2014/05/29

(語学)留学の意義

今でこそ,外国語学部の英語をメインに教えるような場所で大学教員をやっているけれど,元々,英語も嫌いだったし,英語好きを公言するような人たちもとても嫌いだった.

英語嫌いは,世の中が作り出す英語教育のイメージがイヤだったのと,高校教員の英語に対する無理解が原因だったような気がする.

英語が出来ればetcとかいう話や,英語ができればこんなにいいetcという話がなんとなく胡散臭かったし,それに英語教育産業の全てがまやかしのように思えて,その種の底の浅さに関わるのが心底イヤだったというのも要因だったかもしれない.

最初から,教科の1つと割り切れるとよかったのだけれど.

でも,これらの嫌悪感は実はたいしたものでもなかった.

本当にイヤだったのが,とにかくちょっと英語を海外で勉強してきたからといって

「留学してきましたー♪」

という人たちでした.

同列に扱われたくなかったし,関わりになるのも御免被るという感じでした.

彼ら(基本的に女性だが)の大半が,英語の話し手の言っていることを理解しているのかいないのかよく分からないような状態で,薄気味悪い薄ら笑いを浮かべ,「Oh, yes!」とかいって話のやりとりをなんとなく繰り返している.「英語が話せている自分は凄い」といった様子で,悦に入っている様を見るのがどうにも気持ち悪かったのです.

それでもって,どれだけ自分が滞在した国のことを理解しているのか知らないけれど,したり顔で表面的な知識をひけらかしている様子を目の当たりにすると,思わず全身が痒くなるような気分になったものです.

そういうこともあって,私が留学していたことを指して,他人に「英語を勉強してきたんですか」と聞かれるのがとにかくイヤでした.『語学留学なんざ「留学」という文字を使うな.「遊学」と言っとけ!』というのが強い強い持論でした.

その種の感性は基本的にごく最近まで変わっていなくて,イギリスにいた時も,正規留学や交換留学で来ていた人たちには諸手を挙げて歓迎という気分になれていたのだけれど,語学留学となると,ちょっと.

それが今では,多くの語学留学を推進して,彼らの書類を扱う仕事をするようになっています.まぁ,この種の仕事は世の中で一番したくない仕事の一つだったのだけれど.

しかしながら,最近,この種の考え方も変わるようになってきました.

というのも,金さえ払えばすぐに行ける語学留学かもしれないけれど,なんだかんだで異国で,自分の力で道を切り開いていかないといけないという環境は,若い人たちにはいい経験になっているようなのです.そういった経験を経ることによって,いろいろと成長して帰ってくる人たちがたくさんいるのです.

日本に,特に自宅なんかにいると,ご両親なんかに甘やかされて,それで教師にもあまりきついことを言われなくなって,特別厳しい課題を与えられることもなくindulgeされていた人たちも,自分がやらないと仕方がないという経験をいろいろと重ねることによって,意外に自立する機会を得て帰ってきているのです.

この種の教育効果を考えると,単なる語学留学かもしれないけれど,それなりに意義はあると思うようになる.

そんなこんなで,語学留学でもいいから若い人たちはできるだけたくさん留学してこいと考えるようになっています.

といったような話を,ちょっとお隣の学部のアメリカ人の先生と話していました.

彼も同じようなことを思っていたようで,最近では,語学留学であっても留学推進派になったそうです.

ま,見知らぬ環境に行ってみるということが大事なのかもしれませんね.若い間にいろいろな世界を体験してきてもらえればと思います.

2014/05/08

怒らんでもええやねん

いろんな方面からお気楽だと思われている大学教員とかいう身分ではあるのだけれど,それなりに腹の立つことも,ストレスが溜まることもある.

まぁ,人が怒る理由はそれなりに千差万別なところもあるし,一概に他人だけが悪いとは言えないということもあるだろうし.

それで,こういう怒りの感情が芽生えてきて,その場でプッチーンっと切れてしまうようなことがあると,それはそれで楽なんだろうなというか,感情を抑えないで生きている人たちがそれなりに羨ましくはあるのだけれど,個人的にはそういうことをしないようにしています.

というのも,怒りの感情が芽生えるようなことがあっても,だいたいがそれほど深刻な問題でもないというか,人の命が関わるようなことでもないので,翌日以降に「しゃーないか」と思って割り切ってこなせるような事柄であることが多いからである.

