2013/06/30

授業パターン1つ確立

言語学のイントロの講義を2コマ(同じもの)担当しています.

15回の講義を,4回で形態論,5回で論理学と意味論,4回で語用論,最後の2回で言語獲得と言語の諸問題について扱うという感じ(統語論と音韻論・音声学は別に特別に講義があるので扱っていない).

単純に必修科目の一つということもあって,誰もが言語に興味があるというわけでもないし,それに90分ひたすら延々と教員の話を聞かされても学生の頭には何も残らないのではないかという懸念がある.

それより何より,言語学は専門知識の積み重ねなので,初期の話が頭に入っていなければ,次以降の話が展開できなくなってしまう.

というわけで,こんな感じで講義を進めている.

最初の60分でその回の話題の講義.

残りの20-30分で,その回の講義に関連する演習問題を解いてみる.とりあえず設問に取りかかってもらい,私が教室内で質問を受け付けて回る.

ってな感じ.

話を聞くのが1時間だけだと,わりと集中して聞けるし(聞けない人もちょっといるけれど),それにその話に関わる演習問題がすぐに出題されるとなると,わりと学生さんも話を聞いてくれるような感じである.

それで,成績はこの演習問題の出来で決める予定.ほぼ毎回課題が出ているので,ついでに出席も確認できて一石二鳥である.

最終の試験もレポートもないので,メリハリも利いていていいのではないかと思う.

問題点は,クラスの1つの受講者がちょっと多いので毎週採点をするのがめんどくさいということくらいだろうか.でも,受講制限は40名なので,なんとかなりそうな感じである.この辺は,マンモス私大ではないメリットが生かされているような気がする.

まぁ,こういう形式の講義も悪くないかなと思っている.

2013/06/19

味が濃い

現任校で,お昼は大学の食堂を専ら利用している.

朝から弁当を作るほどマメではないし,それにご飯は温かいものがいいのである(冷たい麺もこの時期はいいのだけれど).

しかし,この地域,関西圏から離れているせいか,いろんな物の味が濃いことが多いのである.

しょっぱい.

麺の汁に醤油が多いのもそうだけれど,今日はB定食で食べた鯖の味噌煮がとにかく塩辛かった.

何せ,赤味噌をドバーッとかけてあるのである(見た目ほどはしょっぱくなかったが,それでも辛い).

さらに,これだけ味噌を使っているのだから,かぶらないように飲み物は吸い物か何かを用意しておいてくれればよかったのだけれど,鯖の味噌煮の味噌に負けるものかという勢いで,赤出汁の濃い味噌汁が添えられてある.

...

こんなん食べてたら血圧上がりまっせ.

思わず,私は坪内石斎の話を思い出した.

坪内石斎は京で名をはせた料理人であったが,織田信長が京から三好衆を追い出したときにそのまま捕虜になっていたのである.

牢に入れられてから,4年目.彼は機会を得て,信長に料理を振る舞うこととなった.

しかし,

「こんなものが食えるか」

と信長の怒りを買ってしまった.

とりあえず非礼を詫び,翌日再び料理を作る機会を得た石斎が振る舞った料理に,信長は舌鼓を打ち,賄頭として取り立てられることとなった.

石斎は当初,京料理を振る舞ったのである.京料理は素材の味を生かし,調味料を使いすぎないことが重要であったが,信長は尾張の出身であったので,田舎料理の濃い味を好んでいたのである.

というわけで,当時から中京地区の料理の味付けは濃いまま,その伝統が受け継がれてきたのであろうと思われる.

関西の薄味に慣れている私には,けっこう厳しいのだけれど.

2013/06/17

アパレルの店員さん

少々,差別的な言説かもしれないけれど,アパレルの店員さんってそれなりに容姿がいいことが重要だと思う.

なぜなら,商品の売り上げに直結するからである.

随分前の話になるのだけれど,札幌で初の冬を過ごす前に服を買いに行くことがあった.

何せ,イギリスからは最小限の衣料品しか持って帰ってこなかったので,寒い冬を迎えるのに必要な衣服がほとんどなかったのである.

学生なんて貧乏だったんだから仕方がない.

というわけで,特別高い服を買う必要もないかと思って,札幌ファクトリーの中にあるコムサのバーゲンをあてにして服を買いに行ったのだけれど,これがけっこう楽しかった.

イケメンで愛想がよく,マメでオシャレな店員さんに相手をしてもらったのだけれど,話も弾むし,フットワークが軽く,いろいろと当を得たサンプルを小走りで持ってきてくれるし,着こなしのアドバイスなんかも的確に行ってくれた.

