちには不評でした.

かなり.

みんながみんな,男性の長髪はNGだと言うのです.

これって,よく考えたらおもしろいですね.

テレビを始め,多くのメディアで「イケメン」とされている俳優や歌手は大多数が髪が長いし,刷り込みレベルでは,少なくとも日本の女性にはイケメンとは髪の長い人たちという印象があって然るべきだと思われるのに.

遺伝子レベルで髪の短い男性のほうがいいと考えているいうことも特にないような気がする.そもそも大昔はしょっちゅう髪を切ることもなかっただろうし,有史以降も男性の髪は長かったことの方が多い.日本の男性が短髪になる傾向になったのは,文明開化のザンギリ頭と,兵隊の坊主頭など,せいぜいここ1半世紀の長さの話である.

私の憶測なのだけれど,最近は衛生状態がよくなって,清潔感のある男性が好まれる傾向があるので,短髪のほうが清潔感のあるイメージがあるから好まれる傾向にあるのではあるまいか.

というわけで,若い女の子の感性の方が正しいのであろうという想定の下,私の改造計画(?)が始まりました.

ツーブロックのミディアムショートがとりあえずいいという話になりまして,成宮寛貴くんの髪型にしてくるように言われたので,素直にそうしてきました.

というわけで今日,この髪型にしてきてもらってきました.

どうせなら,顔毎こんな感じに変われるとよかったのですけれどね.

って,それを言っちゃおしまいですね.