それに,私も昔はそれなりに怒りっぽかったのだけれど,20歳を過ぎた頃くらいからは,感情を制御することができるようになったし,それにたとえ不快感を感じるようなことがあっても,大体がバッティングセンターなんかに行ってボールを打ちっぱなして,ご飯と一緒に適量のお酒を飲んでぐっすりと一晩眠ってしまうと,わりとどうでもよくなることが多いということが分かるようになってきたのである.

前任校のF女子大学で,各地の特別支援校の校長先生をやってこられた人と一緒に仕事をさせてもらったり,一緒にお酒を飲んだりすることが多かったのだけれど,この人からはいろいろなことを教えてもらった.

特別支援校となると,世の中のダーティーな部分というか,割と人の残酷な面と向き合う機会が多くあるようなのだけれど,この先生はいろいろな物事に前向きで非常に楽観的で,そういった態度が非常にさっぱりとしていて気持ちのいいものでした.

「大丈夫,とりあえず人の命が関わってなければいいんですよ」

「世の中ね,なんとかなります.何か責任取らなきゃいけないときはね,謝っとけばいいんですよ」

「物事はね,人がその時に考えている時ほど,深刻なもんでもないんですよ」

といった台詞をさらっと笑顔で言われるのだけれど,一緒に友人のような感覚でつきあわせてもらいました.いいなぁ,楽しかったなぁ.

そういった経験もあって,何か不快感や不満を感じるようなことがあっても,とりあえずはその場では出さず,翌日以降に冷静になってから考えるようにしています.

こうしていると,世の中の怒りの多くがたいしたことでもないなと思えるようになります.まぁ,翌日以降になってもやっぱり理不尽だと思う場合には,しつこく怒りの感情を抱えて生きていくことにはなるのだけれど.

とりあえずは,どんな時でも気楽に笑っていられる余裕だけは持てる人間でありたいと思います.

2014/05/03

職業病

今日はちょっと所用で街中に出て,百貨店で買い物をしていたのだけれど.

その買い物に付けるカードがオプションであったので,いろいろと悩んでいると,店員さんにカードの柄で悩んでいるんですかと尋ねられた.

実を言うと,カードに記載されてある英語メッセージがいずれも変な英語だったので,どれが一番ましかという究極の選択を迫られていたのである.

日本という社会では英語が教育システムの中に深く入り込んでいるので,外国語としての英語の立場は確固たるものだと思うのだけれど,それでも巷には意味が分からない,ないしはおかしな英語が氾濫していてとても困ってしまう(笑ってしまう).

この冬にオーストラリアに行っていたのだけれど,そこで見かけたタスマニアデビルの檻に貼ってあったこの日本語みたいなのがそこら中にあると思っていただければ,現状を理解してもらえるのではないかと(ちなみに日本人による英語の誤用はEngrish.comにくわしい).


そういうわけで,言語学者という肩書きがあって,大学で英語を教えることもある立場の人間からすると,妙ちくりんな英語のメッセージが書いてあるカードを選択すると信用問題の失墜にもつながりかねないのである.

難しい.

この種の変な英語に不快感を持つのは一種の職業病みたいなものであって,鼻で笑っていればいいのだけれど,まだまだそこまで余裕が持てないようである.私もまだ若いのかもしれない.日本人だから間違っても仕方ないじゃないかと,笑い飛ばせればいいのだけれど.

しかし,変な英語は,海外からたくさん観光客が来るようなスポットでたくさん目についてしまうので,こっぱずかしくなってしまうのである.ご近所で言えば,あんなお寺や金色の鯱のあるお城とか,えと,とりあえず名指しはやめておくか.

他にも,最近だと結婚式の報告葉書に記載されてある英語の語法なんかも気になる.

marryが厳密に他動詞で使用されるという事実は大学入試問題においても頻出だと思うのだけれど,この辺を誤解している結婚業者やホテルが非常に多い.

We have just married!

なんて書いてあるメッセージを目にしてしまうと,「なんか足りへんやろ!」という思いがついつい浮かんできてしまうのである.少なくとも,marry程度の語法を理解していない人たちが主催している結婚式場を私が使用することはないということはここで断言させてもらう(信用問題にもなるし).

まぁ,まだ使用する予定がないのが残念なのだけれど...