何しろ,この店員さん自体がかっこいいので,その発言の全てに説得力があった.というわけで,元々まとめ買いするつもりだったので,容易に数点をまとめて買うことができた.

さらに,この店員さんはえらく記憶力がよくて,半年以上経った後でまた買いに来た時にも顔やら何やらを覚えてくれていて,話も弾んで,それでもってまたまたいろいろと購入する羽目になった.

しかしながら,十分に満足感を得て買い物を終えることができました.残念ながら(?)既婚者なのだそうだが,こういう男性ならきっと女性の人気も高いのであろうというのは想像に難くない.男の視点からしても,彼のような男性がモテるのは全然僻む気にもならない.

自然なことである.

これ以外の店の話だが,もうちょっとまとも(?)というか,高めのブランドの服を漁っている時に,話しかけてきた店員さんが,

「あ,これかっこいいですよ,いいですよ」

とか何とか言いつつも,その手の服を着ている姿が板についていないと,少々がっかりすることがありますよね.

「あ,これなら買わなくていいや」

とかいう気分になってしまう(すまない).

もし,店員さんの着こなしがばっちりで,それでいて感じのいいイケメンだったら,買ってしまっていたんだろうなとかなんとか思ってしまわないでもない.

まぁ,世の中そんなもんである.

というわけで,世のファッション雑誌に美男美女がたくさん登場しているのは,宜なるかなというものである.

衣料品も着る人を選ぶのである.

というわけで,最近まで紳士服の店員さんはイケメン兄ちゃんに限るとか思っていたのだけれど.

実は最近,とある店で服を見ていたのだけれど,そこでけっこう美人で愛想のいい店員さんと長話で盛り上がったりしてしまいました.

それでもって,とある服を羽織ってみたのだけれど,その瞬間に,その店員さんに,

「あ,かっこいい」

と,納得されながら言われてしまったので,調子に乗ってその服を購入することにしてしまいました.

もし彼女が狙ってその台詞を演じて言っていたのなら,文字通り「プロ」ということになるのだろうし,もし本気でその台詞を言っていたとするのであれば,それはそれで天然で「プロ」ということになる.

女性店員も悪くない(調子に乗っていることは否定できない).

うん,悪くない.

そんなこんなで,あんまり買い物とかしない人間ですけれど,ちょっとピンク(知っている人には「またかい!」とか言われそうですが,まだ手持ちのピンクの服は3点しかなかった.本当に)系統の服を買わされてしまいました.

あんまりピンク系統の服を着ていると,またゲ○なのではないかと噂されそうですが,私の今までの人生で彼氏がいたことはありません.

本当に.

2013/06/15

何を教えれば

暑いせいで体力が取られているせいか,3時前後になるとめちゃくちゃ眠たくなる.

前任校にカフェのようなものはなかったが,現任校はドイツ式のカフェがあるので,眠気覚ましにちょくちょく珈琲を買いに行っている.

先日,たまたまカナダ人の同僚を見かけたので,一緒に珈琲を飲みながらいろいろと雑談をしたのだけれど,日本の大学で何を教えればいいのかけっこう悩む.

難しい.

今は英語科目を1つだけ持っているので,中間のまとめとフィードバックを兼ねて,ちょっと学生さんたちに英語で簡単なエッセイを書いてもらった.

意外に(失礼!)英語の文章が書ける学生がちらほらといたのを見かけたのは収穫だったが,一方で読んでいてガックリとする内容のものもある.

3, 4名だが現在の興味etcを書いてくれたのだけれど,

「科学にも,数学にも,物理学にも,生物学にも,工学にも,ITにも,経済にも,政治にも,言語学にも,心理学にも何にも興味がありません」

とかなんとかかんとか.

彼らが英語のレベルもお粗末で,手の付けようがない人たちだったらこちらも気にならないのだけれど,彼らの書く文章の水準は一応,平均前後のものだった.

というわけで,うちの大学の平均値前後の,つまりヴォリュームゾーンに位置している人たちには,アカデミックな内容の講義は求められていないということがわかった.

残念.

彼らと雑談をしていると,海外がなんとかかんとかとか,食べ物がどうだとか,ファッションがどうだとか,その手の話は楽しいらしく,よく食いついてくる.

授業でもこの手の話ばっかりしてくださいとか言われたのだけれど,私はまだ青いせいか,学術的な内容を扱うということから逃げたくない.

なんだかな.

といった内容のことをカナダ人の同僚と話していたのだけれど,彼も最近授業内容についてのフィードバックを求めて簡単なエッセイを書かせたらしく,その内容について教えてくれた.

