2013/06/06

携帯依存症の人たち

前任校の学生さんたちほどではないですが,現任校の学生さんたちも結構携帯電話に依存気味で,暇さえあれば携帯電話をチェックしています.

前任校では,講義中も携帯電話から目が離せないという人たちが一定数いましたが,今ではかなり少ない印象です.前任校では自分が依存症だという自覚がある学生さんもいて,たまに一緒に直そうとかいう人もいたくらいなのですが.

携帯電話を見ながら道を歩くとか,自転車を運転するとか,車を運転するとか,結構危険なことをやっている人たちもいて,彼らが危ないということはわざわざこんなところで言う必要もないと思うのだけれど,携帯電話依存症から引き起こされているのではないかと思われるネガティブな側面をいくつか考えてみたい.

まず,彼らの多くがLINEやFacebookのようなSNSにかかりっきりという話.

絶えず他人の動向をチェックしておかなければならないという強迫観念にとりつかれているみたいだし,お互いにしょうもないやりとりをしているという自覚もあるらしい.

ただ,常に誰かとつながって,連絡を取り合っている状態にならないといろいろと不安になるようである.

ここから出る弊害は以下の2つ.

まず,この種のコミュニケーションスタイルが,かなり簡易化された言葉と絵文字で構成されているということである.

人間がものを考える2つの大きな武器は言葉と数学であると私は考えているのだが,そのうちの言葉を使用した表現能力が不足しがちな人たちが増えているような気がする.

自分の中で感じた感覚を,「ほら,あれ」といった擬態語や感覚表現,ないしは絵文字なんかで表現して事足れりとしてしまうので,自分の意見を他人に明確に伝える形で言語化できないということ.

人間は社会的な生物なのであるから,自分の中に生じた感覚を言葉にすることは必要不可欠であるし,また自分がなんとなく感じた「感覚」を言葉を使って考察する作業は思考能力の養成に必要不可欠なことなのである.

その種の能力の成長が阻害されてしまう.

もう一つが,孤独になれないということ.

何せ,片手で掴めるツールが一つあれば1日24時間誰かと連絡が取り合えるのだから,一人の時間が確保されなくなってしまうことにもなりかねない.また,彼ら若い世代の間ではメールなどの連絡をして,数時間経って返事がないだけで「遅い」と感じてしまう人もいるようである.

若い世代,特に学生時代には孤独な時間が必要不可欠なのではないかと思う.

それは,孤立してしまうとかそういうことではなくて,一人で何かをじっくりと考えたり,本や書物に腰を据えて向き合う時間が確保できないということが問題なのではないかと思うのである.

文学だの,論説だのといった一定の,それこそ一言で結論をまとめるだけでは理解したことにはならないような文物と対峙するには,孤独な時間が必要なのである.(芸術鑑賞や創造にも)

また,自分で何か新しいことを考える・創造するのにも孤独な時間帯は必要である.人は一人になったときにこそ,思考力を最大限に発揮するという一面もあるのである.

この種の問題は日本だけではなくて,それこそ私がイギリスにいた頃からFacebook addictionという言葉で西欧でも問題視されていたことである.事実,私がいたdeparment近くのコンピュータルームのプリンタ室で,私が論文をプリントアウトしにいくと,常にパソコンに向かってFacebookをチェックし続けている馴染みの顔の学部学生が数人いたのを記憶している.

彼らは無事に卒業できたのであろうか.

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