そういうわけで,巷の会社の皆さんは「ふん,英語なんてできなくても日本で暮らす分には不自由ないもんね」と開き直る前に,ちょっとは勉強してほしいものだと思う.

もしかすると,年配のめんどくさい上司さんたちに聞く耳がないだけのことなのかもしれないけれど.

2014/05/01

ガラスの家に住む者は

もしかすると大学教員に限った話ではないのかもしれないけれど,とにかくこの業界は他人を辛辣に批判する人たちが比較的多いような気がする.

英語のことわざに,People who live in glass houses shouldn't throw stones.「ガラスの家に住む者は石を投げてはならない」というのがある.

要するに他人を辛辣に批判したりして,いざ自分が攻撃されると大変なことになりますよという教訓を含んでいるわけである.

インターネットが発達して,過去の有名人,特に政治家の発言なんかが残るようになった現代.過去の発言を振り返って,後で自分に火の粉が振り返る様をネット用語で「ブーメラン」と呼んでいるみたいだけれど,要するにこのことである.

政治家さんなんかは朝令暮改がお仕事みたいな向きがあって,その場の「空気」を読む必要があるので,この手のブーメラン体験は仕事の一環みたいなところがある.しかし,大学教員のように知性を売り物にしている職業だと,この手のブーメランは信頼問題にもつながりかねない.

というわけで,私はなるべく他人の批判はしないようにしている(と思う).

そもそもが,研究業績に優れ,類い希なる教授能力があり,学生の面倒見に定評があって,種々の雑用をそつなくこなし,書類業務にはミス一つなく,ムダなことを一切しない人格高潔なる大学教員なんて世の中に何人いるのだろうという水準である.

まぁ,そのうちの一つでも欠けていると批判の対象になってしまうわけだけれど,自分はこういう完璧な教員では全然ないということくらいは自覚できているので,なるべく人様の悪口は言わないようにしておこうと思っている.

ところで,大学教員同士,ではなくて,学生さんから教員が批判されることもあるのだけれど,今日はちょっと傍で聞いていて気の毒なことがあった.

とある先生がやり玉に挙がっていて,その先生が基本的に褒められていたのだけれど,女学生さんたちに,

「○○先生,あんなにきちゃなく禿げ散らかしていたらダメだわー」

と言われていた.ちょっとあんまりだと思う.髪の毛は自分の努力ではどうにもならないのである.

そんなことばっかり言っていると,そのうち自分たちに石が投げられるぞ.

2014/04/29

通い妻をもてるか

一人暮らしの独身男性の家にみりんがあれば,通い妻のような女性の存在を疑え.また,料理酒や酢なんかがあれば,確実にそのような存在の女性がいるとかいう話を時々耳にする.

昨今の晩婚化の影響を受けてか受けていないのかは知らないけれど,私はまだ独身な上に,人生で今まで通い妻のような存在の女性を持ったことはない.

こんなところで誓っちゃうのだけれど,本当にもう全然ない.

そんな私の家というか,マンションの部屋なのだけれど,当然のようにみりんは常備しています.

料理酒はもちろんあるし,それどころか,安物の白ワインも西欧料理の時に使うので,常備してあります.

酢なんかに至っては,四種類常備してある.米酢に,白ワインビネガー,赤ワインビネガー,それとバルサミコだ.

というわけで,みりんや酢の存在がそのまま通い妻の存在を裏付ける証拠になると言えるかというと,そんなことは全然ないということができる.

まぁ,これは帰納法というか,個別の事実をいくら重ね合わせてみても,ある種の原因を正確には特定できないという論理学の基本にもつながる話である(アブダクションではないというか).

通い妻的な女性の存在の特定と言えば,他にも,一人暮らしの男性の家に,その男性の髪型からは考えられないような長い髪の毛が落ちていた場合,女性の存在を疑えとかいう話もある.

マーキングがてら,女性が部屋に髪の毛を落としていくとかなんというか.

しかし,この種の髪の毛の存在も女性の存在を特定する材料にはならないと思う.

というのも,普通に大学や職場なんかで女性と接触(物理的にではなくても)していると,いつの間にやら身体の一部ないしは荷物なんかに女性の髪の毛が付着していることは珍しくない頻度であるからである(だから,長い髪の毛が落ちていたからといって,世の女性陣は男性を疑うのはやめてください).

話を戻して.