「16人中,10人が課題をなくしてください」

と言っていたとか,なんとかかんとか.

「授業に出席していれば,英語力が上がるような授業をして欲しいetc」

という話を聞かされたのだそうで.

日本ではどうも大学入学まで手取り足取り教え導いてくれるせいか,なんでもかんでもこちらが用意しないと学生さんたちが能動的に何かをするなんていうことはないのである.

これが現実.independent studyという形式は,日本でなんとか取り入れられないのだろうか.

ちなみにこの同僚はイギリスでPhDを取ってきたので,一緒に教育システムの違いについていろいろと話をしたのだけれど,同じような問題意識は持っていたようである.

ただ,彼によれば,

「いやー,課題をしたくないとか言っているのは,16人中たったの10人だからねー」

という話.

単なるジョークなのだが,あくまで前向きである.もしかすると,16人中,6人は積極的に勉強をしようという人たちなのかもしれない.

うちに非常勤で来ていたことがあるという知り合いによれば,私の所属のお隣の学部の講義では,授業中に女学生が男子学生の膝の上に乗っかってチュッチュしていたとかいう動物園のような状況だったそうなので,うちの所属はそれなりにいい学科なのかもしれない.

まぁ,前向きに,そして適当に考えて生きていこう.

2013/06/09

グローバル人材?

国際的に活躍する「グローバル人材」の育成が急務とされる中、学習塾などが全国の大学生や高校生、保護者約1000人に行ったアンケート調査で、大学生の半数以上が「自分はもうグローバル人材になれない」と諦めていると回答した。




調査は3月、海外進学を目指す小中高生向けの学習塾「IGS」(東京)などがインターネットで実施。全国の高校2年生・大学3年生(当時)の男女412人と、小学校から高校までの児童・生徒の保護者618人が回答した。「今からグローバル化のための教育を受けても自分は間に合わない」と感じている割合は、高校生で50%、大学生で55%だった。保護者も24%が「我が子は手遅れ」と諦めていた。






「将来、グローバルに活躍したい」という大学生は3割、高校生も4割にとどまり、内向き志向や語学力への自信のなさがうかがわれる。海外展開する企業への就職を希望しない学生・生徒に理由を尋ねたところ「他の国の人とのコミュニケーションが不安」「日本にいられなくなりそう」などの回答が上位を占めた。(2013年6月9日09時48分  読売新聞)
















最近は,うちの大学でもグローバル人材育成だの何だのとおっしゃる人たちは多い.

ちなみに日本学術振興会によれば,グローバル教育とは,『グローバル人材育成推進事業は、若い世代の「内向き志向」を克服し、国際的な産業競争力の向上や国と国の絆の強化の基盤として、グローバルな舞台に積極的に挑戦し活躍できる「人財」の育成を図るため、大学教育のグローバル化を推進する取組を行う事業に対して、重点的に財政支援することを目的としています。』 グローバル人材育成推進事業(日本学術振興会)のだそうで.

よくわかったような,わからんような.

たぶん,学術という面においては,日本だけに引きこもっていても仕方がないし,やっぱり英語で論文を書いて学会で発表してこないと,白人さまたちに見ていただけないので,とにかく北米やヨーロッパに出て行きなさいということなのだろう.

英語優位な状態はもう今からひっくり返せない事態でもあるので,これはこれでしゃーないのかなとも思う.

似たような状況は野球のメジャーリーグだとか,サッカーの三大リーグなんかでも同じでしょうか.とりあえずレベルの高い所に行かないと自分たちのスキルが上がらない.

しかし,どうしてもお上の見解を「はい,そうですよね」と真剣に受け取れない自分がいる.

多くの若者が「グローバル人材」なるものを理解できないのと同様,大学教育の現場にいる我々もよくわかっていません.

穿ったものの見方かもしれませんが,これは現政府(官僚と経団連と言った方が正確なのかもしれない)の望んでいる事態であると考えればわりと話はすっきりとします.

現在の安倍政権の初期政策が,どうもわりとうまくいきそうという面にだまされてしまいそうですが,彼らを操っている政財界といった黒幕の本音はなんといっても,

1. 日本語と輸出国(英語や中国語など)の外国語に堪能で

2. 安い賃金で働き

3. あらゆる命令(海外赴任など)に無条件で首を縦に振る

という条件を持っている労働者をたくさん養成したいということに尽きるのではないかと思う.

「グローバル」などと言っているが,これは単に外国に行ってコミュニケーションが取れ,タフでどこに行ってもしっかり働く人材が欲しいだけのことである.

