2013/03/03

大学教育改革の唯一の方法

大学生といえば,今時の大学生は3年も終わりに近づくと,ボチボチ就職活動というものを始め,3月になるとそろそろピークを迎えるという業種も多い.

最近はすんなりと職が決まるとかいうこともないので,この種の就職活動とやらに半年ないしは1, 2年を奪われる大学生というのが非常に多い.

それで,就職が決まればそれで万事オーケーとかいうこともなくて,3月1日から仕事を始めさせられる職種というものもある.

例えば,保育士なんかであれば,公立の公務員でもなければ,3月から仕事をやらされる人たちは非常に多い.

勤務時間は普通にフルタイムで,給料も出なければ,交通費も食費も何も出ない.

ナッシング.

お金を払って,働かせていただくのである.

名目上は「ボランティア」という形で,実質,強制的に1ヶ月働かせることになる.人によっては,日曜のイベントなんかにもかり出されるので,週休1日あるかないかという状態である.

なんでも3月から仕事ができるようになっていなければ,4月からの新学期の忙しい時期に対応できないからということだそうである.

おかしい.

少なくとも,3月末日までは彼らは大学生である.所属は大学にあって,園・施設にはない.

この種の無償労働を国が禁止してくれればよいのだが,その種の介入は面倒なだけで益になることもないということで全く動く気配はない.

幼稚園や保育園の自治に頼ることもままならない.

彼らは結束して,周囲が全てタダで新任の保育士をこき使うことができるように示し合わせをしているようなのである.

仮にいい待遇をしている園が他にあれば,優秀な人材はそこに流れる可能性があるが,全てが酷い境遇であれば特に問題はないということなのである.

というわけで,多数の保育士・幼稚園教諭候補の人たちが今月から無給で働かされている.

何度も言うが,名目上はボランティアである.

だいたいが,この国の「ボランティア」という言葉の使い方からしておかしい.

高校で「ボランティア」なるものに励めば,大学入試で色を付けることが推奨されるし,大学でも「ボランティア」なるものに励めば,就職で色が付けられることになる.

「ボランティア」というものは自発的にやる能動的な行為であるはずだが,カタカナで書けば,なぜか強制的で義務的なニュアンスが含まれてしまうことになる.

少なくとも,英語の語感にこのようなものはない(と思う).

こういったことを各企業や施設も知っているせいか,本学ではやたらとボランティア募集のパンフレットが並ぶ.

その内実は,なんてことはない,無料の労働力を必要としているだけのことであることが大半である.

もちろん,中にはインターンのような実地研修が得られる機会があるものも混じっていることは否定しないが,大学で「ボランティア」経験が要求されるようになって,企業や施設は願ったり叶ったりである.

文科省は「ボランティア」なるものを義務づけることによって,アルバイトという形で非常勤の無償の労働力を提供することができたわけである.企業や施設からの見返りはそれなりであろう.彼らは自分たちの利益を最大限にするということに関しては,こと天才的な集団である.

しかしながら,この種の職に就くことによって得られる報酬が大きいのであれば,私もあまりとやかく言わないかもしれない.

しかし,状況はろくなものではない.

公務員でなければ,保育士や幼稚園教諭の報酬というのは微々たるものである.

基本給が13万円台スタート(O樽市とS幌市K似のとある幼稚園など)というのも珍しくないし(正確な統計ではないが,14万円台スタートが多い印象),福利厚生など皆無に等しく,交通費が月額上限2万円,住宅補助などはなし,というのが多分多くの園の待遇である(ましなところもそれなりにある.「それなり」に).

これに税金・年金・各種保険を加えれば,手取りがいくらくらいになるかということは想像がつくだろう.札幌市の冬季の生活保護の支給額が月に手取りで14万円弱(市のホームページより)ということなので,フルタイムで保育士をやっていると生活保護よりも貧しい生活を強いられることになる.

私の記憶が確かならば,生活保護の支給額は「文化的な最低限の生活」の水準に基づいているはずである.ということは,保育士にはこの種の最低限の生活すら認められていないということになる.

何かがおかしい.

本学では,他にも福祉士になる人たちが多いが,ここの待遇も酷い.

基本給は保育士に2, 3万円程上乗せされた程度だが,研修期間にいきなり「1日12時間以上が基本の労働時間だから(残業手当なんてものはもちろんつかない)」と宣言されるような職種である.

まぁ,日本という社会では残業時間なるものを守っている会社の方が圧倒的に少ないわけだが,それでも12時間以上が基本ということを宣言させる状態で野放しにしているというのはいかがなものかと思う.一応,公的な施設なのだけれど.

この種の施設や園でいつも洗脳のように言われるのが,

「私たちの仕事のやりがいはお金じゃないんです.人のためにやっているんです」

といった言説である.

確かに教育職や福祉職において金銭的利益だけを追求する姿勢は褒められたものではないし,無償の奉仕をやらないといけないことも多々あることは否定しない.むしろ,必要な要素である.

しかしながら,その種の無償の奉仕を保証するためには最低限の報酬というものがあると思うのである.小中高等学校の教員程度の給料を支給しているのであれば,まだプラスアルファのことを求められてもいいのではないかとも思うのだが.

こういう悲惨な労働環境ということもあって,本学は就職率はけっこういいのだけれど,離職率も高い.

それで,昨今の大学生の就職率の低さ,若い社会人の離職率の高さの原因は,なぜか大学教育にあるというレッテルが貼られ,「キャリア教育」なるものが大学で必修科目になってしまったのには,こういう背景がある.

「文科省と経済界は,安くてたくさん使える労働力を求めているのだから,お前たちは四の五言わずに黙って働け.お前らに人権なんてものはない」

と,彼らの意図を正しく汲み取って翻訳すればいいとかいうものでもなくて,なんだか知らないが,劣悪な労働条件に耐えられる奴隷をたくさん作りなさいというお上の指示である.

ということで,昨今の「大学改革」なる運動の下では,就職活動で大学生の時間を大量に奪い,「ボランティア」や「キャリア教育」でさらに余裕をなくし,就職前の研修でとどめを刺すという状況になっているわけである.

日本の大学教育が悲惨であるということは,大学業界の人間として認めざるを得ない部分であるが,お上が動けば動くほど状況は悲惨になるということは断言できる.

大学という場で提供しなければならないものは,自分で勉強できる機会と自由な時間の2つであると私は思う.

大学は勉強する場であるのだから,その機会は保証されなければならないし,また人生の岐路に立つ若者はああだこうだと悩み,仲間と語り合い,そして若さと時間がある時にしかできない活動に没頭させてやるべきなのである.

日本の大学改革において,自信を持って改善策になると言えるものが一つだけある.

それは,企業の就職活動を大学が卒業するまで禁じ,お上が大学教育に口出しをしないことである.

とてもシンプルで,簡単なことである.

それ以外のことは必要ないと,私は思う.

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