普通に私のライフスタイルを知っている女性なんかと話をしていると,誰も私の通い妻になんかなろうとする人なんかいないですよと断言されてしまう.

あれこれと,料理のことを知り尽くしている人間に,あえて何かを作ろうなんて気は起こらないからなのだという.

そんなこんなで,はっきり言わせてもらうけれど,料理ができるということがもてるということにはつながらない(私の存在がいい証左である).

世の女性陣の多くは,例えば速水もこみちのようなかっこいい人が優しく料理を作ってもてなしてくれる姿に憧れを抱いているだけのことであって,身近な男性があれこれと手際よく料理をこなしてしまうことは,自分に対する過度なプレッシャーを増やすだけのことであって,あまり歓迎する自体ではないのではあるまいか.

そういうわけで,一人暮らしで家事が上達する毎に婚期が遠ざかる気がする今日この頃である.

2014/04/28

職業がわからない

大学教員というのは自由裁量が基本なので,時々,気質の人とは異なる時間帯で働いていたりする.

それで時々,真っ当な気質の人たちに

「この人,何者なんだ?」

という視線を向けられることがある.

友人や職場以外の人たちと話をしなければならない場所の一つに,美容院というものがある.ここでもカミングアウトするまでは,ちょっと「変わった」職業の人だと思われていました.

髪の色を変えてはいけないということもないし,決められた長さというものもない.パーマをあてても文句を言われることはないし,実際,大学教員の中には一般的な営業職がつとまらなさそうな髪型の人が大勢いる.

みなさんの知っている大学の先生の中にも,やたらと長髪の男性がいた記憶があるのではないでしょうか.

というわけで,髪型も自由な上に,そもそも美容院に行くのが混まない平日の朝一ということもあって,私は下手をすると定職に就いていないのではないかという疑念を生んでしまいそうになる.

しかも,私はやたらと若く見える風貌である上に,普段スーツを着たりもしないので,楽なような面倒なような目にあってしまうことがある.

まず,大学でも顔を覚えてもらっていない職員の人たちに,学生扱いをされてしまうことが多々あるし,実際,実に不愉快な扱いを受けたこともあった.(その種の傲慢な振る舞いをする職員の顔と名前は覚えるようにしている.だって,信頼できないから)

前任校は女子大だということもあって,さっさと顔も名前も覚えてもらっていたし,そもそも職員さんは基本的にみんな感じの良い人たちばかりだったので,特に不愉快な思いをすることもなかったのです.

それと,あまり若く見えすぎると,買い物に行ってもあまり営業されることがない.

先日,オフィスチェアを買いに行ったのだけれど,その店は基本的にお客さんに担当コンサルタントがつくようなお店なはずなのに,受付で「どうぞ,お好きに中をご覧ください」と素通りされてしまった.恐らく,大学生のウインドウショッピングみたいなものだと思われたのだろうけど,おかげで注文の際に店員さんを見つけるのに難儀してしまいました.(何せ,いちいち担当が空くのを待たないといけなかったのだ)

また,オイル交換でフォルクスワーゲンのディーラーに行ったのだけれど,新型ゴルフが出たばっかりだというのに全然営業も何もされませんでした.側のおじさんには営業がかけられていたのだけれど.

まぁ,普段からスーツを着ていればいいのだろうけど,ネクタイを締めるのも面倒だし,それにドレスシャツはいちいちクリーニングに出さないといけないし,スーツが汚れたりするのもイヤだし,だいたいが気楽にしていられないので,今日も普通に楽な格好で職場に行っていました.

ま,いっか.

2014/03/06

帰国(ホバートから)

ホバートで,大学の図書館で論文を読み書きして,大学関係者とちょっと喋って,それで学生さんの様子をうかがって,というのんびりな生活も終わりの時が来ちゃいました.

ちなみに,主な仕事場所だった英語教育センターは小高い丘の上にある建物で,そこからはこういう風景が見える.



というわけで,帰国の途につく.

飛行機の出発時間は午後の1時からだったので,10時前にブランチにお出かけする.宿泊していたMotelはSandy Bay Roadという大きなストリート沿いで,そこから10分弱歩くとThe Dutchesというちょっと小洒落たカフェがあるのだけれど,ここのローストパンプキンリゾットボールとソイのカプチーノがえらく気に入ったので,最後にここで食事をすることに決める.