この字面だけ見れば「かっこいい」人たちなのかもしれませんが,要するにいくらでも替えの聞く,安くて使い勝手のいい道具が欲しいだけのことです.

世界水準で安い賃金で働き,社会保障もいらず,時期・状況に応じて安い国に工場を移して,そこで1年365日1日24時間働き,賃上げ要求も休暇請求もしない人材が欲しいだけである.

外国語と海外で生きるタフさは,そのために必要な能力に過ぎない.

しかし,全ての会社が本社まるごと海外に移動して法人税を納めなくなると困るので,「自国を愛する愛国心を持ったグローバル人材」になることによって,企業に奉仕し,そして日本政府に奉仕することのできる人材を養成したい,というただそれだけのことなんじゃないだろうか.

自民党がワタミの渡邉会長を参院選に立候補させるという方針も,こう考えれば合点がいく.

あまり深く考えると気が滅入るので,この辺にしておきますけれど.

社会・政府というものは,基本,大衆を利用しようとするものなので,現場の大学教員としては,こういった現状を割り切って,打算的にうまく乗り切っていく人材を養成したいと思いますけれど.

2013/06/08

大学教員のメールマナー(うちの女性教員たち)

日本の大学に就職しようとか思っていたときに,最低限のビジネスメールマナーは身につけておくべきだよなと思って,巷の「普通」と言われているビジネスメールの基本なるものをいろいろと学んだつもりだったのだけれど,その全てが現任校では否定されている.

特に,日常的に約3名の年配の女性大学教員から来るメールが,所謂ビジネスマナーと呼ばれているものの真逆を行っているので,戸惑うことが多い.

性差からなのか,年齢からくるものなのか,その要因ははっきりしないのだけれど,とにかく今までやってきた自分のemailの送り方がこの2ヶ月でいろいろと否定されてきた.面倒くさいのであまり守る気はしないのだが,とりあえず思いつくことは以下のようなものである.

(1) とにかく思いつくことがあったら,結論も用件もないのにガンガンメールが送られてくる.

→少なくとも私は確定事項にならない限り,仕事のメールは送らないのだが.

(2) メールの文面がとにかく長い.長文である.まるでエッセイを送ってくるかのようである.しかも改行箇所がとても少なくて目がちかちかする.

→ビジネスメールは簡潔にして当を得たものと心得ていたのだが,そのようなメールを送ると「不機嫌なのですか?」とか,「メールではいつも怒っていますよね」とか言われてしまう.用件だけを書くメールはどうも彼女たちには不評のようである.

(3) 結論に至るまでが長い.また,自分の気持ちやある現状に至った経緯がこと細かく記述されている.

→他人に話す場合には,結論だけを簡潔に記述してもらいたいと私は思っていたが,どうも違うようである.

(4) 絵文字や顔文字が混じる.

→プライベートメールでの使用はもちろん可能だが,ビジネスメールでは御法度だと思うのだが.

(5) 添付ファイルはベタ貼り.ファイルが複数(4種類)とかあっても,そのままべたっと貼り付ける.

→普通は受け手の受信メールボックスの容量を考慮したり,spam扱いされないように複数の添付ファイルがある場合には圧縮にするのが基本だと思っていたが,先日怒られてしまった.どうやら「解凍の仕方がわからない」のだそうである.いくらなんでもあんまりだと思う.ちなみに別件だが,学生さんの住所等,気を配るべき個人情報が記載されたファイルのやりとりでパスコードをかけた時にも苦情を言われてしまったことがある.

というわけで,大学という空間では,一般企業とは違うルールに則って業務が行われていることがあるので,学生さんたちが一般企業に就職する際に身につけねばならない一般常識というものは,少なくとも大学では学べない(むしろ悪影響である)ということだけは私の現任校から断言できる.

最近は,自宅と土日は大学アカウントに来るメールのチェックはしていませんけれど(それが健康によいのである).

2013/06/06

携帯依存症の人たち

前任校の学生さんたちほどではないですが,現任校の学生さんたちも結構携帯電話に依存気味で,暇さえあれば携帯電話をチェックしています.

前任校では,講義中も携帯電話から目が離せないという人たちが一定数いましたが,今ではかなり少ない印象です.前任校では自分が依存症だという自覚がある学生さんもいて,たまに一緒に直そうとかいう人もいたくらいなのですが.

携帯電話を見ながら道を歩くとか,自転車を運転するとか,車を運転するとか,結構危険なことをやっている人たちもいて,彼らが危ないということはわざわざこんなところで言う必要もないと思うのだけれど,携帯電話依存症から引き起こされているのではないかと思われるネガティブな側面をいくつか考えてみたい.

