2014/05/29

(語学)留学の意義

今でこそ,外国語学部の英語をメインに教えるような場所で大学教員をやっているけれど,元々,英語も嫌いだったし,英語好きを公言するような人たちもとても嫌いだった.

英語嫌いは,世の中が作り出す英語教育のイメージがイヤだったのと,高校教員の英語に対する無理解が原因だったような気がする.

英語が出来ればetcとかいう話や,英語ができればこんなにいいetcという話がなんとなく胡散臭かったし,それに英語教育産業の全てがまやかしのように思えて,その種の底の浅さに関わるのが心底イヤだったというのも要因だったかもしれない.

最初から,教科の1つと割り切れるとよかったのだけれど.

でも,これらの嫌悪感は実はたいしたものでもなかった.

本当にイヤだったのが,とにかくちょっと英語を海外で勉強してきたからといって

「留学してきましたー♪」

という人たちでした.

同列に扱われたくなかったし,関わりになるのも御免被るという感じでした.

彼ら(基本的に女性だが)の大半が,英語の話し手の言っていることを理解しているのかいないのかよく分からないような状態で,薄気味悪い薄ら笑いを浮かべ,「Oh, yes!」とかいって話のやりとりをなんとなく繰り返している.「英語が話せている自分は凄い」といった様子で,悦に入っている様を見るのがどうにも気持ち悪かったのです.

それでもって,どれだけ自分が滞在した国のことを理解しているのか知らないけれど,したり顔で表面的な知識をひけらかしている様子を目の当たりにすると,思わず全身が痒くなるような気分になったものです.

そういうこともあって,私が留学していたことを指して,他人に「英語を勉強してきたんですか」と聞かれるのがとにかくイヤでした.『語学留学なんざ「留学」という文字を使うな.「遊学」と言っとけ!』というのが強い強い持論でした.

その種の感性は基本的にごく最近まで変わっていなくて,イギリスにいた時も,正規留学や交換留学で来ていた人たちには諸手を挙げて歓迎という気分になれていたのだけれど,語学留学となると,ちょっと.

それが今では,多くの語学留学を推進して,彼らの書類を扱う仕事をするようになっています.まぁ,この種の仕事は世の中で一番したくない仕事の一つだったのだけれど.

しかしながら,最近,この種の考え方も変わるようになってきました.

というのも,金さえ払えばすぐに行ける語学留学かもしれないけれど,なんだかんだで異国で,自分の力で道を切り開いていかないといけないという環境は,若い人たちにはいい経験になっているようなのです.そういった経験を経ることによって,いろいろと成長して帰ってくる人たちがたくさんいるのです.

日本に,特に自宅なんかにいると,ご両親なんかに甘やかされて,それで教師にもあまりきついことを言われなくなって,特別厳しい課題を与えられることもなくindulgeされていた人たちも,自分がやらないと仕方がないという経験をいろいろと重ねることによって,意外に自立する機会を得て帰ってきているのです.

この種の教育効果を考えると,単なる語学留学かもしれないけれど,それなりに意義はあると思うようになる.

そんなこんなで,語学留学でもいいから若い人たちはできるだけたくさん留学してこいと考えるようになっています.

といったような話を,ちょっとお隣の学部のアメリカ人の先生と話していました.

彼も同じようなことを思っていたようで,最近では,語学留学であっても留学推進派になったそうです.

ま,見知らぬ環境に行ってみるということが大事なのかもしれませんね.若い間にいろいろな世界を体験してきてもらえればと思います.

2014/05/08

怒らんでもええやねん

いろんな方面からお気楽だと思われている大学教員とかいう身分ではあるのだけれど,それなりに腹の立つことも,ストレスが溜まることもある.

まぁ,人が怒る理由はそれなりに千差万別なところもあるし,一概に他人だけが悪いとは言えないということもあるだろうし.

それで,こういう怒りの感情が芽生えてきて,その場でプッチーンっと切れてしまうようなことがあると,それはそれで楽なんだろうなというか,感情を抑えないで生きている人たちがそれなりに羨ましくはあるのだけれど,個人的にはそういうことをしないようにしています.

というのも,怒りの感情が芽生えるようなことがあっても,だいたいがそれほど深刻な問題でもないというか,人の命が関わるようなことでもないので,翌日以降に「しゃーないか」と思って割り切ってこなせるような事柄であることが多いからである.

それに,私も昔はそれなりに怒りっぽかったのだけれど,20歳を過ぎた頃くらいからは,感情を制御することができるようになったし,それにたとえ不快感を感じるようなことがあっても,大体がバッティングセンターなんかに行ってボールを打ちっぱなして,ご飯と一緒に適量のお酒を飲んでぐっすりと一晩眠ってしまうと,わりとどうでもよくなることが多いということが分かるようになってきたのである.

前任校のF女子大学で,各地の特別支援校の校長先生をやってこられた人と一緒に仕事をさせてもらったり,一緒にお酒を飲んだりすることが多かったのだけれど,この人からはいろいろなことを教えてもらった.

特別支援校となると,世の中のダーティーな部分というか,割と人の残酷な面と向き合う機会が多くあるようなのだけれど,この先生はいろいろな物事に前向きで非常に楽観的で,そういった態度が非常にさっぱりとしていて気持ちのいいものでした.

「大丈夫,とりあえず人の命が関わってなければいいんですよ」

「世の中ね,なんとかなります.何か責任取らなきゃいけないときはね,謝っとけばいいんですよ」

「物事はね,人がその時に考えている時ほど,深刻なもんでもないんですよ」

といった台詞をさらっと笑顔で言われるのだけれど,一緒に友人のような感覚でつきあわせてもらいました.いいなぁ,楽しかったなぁ.