要するに南瓜の入ったライスコロッケに,とろとろのマスカルポーネチーズが入ったものだけれど,これがとてもおいしい.南瓜の味がしっかりとしていて,まろやかで甘みがある上に,程よい温度に温められたチーズがしっかりと利いている.ライスボールはまろやかさ全開という雰囲気なのだけれど,ロケットのサラダと自家製のジェノベーゼペーストにしっかりと酸味が利いていて,これがちょうど箸休めのような働きをしているのだ.

ライスコロッケだけだと,ちょっとまろやかに過ぎるという感じになっちゃうのだけれど,所々で存在感のあるサラダに出くわすので,単調な味になっていないのが特徴なのである.



サラダの下には,あと2つのライスボールが隠れております.

それと,オーストラリアのカフェで飲むカプチーノ(ないしはラテ)は,基本的にとてもおいしかったです.

エスプレッソがしっかりと「苦い」味で,ちゃんとイタリアンローストの存在感があって,その上に乗っているクリームの泡がとても繊細で凄く気に入りました.日本に帰ったら,カプチーノを入れられるマシーンを購入しようかと今,迷っているところ.

ちなみにこのカフェのソイは凄くまろやかで,とても自然な甘みがあります.スターバックスのソイラテもけっこう好きなのだけれど,味と泡の繊細さでこちらのカフェの勝ちですね.このカフェが近所に出来れば良いなと思うのだけれど,まぁ,難しいですよね.ち自力でこの味に似たようなものでも作ってみようかなと思っています.


というわけで,無事に最後の晩餐も終え,同僚のイギリス人に引き継ぎの話を終えてから,帰国の途につく.

空港まではバスとタクシーの2つの手段があるのだけれど,時間に融通が利くタクシーを選択.どうせ経費で落ち,ってゴホゴホ.

リセプションでタクシーを呼んでおいてもらったのだけれど,ちゃんとon timeに到着している.

タクシーのおじさんはいかにも田舎にいる「おっちゃん」という雰囲気で,とてもアクの強いオーストラリア訛の英語を話す.

この数週間の滞在でオーストラリア英語に少しは慣れたかなと思いたいのだけれど,やっぱり全部を聞き取れるほどにはなっていない.私の滞在期間の前半と後半でそれぞれ別々のイギリス人の同僚と仕事をしていたのだけれど,彼らもけっこう聞き取れていなかったり,喋ったことが伝わっていない様子を見て,自分も安心して (?) いたので,聞き慣れないところは遠慮なく聞き返したり,自分の言い回しもあれやこれやと変えてみてなんとか伝える技術を身につけているところでした.

基本的には,自分が話す分には通じるのだけれど,向こうがまくし立ててくるとわからなくなる感じです.こういうの,イギリスにいた時のローカルな人たちとの会話であった風景だよな.

ところで,このタクシーのおじちゃんは,「今日はこんなに天気が良いのに,なんでホバートを出て行くんだ」,「日本なんてせわしなくて大変な国なんだろ,ホバートに住めばいいじゃないか,マイト (mateのオーストラリア発音) 」,「タクシードライバーになれよ,仕事ならあるぞ,マイト」といった話をしてきたのだけれど,まぁ,ホバートに10年も20年もいられるかと言われると,ちょっと難しいような気もする(シドニーやメルボルンならいいかもしれないけれど).

帰国便ではなぜかインターネットの事前チェックインができなかったので,空港で手続きをすることになる.今回は,

1 ホバートからメルボルンへ
2 メルボルンからシンガポールへ
3 シンガポールから名古屋へ

という3つを連続で乗り継ぐ,ちょっとしたジャーニーになっている.

ホバート国際空港は小さくて全然混んでいないし,手続きはとても簡単に終わる.1つ目の便はVirgin Australia, 後の2つはSingapore Airlineに乗ることになっていたのだけれど,預かり荷物は直接名古屋で受け取れるみたいで,ちょっと安心なような不安なような(3つ乗り継ぐと,なくされる可能性が高まるようで).

ホバートはセキュリティチェックも簡単で,出発便が出るまでにパソコン台と椅子があったので,そこで書類書きの仕事をする.無線がない(有料と思われるものはあったけれど,特に急ぎの用事もないので無視)のはちょっと難点だけれど,下手に遊ぶ暇もなくて,わりと仕事ははかどる.