まず,彼らの多くがLINEやFacebookのようなSNSにかかりっきりという話.

絶えず他人の動向をチェックしておかなければならないという強迫観念にとりつかれているみたいだし,お互いにしょうもないやりとりをしているという自覚もあるらしい.

ただ,常に誰かとつながって,連絡を取り合っている状態にならないといろいろと不安になるようである.

ここから出る弊害は以下の2つ.

まず,この種のコミュニケーションスタイルが,かなり簡易化された言葉と絵文字で構成されているということである.

人間がものを考える2つの大きな武器は言葉と数学であると私は考えているのだが,そのうちの言葉を使用した表現能力が不足しがちな人たちが増えているような気がする.

自分の中で感じた感覚を,「ほら,あれ」といった擬態語や感覚表現,ないしは絵文字なんかで表現して事足れりとしてしまうので,自分の意見を他人に明確に伝える形で言語化できないということ.

人間は社会的な生物なのであるから,自分の中に生じた感覚を言葉にすることは必要不可欠であるし,また自分がなんとなく感じた「感覚」を言葉を使って考察する作業は思考能力の養成に必要不可欠なことなのである.

その種の能力の成長が阻害されてしまう.

もう一つが,孤独になれないということ.

何せ,片手で掴めるツールが一つあれば1日24時間誰かと連絡が取り合えるのだから,一人の時間が確保されなくなってしまうことにもなりかねない.また,彼ら若い世代の間ではメールなどの連絡をして,数時間経って返事がないだけで「遅い」と感じてしまう人もいるようである.

若い世代,特に学生時代には孤独な時間が必要不可欠なのではないかと思う.

それは,孤立してしまうとかそういうことではなくて,一人で何かをじっくりと考えたり,本や書物に腰を据えて向き合う時間が確保できないということが問題なのではないかと思うのである.

文学だの,論説だのといった一定の,それこそ一言で結論をまとめるだけでは理解したことにはならないような文物と対峙するには,孤独な時間が必要なのである.(芸術鑑賞や創造にも)

また,自分で何か新しいことを考える・創造するのにも孤独な時間帯は必要である.人は一人になったときにこそ,思考力を最大限に発揮するという一面もあるのである.

この種の問題は日本だけではなくて,それこそ私がイギリスにいた頃からFacebook addictionという言葉で西欧でも問題視されていたことである.事実,私がいたdeparment近くのコンピュータルームのプリンタ室で,私が論文をプリントアウトしにいくと,常にパソコンに向かってFacebookをチェックし続けている馴染みの顔の学部学生が数人いたのを記憶している.

彼らは無事に卒業できたのであろうか.

2013/06/01

感覚の合わない車

えと,新車クンです.


というのはウソで,ちょっとゴルフを車検に出していたので,3日間代車で使わせてもらっていたビートルです.

元から自分で買う気はさらさらなかったのだけれど,一度くらい運転してみたいなという願望だけはあったので,ディーラーさんにビートルを出してもらいました.

しかしながら,この車,身体感覚が全然合わなくて,凄く気持ちが悪いのです.

視界もあんまりよくないし,それに足下(アクセルとか)が全然落ち着かない.

前後左右の間隔も全然わからないので,本州の狭い道路を走るのは戦々恐々でした.

それとバック駐車が凄く難しい.

バックで入れるのがこんなに大変なことなのだと,実感としてわかりました.駐車場等でちんたら入れていてすみません.まぁ,これで駐車に時間のかかる女性の気持ちがわかったので,今後心の余裕が持てそうです.(別に今までもイライラしていたわけではないですが)

ゴルフに初めて乗ったときは,体になじむ感覚というか一体感のようなものがあって,「あ,これだ」という気分になれたのだけれど,ビートルは全然ダメでしたね.ゴルフが帰ってきて,ようやくほっとした気分でドライブができるようになりました.同じワーゲンでも,やっぱりゴルフはいい車なんですね.

ビートルはこれで300万円以上する車なので,おそらく外見が好きでたまらないという人以外は買わない方がいいのではないでしょうか.2ドアで基本2人乗りだし,トランクは狭いし,インテリアや細かい作りがゴルフと違って使いにくいことも多いです.もちろん,惚れ込んだ人が一定数いるので売り上げもあるのでしょうけれど.(好きな人はもちろん買ってください.好きになっちゃったものは仕方がない)

ところで昨日は,こういう高い所にあるカフェに行ってきました.

周囲はなぜかカップルらしき人はあまりいなくて,男性同士・女性同士という人たちが多かったですね.まぁ,もしかするとカップルだったのかもしれませんが,特にそういう雰囲気でもなかったような.