そういった経験もあって,何か不快感や不満を感じるようなことがあっても,とりあえずはその場では出さず,翌日以降に冷静になってから考えるようにしています.

こうしていると,世の中の怒りの多くがたいしたことでもないなと思えるようになります.まぁ,翌日以降になってもやっぱり理不尽だと思う場合には,しつこく怒りの感情を抱えて生きていくことにはなるのだけれど.

とりあえずは,どんな時でも気楽に笑っていられる余裕だけは持てる人間でありたいと思います.

2014/05/03

職業病

今日はちょっと所用で街中に出て,百貨店で買い物をしていたのだけれど.

その買い物に付けるカードがオプションであったので,いろいろと悩んでいると,店員さんにカードの柄で悩んでいるんですかと尋ねられた.

実を言うと,カードに記載されてある英語メッセージがいずれも変な英語だったので,どれが一番ましかという究極の選択を迫られていたのである.

日本という社会では英語が教育システムの中に深く入り込んでいるので,外国語としての英語の立場は確固たるものだと思うのだけれど,それでも巷には意味が分からない,ないしはおかしな英語が氾濫していてとても困ってしまう(笑ってしまう).

この冬にオーストラリアに行っていたのだけれど,そこで見かけたタスマニアデビルの檻に貼ってあったこの日本語みたいなのがそこら中にあると思っていただければ,現状を理解してもらえるのではないかと(ちなみに日本人による英語の誤用はEngrish.comにくわしい).


そういうわけで,言語学者という肩書きがあって,大学で英語を教えることもある立場の人間からすると,妙ちくりんな英語のメッセージが書いてあるカードを選択すると信用問題の失墜にもつながりかねないのである.

難しい.

この種の変な英語に不快感を持つのは一種の職業病みたいなものであって,鼻で笑っていればいいのだけれど,まだまだそこまで余裕が持てないようである.私もまだ若いのかもしれない.日本人だから間違っても仕方ないじゃないかと,笑い飛ばせればいいのだけれど.

しかし,変な英語は,海外からたくさん観光客が来るようなスポットでたくさん目についてしまうので,こっぱずかしくなってしまうのである.ご近所で言えば,あんなお寺や金色の鯱のあるお城とか,えと,とりあえず名指しはやめておくか.

他にも,最近だと結婚式の報告葉書に記載されてある英語の語法なんかも気になる.

marryが厳密に他動詞で使用されるという事実は大学入試問題においても頻出だと思うのだけれど,この辺を誤解している結婚業者やホテルが非常に多い.

We have just married!

なんて書いてあるメッセージを目にしてしまうと,「なんか足りへんやろ!」という思いがついつい浮かんできてしまうのである.少なくとも,marry程度の語法を理解していない人たちが主催している結婚式場を私が使用することはないということはここで断言させてもらう(信用問題にもなるし).

まぁ,まだ使用する予定がないのが残念なのだけれど...

そういうわけで,巷の会社の皆さんは「ふん,英語なんてできなくても日本で暮らす分には不自由ないもんね」と開き直る前に,ちょっとは勉強してほしいものだと思う.

もしかすると,年配のめんどくさい上司さんたちに聞く耳がないだけのことなのかもしれないけれど.

2014/05/01

ガラスの家に住む者は

もしかすると大学教員に限った話ではないのかもしれないけれど,とにかくこの業界は他人を辛辣に批判する人たちが比較的多いような気がする.

英語のことわざに,People who live in glass houses shouldn't throw stones.「ガラスの家に住む者は石を投げてはならない」というのがある.

要するに他人を辛辣に批判したりして,いざ自分が攻撃されると大変なことになりますよという教訓を含んでいるわけである.

インターネットが発達して,過去の有名人,特に政治家の発言なんかが残るようになった現代.過去の発言を振り返って,後で自分に火の粉が振り返る様をネット用語で「ブーメラン」と呼んでいるみたいだけれど,要するにこのことである.

政治家さんなんかは朝令暮改がお仕事みたいな向きがあって,その場の「空気」を読む必要があるので,この手のブーメラン体験は仕事の一環みたいなところがある.しかし,大学教員のように知性を売り物にしている職業だと,この手のブーメランは信頼問題にもつながりかねない.

というわけで,私はなるべく他人の批判はしないようにしている(と思う).

そもそもが,研究業績に優れ,類い希なる教授能力があり,学生の面倒見に定評があって,種々の雑用をそつなくこなし,書類業務にはミス一つなく,ムダなことを一切しない人格高潔なる大学教員なんて世の中に何人いるのだろうという水準である.

まぁ,そのうちの一つでも欠けていると批判の対象になってしまうわけだけれど,自分はこういう完璧な教員では全然ないということくらいは自覚できているので,なるべく人様の悪口は言わないようにしておこうと思っている.

ところで,大学教員同士,ではなくて,学生さんから教員が批判されることもあるのだけれど,今日はちょっと傍で聞いていて気の毒なことがあった.

とある先生がやり玉に挙がっていて,その先生が基本的に褒められていたのだけれど,女学生さんたちに,

「○○先生,あんなにきちゃなく禿げ散らかしていたらダメだわー」

と言われていた.ちょっとあんまりだと思う.髪の毛は自分の努力ではどうにもならないのである.

そんなことばっかり言っていると,そのうち自分たちに石が投げられるぞ.