メルボルンまでの飛行時間は1時間ちょっと.というわけで,メルボルン空港で3時間ほど時間をつぶさなくてはならない羽目になる.

自分はダイナースカードというクレジットカードを持っていて,世界中のたくさんの空港ラウンジが無料で使えるのが便利なのだけれど,残念ながらオセアニアの空港ではほとんど使用できないので,普通に待合室で時間をつぶすことになる.

メルボルン空港は,場所によっては有料無線,無料の無線があるので注意したいところ.ちょっと歩けば普通に無料のwifiゾーンがあるので,そこで一通りメールのチェックとインターネットサーフィンで時間をつぶし,論文を1本読むと,3時間はちょうどいい時間でした.

メルボルンは午後の4時45分発,それでシンガポールには午後の9時半に到着することになっている.飛行時間は7時間半といったところ.

この区間では食事が2回出るのだけれど,最初の食事を終えて,ワインとコニャックを飲んで,ちょっと眠ったらいつの間にかシンガポールに着いていたという感じでした.

しかも窓際の席で,隣の座席が空席だったので,ちょっと快適な空の旅を過ごすことができましたが,問題はこの次の便.

出発が深夜の1時20分なので,つぶさなければいけない時間が相当ある上に,乗り過ごすわけにもいかない.

とりあえず,シンガポールチャンギ空港ではダイナースカードでラウンジが使用できるので,シャワーを浴び,ミネラルウォーターを飲みながらソファーで寝転がる.

頭がふらついているのだけれど,寝るわけにもいかないし,頭も活動していないので仕事をする気にもならない.

苦労して時間をつぶした後,搭乗口に行くと,たくさんの日本人の姿が見える(当たり前か).気のせいか,のっぺりとした顔をした女性がたくさんいるような,って,モゴモゴ(化粧の力ですね).

若い人たちは元気一杯なのだけれど,そろそろ私も夜更かしが厳しい年齢になってきたので(わりと若い頃からだが),ソファーでだらりと座って搭乗を待つ.

メルボルン発の便では快適な座席だったのだけれど,この便の座席は通路側,まぁそれ自体は悪くないのだけれど,お隣が年配の3人組でけっこう大変だった.

お年寄りはまず全然落ち着きがない上に,しょっちゅうこっちに身体を当ててくるし(なんか着替えたり,動いたり,とにかく動き回る),しかも隣のご婦人がひたすら喋り続けているので,寝るのもままならない.さらには,なんか私を気に入ったのかしらないけれど,時々ちょっかいをかけてくる.元気だったら相手をしてもいいのだけれど,深夜だし,3本目の飛行機だし,大人しく寝かせて欲しいのだけれど,年を取ると人間,相手の気持ちを考慮するとかそういう考えが失われるのだろうか.

そういうわけで,名古屋に着いた頃には,思考回路が止まっていて,身体の動きがおかしかったです.自由が利かないというか.住んでいる場所が,空港からわりと簡単に帰れるところなのでよかったですけれど.

明日からは普通に生活します.(まぁ,今からも仕事しますけれど)

2014/02/25

手軽に留学

えと,うちは外国語系の学部ということもあってか,大学主催の短期語学研修に付き添っているのだけれど,その恩恵でタスマニアに来ています.(2週間ちょっと滞在)

付添とはいっても,仕事は(特に問題等が生じなければ)そんなにたくさんあるわけでもないし,経費で長々と海外に滞在できるので利点も結構ある.

大学の図書館も利用できるし,無線も使用できる.なんか逆説的だけれど,普段,日本の大学にいるとなかなかできない自分の研究にも集中する時間がいくらかもてる.(日本の大学の多くでは,今や研究することなんてままならないのが現状)

まぁ,普通,留学先に教員がついてくるなんてことはしないのだろうけど,世の中,そういうことが必要な人たちもたくさんいるということで,お茶を濁らせてもらって.

こういう手取り足取りお世話をして,なんかの「お試し」をするというのが本当に大学教育なのかよくわかりませんが,深刻に考えると病みそうなのでやめておきます.

せめて,午後に図書館辺りにでも行って,現地の大学生がいかに普通に勉強するのかくらいは思い知ってもらいたいものだけれど.(まぁ,無理だろうな.一緒にいるイギリス人の同僚の言葉を借りれば「No chance」というところでしょうか)