2013/05/17

わかりあえない

なんだかよくわからないのだけれど,生成文法にコミットしていると,時に「俺は親の敵なのか」と思ってしまうくらい,人の怒りを買ってしまうことがある.

よくわからない.

質問や話を振られるので,そもそも生成文法が何をしようとしている研究プログラムなのかをできるだけかいつまんで話をしてみるのだけれど,文学畑の人たちには我々が考えていることがなぜか逆鱗に触れるらしく,時に顔を真っ赤にさせて怒らせてしまうことになる.

そんなに怒るのなら,話なんか振らなきゃいいのに...

この種の生理的嫌悪感というのは,我々の業界の有名人の一人,チョムスキーがよく引き起こしているようである.

理由がよくわからないのだけれど,チョムスキーはあちこちでいろんな人たちの怒りを買っている(政治関係の話なら仕方ないけれど,言語学でも).

しかも,そのほとんどが無知・無理解に基づいているもので,「どこでこんなこと言ったんだ?」という出来事に基づいて罵詈雑言の嵐が吹き付けられることになる.

似たような話は村上春樹さんがエッセイで愚痴っていたのだけれど,どうも世の中には「嫌いだからほうっておく・離れておく」ということをさせておかないで,なぜかやかましい論敵を増やしてしまう思考法・作品というものがあるらしい.

なぜか,数学畑の人たちには,生成文法の考え方はすっきりと受け入れてもらえることが多いのだけれど(彼らが単純に頭がいいだけなのかもしれない.じゃ,文学畑は,ってモゴモゴ).

まぁ,そんな偉そうなことを言っている一方で,私も所謂,日本の西欧文学系の人たちの考え方や講義というものが結構気に入らない.

自分もわりと文学作品は楽しんで読んでいるのだけれど,なんだか無理矢理に読まされるのもイヤだし,それに読み方・解釈の仕方を強要させられるのも気にくわない.

好きなように読ませて欲しい.

それに読書感想文よろしく,感想やら意見やらを言わされたり,言わせたりしているのも気にくわない.

自分が学生なら,いい作品を読んだ後は好きなように余韻に浸らせて欲しい.

わかった顔をして批判されたりすると,けっこう不快である(芸術の世界なんだから,「論理的に」「道徳的に」見解を押しつけないでもらいたい).

それに彼らは自分たちこそが一番文学作品を理解しているのだという態度を取るのだけれど(専門家なんだからしゃーないんだけれど),それも不快である.

正直に言って,「あんた,全然わかってないやん」という意見を持つこともけっこうある.

というわけで,お互いわかり合えない言語学畑と文学畑の人たちが日本の大学組織では同じくくりでまとめられることがけっこうあるので,世の中大変だよなと思う.

まぁ,喧嘩してなきゃそれでいいか.

というわけで,昨晩のご飯(調理時間20-30分).

厚揚げとニラと豚挽肉の味噌炒め(「きのう何食べた」に感化された)
(1) ショウガひとかけとにんにくひとかけをみじん切りにし,ごま油で香りをつける.そこに豆板醤をひとたらし入れて,豚挽肉と塩・胡椒を投入して炒める.
(2) 厚揚げとざく切りにしたキャベツを入れ,ちょっと火が通ったら,味噌・酒・みりん・砂糖・醤油で味付けして
(3) 仕上げにニラを入れて,軽く火を通しておしまい.

茗荷とおろしタマネギ
(1) みじん切りにした茗荷とスライスして水にさらした新タマネギを入れ,かつおぶしを載せて完成.食べる直前にラー油をひとたらしして,ポン酢をかける.

とろろ昆布汁
(1) 水を火にかけ,酒を少々,白だしと醤油を少々入れ,とろろ昆布を入れた容器に入れて完成.

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